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2023年9月 1日 (金)

【個体識別を考える②】旋毛はどこだ

「珠目二・髪中・波分・芭蕉上・後双門・沙流上・左後一白」

「個体識別」は競走施行において最重要テーマであると言っても差し支えない。ゼッケンに記されている馬名とは違う馬が走っていたとしたら、競馬という競技は成立しないからである。幸いなことにJRAの長い歴史の中でそういうことは今まで一度もない。8月19日の新潟3Rに「エンブレムボム」として出走を予定していた2歳馬が、実は「エコロネオ」であることがレース当日に判明するインシデントはあったが、それでも取り違えられた馬が出走するという事態には至らなかった。

冒頭に書いたのは、馬の個体識別の鍵となる外見上の特徴である。列記してあるのは毛の色や白斑などのパターンに加えて旋毛(つむじ)の場所。旋毛は人間の指紋と同様個性に富み、しかも一生不変であることから、各馬の体内にマイクロチップが埋め込まれるようになった現在においても、個体識別の補助手段として使用されている。実際、エンブレムボムの取り違えを判明させたきっかけを作ったのはマイクロチップだが、目視でも額の星や旋毛の位置、脚の白斑が異なることも確認されていた。馬体重も30キロ近く差があったという。

例えば「沙流上(さるのぼり)」とは飛節上縁より球節上縁までにある旋毛のことを指すのだが、日高峠から平取を通り富川から太平洋に注ぐあの沙流川と何か関係があるのだろか? 沙流川を昇る秋鮭のようなイメージがなくもない。

ちなみに旋毛はこんな感じ。モデルはフジヤマケンザン。

Fujiyama_20230827090601

マイクロチップ導入以前の日本ではこのような外見上の特徴を手がかりにして、レース前の装鞍所で個体識別専門の係員が肉眼で厳正な識別作業を行っていた。海外では後肢にある“夜目”を手がかりに識別していたところもあれば、生まれて間もなく上唇の内側に入れ墨をしてしまうところもある。ひと昔前は肩の部分に識別用の焼き印を入れる国も多かった。こちらは豪州生まれのキンシャサノキセキ。

Kinshasa_20230827101901

むろん今ではマイクロチップが各馬を識別してくれる。だが、マイクロチップ導入以前は、これらの手法だけでは取り違えの悪魔から逃れることはできなかった。

先ほど「ゼッケンに記されている馬名と違う馬が走ったことは、JRAでは一度もない」と書いたのは、すなわち地方公営競馬では例があるということだ。

1994年、園田所属のビクトリーグリームと荒尾所属のチクシエイカンが放牧先の牧場で取り違えられたことにより、お互いが入れ替わった格好でそれぞれの競馬場に送り戻された。すなわち、ビクトリードリームは「チクシエイカン」として荒尾へ、チクシエイカンは「ビクトリードリーム」として園田にやってきたのである。しかも始末の悪いことに、「チクシエイカン」(本来はビクトリードリーム)の方は、出走時の個体識別チェックをかいくぐって、8回ものレースに出走してしまったからただ事では済まない。

放牧に入る前のチクシエイカンの成績は7戦して未勝利だった。ところが、放牧から戻ってきた「チクシエイカン」は8戦4勝2着3回というほぼ完璧な戦績。そのあまりの変貌ぶりに「まるで別馬」という声も上がっていたというが、あながち間違いではなかったことになる。

一方のチクシエイカンは一足遅れて放牧先から園田競馬場に「ビクトリードリーム」として帰厩した。ところが、出走前の実馬照合の際、体重が非常に重く額のつむじも一つ多かったことなどから、係員が不審に思い出走させず、調教師が宮崎県の牧場に照会した。ここで、ようやく取り違えの事実が発覚したという。

最近では2010年の大井競馬で馬の取り違えがおきている。1月21日の大井4Rに出走予定のタケショウボスが、装鞍の際の馬体照合で別の馬であることが判明。「公正確保」を理由に競走除外となった。

実際に装鞍所に入っていた馬はクイックダンス。タケショウボスとクイックダンスは同じ牧場に放牧に出されていたが、帰厩させる際に牧場側が誤ってクイックダンスを輸送してしまったことにより取り違えが起きた。厩舎側でも気付かなかったという。本来なら入厩時に実施されるはずの馬体検査も、タケショウボスの休養期間が規定より短かったため免除されていた。

ちなみに両馬の馬体の特徴は、タケショウボスが鹿毛の「額刺毛・珠目正・髪中」、クイックダンスは黒鹿毛で「額刺毛・珠目上・波分・浪門・左後半白」となっている。これだけ違えば気が付きそうなものだが、そこに落とし穴が潜んでいたのかもしれない。

 

 

***** 2023/9/1 *****

 

 

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