先生と呼ばれて
JRAサイトの騎手名鑑から「福永祐一」の名前が消えた。あらためて引退を実感する。代わりに掲載された先は調教師名鑑。つまり「先生」と呼ばれるようになったわけだ。昨日も書いたけど……うーむ、馴染めませんな(笑)。
ふと、先日の調教師免許試験で合格した7名の年齢が気になって調べてみた。するとなんと45歳の福永騎手もとい先生が最年長ではないか。7人の平均年齢は41.5歳。30代が二人も含まれている。
小椋研介 40歳
河嶋宏樹 38歳
千葉直人 36歳
福永祐一 45歳
藤野健太 44歳
森一誠 45歳
矢嶋大樹 43歳
ひと昔前まで、私が抱く調教師のイメージは「おじいさん」だった。むろん私自身が若かったせいもある。それでも定年制導入前は70歳を超えてなお厩舎を切り盛りする調教師は珍しくなかった。弟子として所属騎手も多く抱えていたから、そういう意味では「先生」だったに違いない。
だが、昨今は事情が異なる。若手だと思っていた川田将雅騎手も気付けば37歳。千葉直人調教師は年下だ。武豊を筆頭に柴田善臣、横山典弘、岩田康誠、内田博幸といった一線級の騎手たちは、ひと回り以上も年上の存在となる。それで「先生」はさすがにマズくないか。
よくよく考えると「先生」と言う表現は意味深長である。一般的には「学校の教師」「学徳のすぐれた人物」として使われるが、字義からすれば「先に生まれる」、あるいは「先を取っている」ということであろう。だが、世間では「偉いから先生」だと思われているフシがある。これは間違いであることを意識している人は多くはあるまい。だから飲み屋のお姉さんは男性客を「先生」と呼ぶ。呼ばれたほうも喜ぶ。だが、もともとは「先生だから偉い」のである。
しかし現代はそれが成り立たなくなった。教師は生徒を殴れないし、うっかりすると父母に怒鳴り込まれる。余計なことをしない、失点を出さない教師が優れた教師。それなら子守りとなんら変わりはないではないか。こうなると「先生」は偉くもなんともない。
実際、調教師の中には「先生」と呼ばれることを極端に嫌う人がいる。共同記者会見でインタビュアーが「それでは××先生にお話を伺います」と切り出すと、「先生と呼ぶな! はい、やり直し」なんて具合に一蹴されることも。それは場を和ませるための冗談でもあるわけだが、若い調教師から「先生ではなく調教師と呼んでください」とお願いされることも最近は増えたそうだ。
私はかつて予備校で講師のバイトをしていたことがある。そのときは「先生」と呼ばれた。真剣に教員になろうかと考えたこともないではない。なんだかんだで教員免許も取得した。しかし結果的に私が「先生」と呼ばれたのはその時だけ。なんでも、そのときの教え子の一人が地元の市議会議員になったらしい。かつての教え子はいまや「先生」である。なんだか不思議な感覚だ。
***** 2023/3/1 *****
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