2018年7月17日 (火)

夏の計画

この夏は久しぶりに独り旅を計画している。

上の娘は就職活動中で、下の娘は高校受験。妻も趣味が忙しく、家人の誰ひとりとして暇がない。ならば私ひとりでどっか行ってみよう。思えばずっと、コーディネーター兼ポーター兼運転手兼カメラマン役として家族のためにこき使われてきた。「休み」と言いながら休めたためしなど一度もない。そんな夏を過ごしてきた私への、これはご褒美であろう。行きたくても行けなかった場所に行って、したくてもできなかったことをしよう。私の平成最後の夏は、ひと味違うゾ―――。

ところが、そう思ったまではいいのだが、行きたいところが浮かばずに実は困っているのである。

「競馬とは無縁の旅が良い」

「どうせなら行ったことのない県にしよう」

まずはそう考えた。それで絞ったのが、福井県、和歌山県、鳥取県、島根県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、長崎県の10県。見事なまでに競馬場がない。ちなみに私は現存するすべて競馬場に足を運んだが、既に廃止された紀三井寺競馬場、益田競馬場、そして福山競馬場にはついに行く機会を持たなかった。いま考えると惜しい。島根なんて益田競馬以外に行く理由が思い付かない―――と書いては失礼か。

ここでハタと気付く。私はそもそも観光というものが苦手なようだ。勇壮な祭りにも、由緒ある神社仏閣にもあまり興味がない。この傾向は一般的な観光を考える上で致命的に思える。

思えば、写真を撮るようになったのは小学生の頃で、中高大と写真部で過ごした私だが、一貫して人物も建物も撮らなかった。自分でも珍しい方だと思う。被写体としたのは自然風景か、野生動物や野に咲く花など。すなわち「花鳥風月」である。それで北海道に出掛けては花や鳥やキツネばかりを追いかけていた。この当時から人、および人が造り出したものに被写体としての価値を感じていなかったことは間違いない。

学生時代から競馬場には出入りしていたが、長いこと競馬を撮影対象と考えたこともなかった。人が乗ってるし、サラブレッドにしても人工物の極致。ならば撮ることもない。競馬の世界にも、実は花鳥風月の要素が取り込まれているのだと知ったのはずっと後になってからだ。

Fox 

ともあれ、祭りもお寺も無しに、先述した10県から旅先を選ぶのは至難の業であろう。念のためにふれておくが、アクティビティや自分磨きの旅にもまったく興味はない。つくづくつまらない人間だなぁ、と自分が嫌になる。

敢えて選べば四国の3県であろうか。これだけうどん好きを公言していながら、香川県を訪れたことがないのはちと恥ずかしい。ただ、だからといってうどん屋をハシゴする旅というのもベタに過ぎる。旅に出ながら普段の生活とあまり変わりがないというのもどうか。

結局はサマーセールの日高を訪れてお茶を濁しそうな予感がしてきた。ついでに札幌記念でも見てくるか。でもそれでは例年の夏と何ら変わりがない。平成最後の夏はひと味違うんじゃなかったのか? 競馬とは無縁の旅がしたいんじゃなかったのか? そも旅先が顔見知りだらけの「独り旅」なんてあり得るのか? 

かくして計画は振り出しに戻る。さて、どこに行こうかなぁ。

 

***** 2018/07/17 *****

 

 

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2018年7月16日 (月)

「第1回マニア」の願い

「第1回」の重賞はできるだけ見ておこうと思っている。

重賞レースの価値のひとつはその回数にあるわけだから、その起点となる第1回を見ていることは誇るべきキャリアとなる。つまり自慢できる。そう思うがゆえのこと。だって第1回東京優駿を見たという人がいれば、もうそれだけで「神」ですからね。それが「第2回」ではいけない。たった一年の差でも、やはり「第1回」の響きとは純然たる差がある。

そんなこんなで、重賞が新設される度に、いそいそと現地へ出かける日々を過ごしてきた。秋華賞、ジャパンカップダート、ヴィクトリアマイル、東スポ杯、アイビスサマーダッシュ、オーシャンS、カペラS……等々。地方においても大井で行われたJBCを筆頭に列挙に暇がない。だから、先週佐賀に行きそびれたのは本当にガッカリした。同日のメイン「佐賀王冠賞」は、今年が記念すべき第1回だったのである。

