画面越しの競馬
パークウインズの阪神に来ている。
「競馬は競馬場で観る」という信念を貫くべく先週は福島まで出かけたが、さすがにすべての開催日に福島や函館まで出向くわけにはいかない。他にやらねばならぬことだってある。
それでも梅田のエクセルではなく阪神に来たのは、やはり馬場にこだわりたい気持ちがどこかにあるのであろう。しかしそこは馬のいない競馬場。少しわびしい。若干切ない。どことなく暗い。だが、そんな気持ちで眺めているゆえだろうか、逆にモニター画面の中で走る馬たちの気迫が漲っているのが分かる。こちらはエアコンの効いたスタンドの中に座っているはずなのに、画面越しに現地の暑さと人馬の熱さが伝わってきて、見ているこちらも思わずアツくなってしまう。それで昔の夏競馬の“匂い”を思い出した。
暑い夏の競馬をさらに熱くさせる存在が、しばしば牝馬であることは今も昔も同じ。ダイナオレンジ、ニフティニース、センゴクヒスイ。猛暑をものともせず健気に走る彼女たちを画面越しに見ては、すごいすごいと熱を上げていた。その後、競馬が中央場所に戻ってくれば、それまで画面越しに見ていた彼女たちを、今度は目の前で見ることができる。それでまた熱が上がったのか、ついつい大きく張り込んで泣きを見た。夏の思い出は、秋も深まらぬうちに、苦い思い出に変わる。その繰り返しだった。
「夏馬」の多くは「ローカル巧者」などとも呼ばれる。だが、本当にそうなのだろうか。デビューが遅れたり、デビュー後にひと頓挫あってクラシックを棒に振るかして、絶好調の時季がたまたま夏になった。そういうこともあろう。そこでポンポンと2つくらい勝ったとする。絶好調ならば、なくもない。こりゃあ今後の活躍が楽しみだ。秋は大きいところを狙わせよう。きっと周囲はそう考える。
だが、競走馬の調子のピークはそんなに長続きするものではない。疲れも出てくる。調子が落ちてきたところに「大きいところ」に挑むのは、馬にとってはただの災難であろう。案の定大敗して、すっかり調子を崩してしまったりする。「夏馬」とか「ローカル巧者」などと呼ばれた馬でも、実は「暑さが好き」とか「平坦が好き」というわけではないのかもしれない。だとすれば馬にとってはいい迷惑だ。画面越しに馬を見ていると、いろいろな物事を考える。現場にいては、そこまでの余裕はない。
場外のモニターであれ自宅のテレビであれ、かつて夏の競馬開催は画面越しに見るものだった。それが少なくとも私の決まりであり、さればこそ遥かなる競馬場に対する憧憬の念も募ったのである。場外で見る夏競馬を嘆いてはいけない。遠くにいることで見えてくるものも、きっとある。今日は中京のマカオジョッキークラブトロフィーを勝った3歳牝馬・ブライトジュエリーがのレースぶりが印象に残った。秋には大きいところを狙いたい。
***** 2023/7/8 *****
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