変りゆく被災地・船橋
来週は船橋でダイオライト記念が行われる。例年3月中旬に行われるこのレースが、5月に行われたことがあったことを覚えておいでだろうか。スマートファルコンが勝った2011年のこと。理由は言うまでもなく、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響である。
地震発生直後に中止された大井10Rから、4月12日に川崎が再開されるまでのまるまる1か月間。帯広ばんえいを除き、東日本からいっさいの競馬が消えた。
津波が街を押し流し、原発が煙を吹き、電力不足から東京の夜が暗闇と化した中で、競馬どころではなかったのは当然のこと。だが、不謹慎な告白をすれば、「ひょっとしたら、このまま東京から競馬が無くなってしまうのではないか」という不安に苛まれていたのも事実。南関東の厩舎に馬を預ける身として、競馬を心配せぬわけにはいかなかった。地震発生後に船橋の調教師と連絡が取れた時の私の第一声も、「馬たちは大丈夫ですか?」だったような気がする。我ながら恥ずかしい。まずは調教師、ご家族、スタッフの安否を尋ねるべきだが、先の見えない不安の中で私も取り乱していた。
その時、電話口から聞かされた船橋の惨状は予想を大きく上回るものだった。家族、スタッフ、そして馬たちは無事。それは良かった。だが、周囲がひどいことになっている。あちこちから泥水が噴き出して、ダートコースは水浸し。亀裂が入っている箇所もある。電信柱が傾いて停電しているし、水道も使えない。
コースが使用不能であることは明らか。馬に断水というのも厳しい。1か月に及ぶ開催中止のうち、大井、川崎、浦和の3場は自粛の色合いが濃かったが、こと船橋に関して言えば、そこが被災地ゆえであった。いま思えば、5月に競馬が再開されたこと自体が、奇跡のようにも思えてならない。
あれから12年。船橋の通年ナイター開催は、あの震災によって大幅に落ち込んだ売上を取り戻す目的で始まった。そんな船橋競馬場は来年3月のグランドオープンに向けて大規模改修工事の真っ最中。すでに一部スタンドやパドック周辺は既にリニューアルされているらしい。さらに来年春には「ららぽーと」や「ビビットスクエア」に近い位置に入場門が移設されとのことで相乗効果も期待できる。もちろんスタンドには災害時の避難所機能を持たせるそうだ。12年目の節目に“被災地・船橋”の記憶をあらためて思い起こすと同時に、変貌を遂げる船橋競馬場の姿を早く見てみたい。
***** 2023/3/11 *****
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