さて、今日は浦和で第1回の重賞・プラチナカップ。昨年まで準重賞で使われていた名称だから、正直新鮮味は感じないが、第1回マニアとして確実にコレクションに加えておきたい。

Race 

もちろん馬券を当てておけばコレクションとしての価値は上がる。先述した通りこのレースは昨年まで準重賞として行われていたわけだが、2枠2番のインフォーマーは3年前のこのレースの優勝馬。もし勝てば、準重賞としてのプラチナカップと重賞のプラチナカップの双方を勝つことになる。そうなったら珍しい。その珍しさの実現に賭けてみた。馬券に印字された「第1回」の3文字が嬉しい。

Baken 

しかし勝ったのは圧倒的1番人気のキタサンミカヅキ。4コーナーからビュンと抜け出したその脚の速いこと。ダートグレード勝ちの実績は一枚どころか、ニ、三枚上だった。第1回目の優勝馬にふさわしい一頭が勝ったことは、第1回マニアとして素直に喜びたい。

Kitasan 

インフォーマーは8番人気の低評価を覆して3着。複勝でも480円つけたが、それではコレクションのコンセプトに反する。ともあれインフォーマーにとっては、この条件とこのレース名が合っているのであろう。第2回プラチナCでも穴を空けそうな予感がする。忘れないでおきたい。

心配なのは来年までそれを覚えていられるか―――、ではなく「第2回」があるかどうか。ミレニアムカップ(船橋)、かちどき賞(大井)、新世紀盃(川崎)。南関東には「第1回」のみで廃止された重賞も少なからずある。リガメエントキセキやコアレスハンター、ハイテンションパルの落胆を主催者はどう思っているのだろうか。重賞を新設するならば、向こう100年間くらい続けてやるくらいの気概が欲しい。第1回マニアの切なる願いは「第2回」の施行だ。

 

***** 2018/07/16 *****

 

 

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2018年7月15日 (日)

夢の球宴

プロ野球はオールスターゲーム、JRAは函館記念、そして明日の海の日は盛岡でマーキュリーC。7月恒例の3連休を迎えている。

「ナショナルリーグの大投手カール・ハッベルとアメリカンリーグの本塁打王ベーブ・ルースの対決が見てみたい」

1933年、アメリカのひとりの少年が、新聞社にこんな手紙を送った。リーグの異なる二人のスター選手が対戦するとすれば、それはワールドシリーズ以外にあり得ない。だが、少年の夢は叶って、シカゴ万国博覧会の関連行事として実施されたのがオールスターゲームの始まりだ。ファン投票で選ばれることは真のスターの証明であり、メジャーリーガー最高の名誉のひとつとされる。

日本でも1951年から実施され、「夢の球宴」などと呼ばれてきた。だが、ファン投票1位で選出されながら出場を辞退する選手が相次いだり、起用法に対して不満を述べたり、相手投手に露骨な「ストレート勝負」を要求するなど、近年は「夢」の部分に陰りが出てきた感が否めない。

やはり、年2、3試合も行われることがオールスターゲームの権威を失墜させているのだろう。しかしながら、オールスターには選手の年金の財源確保という重要な役割も隠されている。梅雨や台風の心配のある時季でもあり、雨天中止という事態にでもなれば、それこそ財政逼迫の危機にも繋がりかねない。

Arima1 

競馬の有馬記念が、プロ野球のオールスター戦に範を取って創設されたことは有名だが、それ以前にもプロ野球の手法を倣って人気を博したレースがあったことをご存じだろうか。

それは有馬記念の7年前、1949年に創設された「読売カップ」。なんとこのレース、アラブによる東西対抗戦の形式を取っていた。当時のプロ野球といえば、まだ1リーグ制の時代。オールスターゲームも行われていなかったが、ペナントレース終了直後に行われる東西対抗ゲームは非常に人気があり、読売カップはそこに着目したと言われる。

