白と緑の勝負服
懐かしい勝負服が復活したと話題になっている。
今日、園田で行われたゴールデンジョッキーカップに出場したJRAの横山典弘騎手が着用したのは「白、緑一本輪、袖緑縦縞」の勝負服。オールドファンには懐かしいメジロ牧場の服色である。横山典騎手自身の成績は⑤着、④着、⑥着に終わったが、その鮮やかな白と緑の服色はファンの眼にしっかりと焼き付いたに違いない。
今回、横山典騎手がメジロの服色を選んだのは―――もちろんメジロライアンに対する思い入れもあるだろうが―――この7月に亡くなったばかりの奥平真治元調教師を偲ぶ思いからではあるまいか。かつてメジロラモーヌやメジロライアンを管理された名伯楽。横山典騎手にとっては伯父にあたる存在でもある。ロジユニヴァースで初めてダービーを勝ったとき、検量室に戻った横山典騎手が真っ先に駆け寄った先にいたのは、ロジユニヴァースを管理する萩原調教師ではなく奥平元調教師だった。
メジロティターン、メジロラモーヌ、メジロマックイーン、メジロパーマー、メジロライアン、メジロブライト、そしてメジロドーベル。一時代を築いた名門牧場がその看板を下ろしてから、早いもので12年になる。
ちなみにメジロ牧場の創始者である北野豊吉氏の出自は生産者ではない。そうである前に彼はひとりの馬主であった。
競馬が好きで、そして何より馬そのものが好きでたまらなかった氏は、競馬場で勝ち馬の口取りシーンを見て一念発起。懸命に働いていつかは自分の馬を持つと心に誓い、それからは常にもまして人の何倍も働かれたという。
本業の建設業で財を成した北野氏は念願叶って馬主となり、所有馬の頭数も右肩上がりに増え続けた。やがて引退後の馬の面倒が大きな課題となると、馬が好きでたまらなかった彼は、洞爺湖の近くに引退馬を養うための牧場を開いてしまう。牧場の名前は自宅のあった東京・目白の地名にちなんだ。つまり、元来「メジロ牧場」とは引退馬の養老牧場だったのである。
ゆえに豊吉氏は、競走成績の良い馬よりも、成績の悪い馬をことのほか可愛がったと聞く。その気持ちが「苦しくなってから頑張る」タイプの馬を多く育てたように思えてならない。その特徴はメジロ牧場がなくなった今も受け継がれている。種牡馬モーリスもそんな一頭。母メジロフランシスも、祖母メジロモントレーも、奥平元調教師が管理し、横山典騎手が手綱を取ったメジロ本流の血が、その産駒にもきっと伝えられているものと信じたい。
そんなモーリスの産駒マテンロウスカイが、土曜阪神のケフェウスSに出走する。鞍上は横山典騎手。注目だ。
***** 2023/9/14 *****
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