アマグリは美味しい
今日9月9日は「重陽の節句」。厄除けや長寿を祈願して菊の花を日本酒に浮かべて飲み、栗ご飯を食べる風習があったことから、「菊の節句」とか「栗の節句」と呼ばれることもある。江戸時代には五節句の中でも最も重視されていた節句とされるが、新暦が採用された現代では季節的に菊にも栗にもまだ早い。1月1日、3月3日、5月5日、7月7日はいまも祝う風習があるのに、9月9日だけ廃れてしまったのはそんな理由によるものだろう。
それでも今日は近所で天津甘栗を買って帰った。フライパンでコロコロ煎ってからひと口。ほくほくして美味い。「ほくほく」という表現は芋やかぼちゃにも使われるが、その最たる例はやはり栗ではあるまいか。「栗芋」や「栗かぼちゃ」の存在が何よりの証左。なんて具合に私が栗を贔屓するのは、十数年前まで栗にちなんだペンネームを名乗ってあちこちに書いたせいもある。
競馬に携わっていると「栗」の字を目にする機会が多いような気がしないか。小栗、石栗、栗林、栗田という人名はもとより、栗東という地名。さらには馬の毛色には「栗毛」なんてのもある。だが、むろんこれは競馬に限ったことではない。古来より日本人にとって栗は重要な食料だった。青森の三内丸山遺跡には栗を栽培した形跡があるというし、競馬ファンなら誰もが知る「栗東」の地名だって、もとを辿れば今昔物語にも登場する巨大な栗の木に由来する。
以前、競馬場におやつとして甘栗を買って行き、「勝ち栗です」と言って周囲に配った。すると、ある馬主さんから「これはカチグリじゃないね」と言われてしまったことがある。
慌てて調べた。昔は乾燥させたクリの実をウスで軽くついて、殻と渋皮を取って食べていたらしい。臼でつくことを「搗(か)つ」とも言う。すなわちカチグリは「搗ち栗」というわけ。それが「勝ち」に通じることから、戦国時代には出陣の膳に欠かせなかったという。私は勝負事の前に食べる栗ならなんでも「勝ち栗」だと勘違いしていた。
栗と言えば、子供の頃は秋になると毎日のようにクリの殻と渋皮を剥く手伝いをさせられていたことを思い出す。指が痛くなるのが嫌だったが、それでもそのあとに大好きな栗の甘露煮が食べられると思えば、我慢もできた。
だが、最近ではスーパーでも殻付きの栗をあまり見かけない。顔見知りの八百屋に「なんで?」と聞けば、長時間水につけたり、皮を剥いたり、茹でたりするのが面倒だという理由で売れないそうだ。やっぱりね。なにせ甘栗だって殻が剥かれた状態で買える時代である。上手に殻に切れ目を入れられた時の、あのパキッと痛快な音や感触も含めて甘栗の味わいではないか。それを知らぬ子供たちが、どことなく気の毒に思えてならない。
***** 2023/9/9 *****
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