1着賞金は30万円。日本ダービーが60万円だったことを思えば、アラブとしては破格の賞金である。しかもダービー同様に内閣総理大臣賞まで贈呈されるとあれば、ビッグネームが参戦しないはずもない。「アラブの怪物」と呼ばれたタマツバキが参戦した1951年春には、日本ダービーに次ぐ2位の売り上げを記録した。つまり、皐月賞や菊花賞といったクラシックはもとより、古馬最高峰のレースである天皇賞よりも馬券が売れたのである。アラブであれサラであれ、番組に工夫が凝らされ、出走メンバーが充実すれば馬券は売れることの証であろう。

Arima2 

さて、昨日のプロ野球オールスターゲームは、場所を熊本に舞台を移しての第二戦目。夢に陰りが見え始めた球宴とはいえ、一昨年に発生した熊本地震の復興支援の一環で行われたこの一戦には特別な意味が込められていた。先発には九州出身の甲斐や青木らが名を連ね、大分出身の源田はMVPを獲得する活躍ぶり。しかし何と言ってもこの日一番の歓声は熊本市出身の岩貞投手が登場した瞬間であろう。そのシーンを見て、スポーツの力をあらためて思った。

 

***** 2018/07/15 *****

 

 

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2018年7月14日 (土)

笑えぬ失敗

昨夜の酒が残って布団から出ることができない。

若者3人と昨夜は遅くまで飲んでいた。1軒目は大手町の博多うどん店『二○加屋長介』。2軒目がどこかは思い出せない。「仕事上の酒は断る」と「2軒目には行かない」を酒の上の信念とする私だが、それをいっぺんに破ってしまったことになる。今の惨状はそのバチが当たったのであろう。幸い今日の仕事は夜から。これが競馬のある日だったらたいへんだった。

Beer 

酒の失敗談は古今東西を問わず数多い。大坂冬の陣の前夜に深酒し、不覚をとったという本多忠朝の逸話もその一つ。汚名を返上しようと夏の陣で勇戦し、討ち死にする直前に「死後は酒で身を誤る者を助ける」と言い残したとされ、大阪市の墓には断酒を願う人々が訪れる。

昨夜同席した若者ひとりが断酒中であった。ならばなぜ飲みに行こうと言い出したりするのか。はなはだ理解不能だが、おそらくよっぽどのことがあったに違いない。

私自身も酒の失敗が原因で酒を断った経験がある。贔屓のプロ野球チームが日本シリーズに出場。敵地で連敗を喫し、巻き返しを図る第3戦のチケットを奇跡的に入手したもののあえなく完封負け。しかも、試合後のインタビューでは相手投手から屈辱的な発言が飛び出した。

もう何年のどのチームのシリーズかということはバレバレだろうが(笑)、とりあえず話を進める。

その夜は、人生で経験したことがない量の酒を飲んだ。うっすら残る記憶では安焼酎「樹氷」のボトルをラッパ飲みしているシーンが断片的に浮かぶ。倒れたことは言うまでもない。だがそんな私を、友人数人が抱えて浦和の友人宅まで運んでくれたそうだ。翌日に待っていたのは激烈な二日酔い。他人に迷惑をかけた上、こんな思いをするくらいなら、もう二度と酒を飲むことはやめよう。そう誓ったのである。

だが、その数日後、3連敗から奇跡の4連勝で日本一となったチームを祝う頃には、しっかり飲んでましたけどね(笑)。

酒の失敗談は酒の肴にもなる。ゆえに、大きな失敗ネタのひとつやふたつ経験しておいても損にはならない。「酒の失敗がない奴なんて信用できるか!」なんてことを言われることも。ただし、ある程度笑える話であること。それが絶対条件。笑えない酒の失敗談は、往々にして「笑えない」を通り越すものだ。

そこで思い出すのは角居調教師の件である。この話題はタブーなのか知らんが、まったく表に出てこないし、私も特別な事情を知る立場ではないから、新しい話を持ち合わせているわけでもない。ただ、先生には何度か親切にしてもらった。その恩が、ただただ頭から離れぬのである。

角居先生がお酒好きだということも世間には知られた話。そして調教師という職業には、時として断れぬ酒がついてるもの。それは理解しているつもりでも、笑えない失敗は勘弁してもらいたい。嗚呼、なんともったいないことを……。二日酔いの苦しみに悶えながら、もっと大きな苦しみとの格闘が続いている。

