ここにもユタカマジック
愛用の腕時計が壊れた。
時計部分ではない。ベルトの方。ベルトにバックルを繋ぎ留めるピンが何かの拍子で外れてバックルがポロっと外れてしまった。あいにく屋外を歩いている最中で、地面をいくら探しても肝心のピンが見当たらない。そもそもバックルの締まりが悪く、外れやすくなっていたのも事実。もはやベルトごと交換してしまった方が良いのかもしれない。しかし思い入れのある時計でもある。できればこのまま使い続けたい。
もともと腕時計を身に着ける習慣はなかった。街中には時計が溢れているし、時間に追われる生活を送っていたわけでもない。指輪とかブレスレットの類は無意識のうちに外してしまうタチである。携帯やスマホを持つようになってからは、その傾向に一層拍車がかかった。
しかし、大阪に住むにあたり身に着けるようにした。別に大阪の街には時計が無いと思ってたわけではない。生活が変わることを実感するため、敢えて着けようと思い立ったのである。左腕の重みを意識するたび「ここは東京ではない」と思い直す。しかしその重みにもすっかり慣れた。逆に重みがないと、今自分がどこにいるのか分からなくなる―――ほどの影響はないけれど、左腕に目をやる習慣が着いてしまっているのでなんとなくリズムが狂う。
以前、武豊騎手と新幹線でご一緒する機会があった。隣の席でぱくぱくと弁当を食べ、柿ピーを頬張る私に対し「減量があるので……」と柿ピーにすら手をつけようとはしなかった彼だが、クルクルっと左腕の腕時計を何度か振ると、「ピーナッツ5粒くらいは大丈夫かな」と言って手を伸ばしてきたのである。腕時計のバンドの回り方や締まり具合のちょっとした変化で自身の正確な体重を計ることができるという。これぞユタカマジック。やはり天才は違う。
腕時計のベルトが壊れて途方に暮れる私の視界に「時計修理」の看板が飛び込んできた。大阪駅前第3ビルの地下2階。よくある街の修理店である。これも何かの縁であろうと修理を依頼してみた。ところが名前も電話番号も聞かれない。引き換え用の番号札を渡されただけ。大丈夫かな?と思いつつ帰宅した。なにせ古い時計でしかもマイナーなメーカーである。ネットで調べた限りでは交換部品がない可能性が高い。仮に直せたとしても相当な修理代を覚悟した方がよさそうだ。
翌日、あまり期待もせずに店を再訪。番号札を受け取った店主は、「ああ、アレね。直りましたわ」とにべもなく言った。
―――直った?
「あとね、バックルが緩かったんで締めときましたんでね。お代は550円になります」
―――550円?
その場で腕時計をはめてみた。カチッと小気味良い音を立ててバックルが締まる。まるで新品のような着け心地。キツネかタヌキに化かされたんじゃないかと思いつつ550円を渡すと、店主は「おおきに」と言っただけで、やおら別の時計の修理を始めた。
こういうお店もあるんだ。大阪の底力を思い知った気がする。そういやなんて名前のお店なんだろう。そう思って看板を見上げた途端に納得した。
これも立派なユタカマジックであろう。やはり天才は違う。
***** 2023/9/8 *****
| 固定リンク
« 瞳を閉じて | トップページ | アマグリは美味しい »
最近のコメント