鳴尾競馬の記憶
プロ野球は阪神タイガースが絶好調。5月は3連勝、7連勝、9連勝と、とにかく負けなかった。これなら阪神ファンの皆さんは安心して甲子園に行くことができるのではあるまいか。6人の先発投手がいずれもエース級の活躍をしているのだから、序盤に試合が壊れることもない。
その甲子園球場から南に向かって10分ほど歩いたあたりに、武庫川女子大付属中学・高校のキャンパスが広がっている。その一角に立つ「芸術館」と名付けられたレトロな建物は、90年近く前に完成したとある建物をリノベーションしたもの。実は明治から昭和の初期まで存在した鳴尾競馬場の観覧スタンドにほかならない。
この地に競馬場が造られたのは1907年。しかし、翌年には馬券禁止令が発令され、できたばかりの競馬場はいきなり試練を迎える。1917年からは全国高校野球選手権大会の試合会場としても使われた。甲子園と鳴尾競馬のつながりは実は深いのである。しかるのちに安田伊左衛門らの尽力により1923年に競馬法が成立。晴れて馬券が解禁されると競馬場はかつての賑わいを取り戻し、新スタンド建設が急務となった。
現在にその姿を残す新スタンドが完成したのは1935年のこと。芸術館は当時のコースに沿って建てられた細長いスタンドの一部で、現在と同じ5階建て。館内には豪華な貴賓室やエレベーター、水洗トイレも設置されていたという。いまで言うなら京都競馬場の新スタンドにも匹敵する先進的な建物だったに違いない。
一方、時局は戦時色をますます強めつつあった。1923年に競馬法を制定することができたのは、そもそも軍馬の振興を狙う陸軍省馬政局の後押しがあったからにほかならない。戦局の悪化に伴い、1943年に競馬場は接収され飛行場となった。豪華なスタンドは黒く塗り替えられて管制塔として使われることになる。甲子園球場も戦争継続のために球場のシンボルであった大鉄傘を供出させられた。野球ファンや競馬ファンがそれぞれの夢に熱狂した鳴尾の街に眠る大事な記憶を、我々は忘れてはならない。
新スタンド竣工の3年後には第1回オークスがこの鳴尾競馬場で行われている。当時は秋の芝2700mだった。芸術館は競馬史に残る数々のレースを観てきたことになろう。今週末の安田記念は「競馬法100周年記念」の副題が付く。その立役者となった安田伊左衛門の名を冠したレースなのだから当然と言えば当然。その一方でで、前日に行われる鳴尾記念に競馬法100年の歴史を感じるイベントが無いのは―――そのレース名に込められた意味を思えば―――少し残念な気がした。
***** 2023/6/1 *****
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