 

***** 2018/07/14 *****

 

 

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2018年7月13日 (金)

【訃報】スカーレットブーケ

重賞4勝の名牝で1991年のクラシック戦線で活躍したスカーレットブーケの訃報が届いた。30歳。老衰。そう聞いて己の歳を実感してしまったのは不謹慎だろうか。ともあれ、シスタートウショウやイソノルーブルらと繰り広げたあの牝馬クラシックから四半世紀あまりが過ぎてしまったことになる。だが、当時の興奮はひとつも色褪せることなく脳裏に焼きついたまま。あの年の競馬はそれほどに美しかった。

名馬の訃報に触れたらその血統表を見直すことにしている。「これが供養だね」。そう言ったのは、他でもないスカーレットブーケの生産者・吉田善哉氏だ

ノーザンテースト、Crimson Satan、Beau Max、Royal Charger、Alibhai、―――。

母系に配合された種牡馬たちの中には、あまり聞き慣れない名前も並んでいる。だが、これらの血統が米国競馬の深く広い歴史を支えてきたと言っても過言ではない。たとえばクリムゾンサタンは58戦18勝。ピムリコフューチュリティー(GⅠ)を勝ち、伝説のセン馬・ケルソも対戦している。大種牡馬ストームキャットの祖母の父がクリムゾンサタン。すなわちキズナやサクソンウォリアーの血統にもその名前は登場するわけだ。

4台母のユアホステス(Your Hostess)にも注目しておきたい。吉田善哉氏はこの血統を手に入れることに執念を燃やした。

ユアホステスの娘・ゲイホステスからは、1969年米2冠馬・マジェスティックプリンス、1971年英2歳チャンピオン・クラウンドプリンスと、立て続けに世界的名馬が誕生していたのである。だが、ゲイホステスの牝馬は高くてとてもセリでは買えない。現在の社台グループのイメージからは想像もできないかもしれないが、当時の社台ファームの経営は決して安泰とは言えなかった。しかも1ドル300円の時代のこと。それでも熱心に米国のセリに足を運ぶうち、3代母にユアホステスを持つ当歳牝馬を見つけた。それがスカーレットブーケの母・スカーレットインク。脚が曲がっていたこともあって、わずか1万3000ドルという価格で、ついに善哉さんは念願の血を手に入れた。

しかし、スカーレットインクはなかなか期待に応えてくれない。産駒は走らず、不受胎の年もあった。そんな窮地を救ったのがスカーレットブーケの父でもあるノーザンテースト。その産駒は総じて仕上がりが早く、2歳から3歳の成長力に長け、古馬になってさらにもうひと回り成長することから、「ノーザンテーストは3度変わる」という格言も生まれた。

実際、スカーレットブーケはノーザンテースト産駒の典型とも言われる。2歳の札幌で世代最初の重賞を勝ち、桜花賞、オークス、エリザベス女王杯にすべて出走して掲示板を確保。さらに古馬となってからは56キロで京都牝馬特別を制し、57キロで中山牝馬Sを勝ち、引退レースとなったターコイズSを58キロを背負いながら圧勝してみせた。ユアホステスから続く米国血統の底力とノーザンテースの成長力。その両者が絶妙なバランスで融合した結果、稀代の名牝が誕生したのである。吉田善哉氏の執念は、ここでようやく実を結んだ。

Scaret 

私より若いファンの方には、競走馬というよりダイワメジャーとダイワスカーレットの母という印象の方が強かろう。確かに産駒2頭合わせてGⅠ9勝は凄い。自身はGⅠを勝つことができなかったが、繁殖牝馬としてはシスタートウショウやイソノルーブル、リンデンリリーらを凌ぐ成功を収めた。これは自慢して良い。きっと今頃は天国で彼女らと再会を果たし、昔話に花が咲いていることだろう。合掌。

 

***** 2018/07/13 *****

 

 

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2018年7月12日 (木)

