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2023年7月 7日 (金)

短冊と冷麦に願いを込めて

七夕に素麺を食べる風習が知られるようになったのは、ここ数年のことではないか。平安時代から宮中での七夕の行事に素麺が供えられたほか、江戸時代には素麺を糸に見立て、七夕に裁縫の上達を願って食べる風習があったという。もちろん機を織る織姫にあやかってのこと。ちなみに7月7日は「そうめんの日」でもある。

麗しき習慣に倣って私も素麺を食べようかと思ったがやめた。ここは敢えて冷麦にしてみよう。うどんや素麺に比べて、いまひとつ虐げられている感のある冷麦に、七夕の夜くらいスポットを当ててあげるのも悪くはあるまい。

Hiyamugi

「手延べで作るの素麺に比べ、冷麦は機械打ちだからコシがなくて不味い」

そんな声も聞く。

大筋では間違ってはいないが、もちろん手延べの冷麦が存在しないわけではない。手延べ素麺で有名な播州名物「揖保乃糸」は冷麦も作っている。もちろん手延べ製法。だからこの太さであってもコシがあって美味しい。文句を言うなら、まずはこれを食べてからであろう。細いと言っても素麺に比べれば太いので、蕎麦のような軽快な喉越しが味わえるのも魅力のひとつ。これなら織姫様も文句はあるまい。

夏の麺としては、以前は西の素麺に対し東の冷麦という棲み分けができていた。とある研究によればその境目はしっかり関ケ原にあったそうだ。しかし昨今では関東でも冷麦の旗色は悪いという。以前、錦糸町にこだわりの冷麦を出すうどん屋さんがあって、このブログでも紹介したが、今でも冷麦を出し続けているかどうかは定かではない。

「素麺以上うどん以下」という中途半端な存在であることに冷麦の悲哀が凝縮されていると私は感じている。しかし、とあるテレビ番組でマツコ・デラックスさんが「一生同じ麺しか食べられないとしたら何を選ぶ?」という問いに対し、熟考の末「冷麦」と答えたことが意外にも大きな話題となった。密かに冷麦を支持する向きは、私が思うよりももっと多い可能性がある。

7月2日は「うどんの日」。7月7日は「そうめんの日」。しかし冷麦の日はどこを探しても見つからない。細さを極めた素麺は、うどんの対極的な存在として一定の立場を築き上げた。その細さゆえの美味しさも否定しようがない。しかし私は冷麦の持つその中庸さに、なぜか魅かれてしまう。「愛おしい」と書いた方が正しいかもしれない。七夕に食す理由として、それだけでじゅうぶんではないか。そんなことを考えつつ、七夕の夜は更けてゆくのである。

 

 

***** 2023/7/7 *****

 

 

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