牛肉バンザイ
母の生家が鰻屋や鮮魚店を営んでいたせいで子供の頃の食卓に鰻やマグロが踊ることはあっても、肉が並べられることはほとんど無かった。たまの「焼き肉」も当然のごとく豚肉。ゆえに、私にとっての「ご馳走」とは、鰻でも鮨でもなく牛肉なのである。
そんな私であるから思わず取り乱したのも無理はない。先日、神奈川の自宅に届けられたクール便の箱には、まごうことなく「和牛」と記されていた。
「わー、わ、わ……わぎゅう!?」
家族4人と犬1匹が荷箱をぐるりと取り囲み、家長たる私が恭しく包装を解いてフタを開けると、「わあっ!」という歓喜の声が沸き起こった。鮮やかなピンク色の牛肉たちが、箱いっぱいに詰め込まれているではないか! 妻は言葉を無くし、娘二人は万歳を繰り返し、犬は歓喜のあまりウレションを漏らした。きっと私の目にも涙が浮かんでいたことであろう。
―――なんて、多少の誇張はあるにせよ、牛肉には人の心を弾ませる何かがある。いくら豚肉が美味しくて、ヘルシーで、ビタミンBが豊富であっても、ここまで人を高揚させることはなかろう。
赤身の多い外国産牛肉ならシンプルなアメリカンステーキだが、サシの豊富な和牛はやはりすき焼きかしゃぶしゃぶで頂きたい。某漫画の影響かしらんが、食通ぶるような人ほど「すき焼きは牛肉の旨さを分かってない奴の食い方だ」と言ったりするものだけど、決してそんなことはない。不味いのだとしたら、それは作り方(鍋だから「食べ方」というべきか)に問題があるのであろう。そういう人は試しに和牛と長ネギだけですき焼きをやってみるとよい。すき焼きの奥深さが分かるはずだ。
すき焼きのルーツはいくつかあるが、そのひとつに横浜で生まれた牛鍋がある。
幕末当時、わざわざ母国から牛肉を取り寄せていたほど牛肉好きな居留外国人たちが、こぞって絶賛したという牛鍋が「牛肉の美味さを知らぬ」調理法であるとは考えにくい。この牛鍋をかなり早い時期に食べていたのが、かの福沢諭吉である。彼は当時としては珍しい肉食論者でもあった。
ちなみに、牛肉以外の具材を俗に「ざく」と呼ぶが、本来これはネギのみを指す言葉。つまり、黎明期は牛肉と長ネギだけの鍋だったのである。明治初期に整腸剤としてシラタキが加わり、さらに戦後の食材不足の折に焼き豆腐と春菊も鍋に入れられるようになった。そういう意味でも、やはりすき焼きは和牛と長ネギを味わう鍋と思えるのである。
***** 2023/9/26 *****
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