アップトゥデイトへの期待

「オジュウチョウサン強かったなぁ」

「強かったけど、まあ500万だからね」

「1000万だともう少し苦労しそうだけど」

「次は阿寒湖特別使ってくんねぇかな」

「それ面白いな。そこ勝ったら本当に有馬勝ちそうな気がする(笑)」

先週日曜、ウインズ渋谷の地下フロアでベンチに座っていたら、向かいに座る若い3人組がそんな会話をしていた。前日の福島9R・開成山特別をオジュウチョウサンが圧勝したばかり。その余韻は翌日の渋谷にも残っていた。

一介の条件戦が話題をさらうのは夏のローカルならでは。開成山特別は、この夏でも一、二を争う話題のレースになった感がある。彼らの言う阿寒湖特別も、かつてはそんな立場にあった。1997年の勝ち馬ステイゴールド、2001年マンハッタンカフェ、2002年ファインモーション。後にGⅠを勝つような名馬が、優勝馬欄に名前を連ねている。もしオジュウチョウサンが有馬記念を勝つようなことがあれば、来年以降、開成山特別への注目度が変わるに違いない。

しかし、現時点でオジュウチョウサンが阿寒湖特別(今年に限りレース名は「北海道150年記念」)を使う可能性は低いのではないか。なぜなら、オジュウチョウサンは確かに500万条件を勝ったが、収得賞金上は未だ500万条件の身である。再び除外のリスクを取ってまで、わざわざ1000万の阿寒湖特別に格上挑戦する必要もあるまい。

それならむしろオジュウチョウサンのライバル・アップトゥデイトの参戦を期待してはどうか。アップトゥデイトの平地収得賞金は585万円。立派な1000万条件に該当する。平地GⅠで3着の実績があり、新馬ではあのクリソライトを破っていた。見方によってはオジュウチョウサンより平地適性は上であろう。

Upto 

次走は小倉初日の小倉サマージャンプを予定していると聞く。昨年、ゴール寸前でソロルに交わされた悔しいレース。リベンジに燃える気持ちは強かろう。だが、何かの間違いで同日に札幌で行われる北海道150年記念に出てはくれないものか。もし勝てば、オジュウチョウサンと有馬記念で対決―――なんてことが現実になるかもしれない。

 

***** 2018/07/12 *****

 

 

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2018年7月11日 (水)

ダート界の新たな風

1999年に創設されたジャパンダートダービーは、数えて今年がちょうど20回目の節目にあたる。その一戦を見ることができなかった。痛恨の極み。これを書いているのは3日後の土曜だが、まだそれを引きずっている。

JDDを休んだのはカフェオリンポスの2004年以来だから14年ぶり2度目のこと。ただ痛恨の度合で言えばこの年の方が遥かに上だった。このレースを見るためにわざわざ昼間からスケジュールを空けておいたのに、いざ当日になってなんとなく気が乗らずに「サボって」しまったのである。それで、お世話になっている松山厩舎のカフェオリンポスが勝ってしまったのだから、TVの前の私が凍りついたのは言うまでもない。

50年の生涯において、一、二を争う不始末であろう。レースの前から「どうせ負けるよな」と決めつけるのは馬に対する冒涜であり、「ひょっとしたら勝つかも」と思っていながら、それでも競馬をサボるようでは、もはや人格が問われてしかるべき。後日、調教師と共通の知人でもある小説家からは、「なぜ来なかった」とだけ書かれた手紙が届いた。つくづく返す言葉がない。ともかく、それ以来私は「仕事はサボっても競馬はサボらない」という信念を心に刻み、日々生活を送ることにしているが、それでもあのJDDで味わった苦い思いが私の脳裏から消えることはない。

今年に関して言えば、もちろんサボる気など皆無だった。会議漬けの日々ではあるが、午前中から「今日は何があっても18時に引き揚げる!」と宣言。どんな重要な会議であろうと、この世にダービーに勝るものなど無いのである。

それが直前になって風向きが変わった。会議ではない。仕事場の偉い人がやってきてとある相談を持ちかけてくる。しかも急いでいるのに、そのなかなか話が切れない。次の飲み会の予定とか、JDDの予想みたいなどうでも良い相談ならスパッと切れるのだが、法に関わることであったから、こちらとしてもいい加減な対応ができないのである。それであーでもない、こーでもない、と言っているうちに、時計は19時半になっていた。もうアウト。嗚呼。

TVで観たルヴァンスレーヴは強かった。

Levan 

これまでの全4勝はすべて左回りコースで挙げたもの。唯一の敗戦が中山だったから、大井の右回りに若干の不安を抱いていたのだが、そのレースぶりを見れば完全な取り越し苦労だったことになる。思えばお母さんのマエストラーレは全4勝を中山ダート1800mで挙げていた。ちなみに「マエストラーレ」は地中海特有の北西風のこと。その子「Le vent se leve」は、フランス語で「風立ちぬ」の意。ダート界に新たな旋風が巻き起こりそうな予感がする。

Mae 

 

***** 2018/07/11 *****

 

 

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2018年7月10日 (火)

衝撃から20年

セレクトセールが終わった。

初日と2日目の売り上げ総額は驚愕の179億3200万円。当時は史上最高となる117億6470万円を記録したのが2013年だから、まだ5年しか経ってない。翌14年には125億、15年に131億、そして16年には149億に到達し、「ついに150億円超えなるか?」と注目された昨年がいきなり173億円でひっくり返った。今年はさらにそれを超えてみせたのだから、昨年の数字は決して一過性ではなかったということになる。こうなれば来年は180億を越えるか。いや、ひょっとしたら一気に200億円も―――。そんな会話が冗談にも聞こえなくなってきた。

「馬産地に衝撃」

「覆された常識」

「歴史的な2日間」

第1回目のセレクトセールが行なわれたのは今から20年前の1998年7月13日、14日。その翌日はスポーツ紙のみならず一般紙にまでこのような題字が踊った。それまで道内の競走馬市場の中心を担っていた日高軽種馬農協が、前年に主催した計15回のセリでの売り上げ総額を、たった2日間のセールで上回ったからだ。

しかし、その売上げ額は48億5100万円に過ぎない。それでも当時は衝撃的だった。なにせ高い馬ほど庭先で取引されていた時代。「セリに出るのは売れ残り」。そんな常識が崩れるターニングポイントになったことは間違いない。一部の生産者や市場関係者を除けば、セレクトセールの成功はおおむね好感を持って受け止められた。

あれから20年、180億円という数字を前にすれば多少なりとも畏怖を感じる。世界中どこを探しても、2日間でこれほどの売上げを記録するセールなど見つからない。それが日本で行なわれていることを素直に喜ぶべきなのかもしれないが、世界一高い馬が世界でもっとも強いとは言えないのが競馬の世界。よくよく考えれば、世界一の賞金額を誇る国のセールが世界一の売上げを誇ったところで、なんら驚くこともないように思える。

とはいえ、それを差し引いてもこの相場はやはり尋常ではあるまい。馬よりも金額ボードばかりに目が行くセリは、正直疲れるのである。

 

【セレクトセールの売上総額推移】

1998年  48億5100万円
1999年  50億5520万円
2000年  60億6640万円
2001年  51億6580万円
2002年  54億3960万円
2003年  70億7320万円
2004年  76億8200万円
2005年  79億7200万円
2006年 117億5450万円
2007年 115億7690万円
2008年  96億8660万円
2009年  76億1260万円
2010年  64億9610万円
2011年  91億7320万円
2012年 102億9630万円
2013年 117億6470万円
2014年 125億7505万円
2015年 131億7350万円
2016年 149億4210万円
2017年 173億2700万円
2018年 179億3200万円

 

***** 2018/07/10 *****

 

 

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2018年7月 9日 (月)

凹んで過ごした月曜日

本稿をご覧いただければわかる通り、土日は比較的ヒマなんですが、平日がどうにもいけません。本日も帰宅の目途さえ立たず、ブログ更新は水曜日以降とさせていただきます。

あの……、誤解のないように書いておきますが、セレクトセールで北海道入りして、千歳の寿司屋でどんちゃん騒ぎしている―――なんてわけでは決してありませんからね。念のため。

しかし、まともなセリとはもはや言えない状況になりましたな。マネーゲームの再来を危惧しながら、明日の当歳セッションを東京から見守ります。

---- 以下、後日更新 ----

木曜夜に月曜の出来事を思い出しながら書こうとするのだが、何ひとつ思い出せぬ。

なにせ月曜から今日木曜までほぼ同じ毎日の繰り返し。朝9時半に大手町に着いて、ひたすら会議を続けて、昼メシを食べたかどうかも分からぬままふと外を見たらもう暗くなっていて、疲れ果てて帰る。飲みに行く気力もない。

普段なら寝しなの布団でブログを書きながら一日の疲れを癒すところだが、ここ数日は翌日の会議資料の草稿をスマホでひたすら打ち続けている。競馬のことを考える時間は正直1秒もない。こんなことは少なくとも競馬を始めてからは初めてだ。なにせ大学受験のその足で中山に行った記憶がある。試験中もずっと競馬のことばかり考えていた。

そんな生活がつくづく嫌になって、ひとつ思い切って中京から佐賀への遠征を企図したのだが、こたびの西日本豪雨でそれも断念。被災された方の境遇を思えば、この程度で落ち込むこともばかられるが、それでも私なりに凹んだのである。

逆に暇を持て余して恵比寿や中野までうどんを食べに行ってはみたが、代替行為は代替行為でしかない。恵比寿で食べた博多うどんと酢モツの味は、おそらく博多の本店とまったく同じであろう。だからと言ってそれを食べて博多に行ったことにはならないのである。POGで「キングスローズの2017」を指名するのと、2億5千万円で落札して自分の所有馬にするのとは違うのと同じこと―――いやちょっと違うかな。

Saga 

ともあれ、月曜は凹んで過ごしていたことには違いない。セレクトセールよりも、前日の第1回佐賀王冠賞を勝ったスーパーマックスの方に心を惹かれていた。さすが昨年の佐賀3冠馬。やっぱ見に行きたかったなぁ。近いうち絶対にリベンジしてやろう。

 

***** 2018/07/09 *****

 

 

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2018年7月 8日 (日)

短冊とそうめんに願いを込めて

昨日は全国的に七夕だったが、伝統的な太陰暦に基づく七夕は今年は8月17日らしい。一方で、競馬ファンにとっては七夕賞が行われる今日こそが「七夕」であろう。今日はウインズ新宿で願いが印字された“短冊”を仕入れた。

Wins 

東中野に移動して昼メシ。西口改札を出てすぐ左手の階段を降りたところにに都内でも珍しい「そうめん専門店」が暖簾を掲げている。その名も『阿波や壱兆』。年中無休、24時間営業という珍しい営業形態だが、行ったタイミングが悪かったのか店前には長い行列ができていた。

Awaya 

七夕にそうめんを食べる風習が知られるようになったのは、ここ数年のことではないか。平安時代から宮中での七夕の行事にそうめんが供えられたほか、江戸時代にはそうめんを糸に見立て、七夕に裁縫の上達を願って食べる風習があったという。もちろん機を織る織姫にあやかってのこと。ちなみに7月7日は「そうめんの日」でもある。

ようやく呼ばれて店内へ。席はカウンター8席のみ。最初は温かいそうめんを食べるつもりでいたが、あまりの暑さにやられて冷たい「田舎ぶっかけ」を注文した。ぶっかけそうめんにシイタケの旨煮、錦糸玉子、カニかま、鳴門わかめが彩りよく散らされている。

Somen 

ひと口啜って驚いた。そうめんのイメージを凌ぐ麺の太さ。しっかりしたコシ。使っている麺は徳島名産の「半田そうめん」とのこと。JASの規程では「1.3ミリ以下を素麺、それより太くて1.7ミリまでを冷麦」と定めているが、この麺は明らかに1.5ミリ程度はある。それでも、昔から「そうめん」と呼ばれていた歴史的事実や、油を塗りながら手で細く延ばしていくその製法から、特例として「そうめん」と認められているらしい。この太さから得られる痛快なコシこそ、半田そうめんの命であろう。

美味さの秘密はこの透明なダシにもありそうだ。そうめんというと、我々関東の人間はどうしても真っ黒なそばツユで食べるイメージがあるが、色こそ薄いものの、イリコの風味がしっかりしたこちらのダシの方が、特にこの太い麺に合う。地元の食べ方が一番美味いのは当然のこと。今日は馬券の願い事が叶うことはなかったが、しっかりとそうめんを食べたのだからいずれ良いことはあろう。

 

***** 2018/07/08 *****

 

 

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