霞か雲か
昨日、東京でソメイヨシノの開花が発表された。3月14日の開花宣言は2020年、21年に並び観測史上最速。とはいえ直近4年のうち三度目ともなれば、いちいち驚くこともなくなった。
驚かされたのはニュース番組に流された映像である。開花宣言を待ちわびる大勢の人たちが桜の標準木を取り囲み、気象庁の職員が開花をチェックするのを見守っていた。しかるのちに職員が「開花を発表します」と手話を交えて“宣言”すると、観衆から拍手まで沸き起こったのである。
気象庁が行う「生物季節観測業務」は植物12種、動物11種の開花や初鳴きなどの現象を観測するもので、観測結果は季節の進み具合を探るための貴重な資料となっている。桜の開花観測はそのひとつに過ぎない。
観測場所は、基本的には各気象台の構内と決められているが、東京の場合、気象台がオフィス街のど真ん中にあるため、対象となる動植物が構内に見あたらない。それでやむなく桜に関しては、2キロほど離れた九段の靖国神社境内の木を標準木と定め、気象庁の職員がわざわざ出向いて観測しているわけだ。実際には開花を「宣言」しているのではなく、各気象台が気象庁に「報告」していると言うのが正しい。手話を交えての“宣言”は気象庁の粋な演出ということであろう。
桜以外の一部の対象物については、靖国神社からさらに離れた世田谷区の東京農大周辺で観測が行われている。つまり馬事公苑のお隣ですね。ここでは植物10種のほかに、動物ではウグイス、ツバメ、ヒグラシ、アブラゼミの4種が観測対象だそうだ。ちなみに、ツバメは初めて目撃された日を、そしてウグイス、ヒグラシ、アブラゼミは、初めてその鳴き声が聞こえた日を報告することになっている。
それにしても日本人の桜に対する情熱は凄い。そも「花」という言葉自体が桜を表す。花曇り、花冷え、花あらし―――。移ろいやすい春の空模様さえも、花(=桜)を使って表現するほど日本人と桜は密接な関係を築いてきた。生物季節観測業務に拍手が湧くのも分かる気がする。世界広しといえど、「花見」という文化を持つ民族も、おそらく日本人だけであろう。
ただし、である。私自身は満開の桜の下で大勢で酒盛りをするステレオタイプな花見の経験を持たない。別に嫌っているわけではないが、たまたまそういう機会に恵まれなかった。私の花見は缶ビールを片手に桜並木を散策する程度。その後、目に付いた店に入って、ゆるゆると飲むのが楽しい。
若い時分には、「花見を兼ねて」という名目で中山に行くことも間々あった。これはレジャーシートにお弁当というスタイルではある。しかし中山では「桜の木の下で」というわけにはいかない。なにせ桜は外回りコースのさらに向こうに咲いている。遥か彼方で咲き誇る桜に「おぉ!」と感嘆の声をあげるのは、せいぜい乾杯の瞬間までで、あとは新聞と馬しか目に入らないこともしばしば。しかし、これはこれで楽しいのだから仕方ない。
それでも、たまにレースの合間にぼんやり遠くの桜を眺めてみたりもする。それで悦に入って日本酒をちびりと舐めたりするのは、やはり日本人だからであろう。遠くスタンドから眺める桜は、淡いピンクの霞にも見え、なるほど「霞か雲か」と歌われた理由が理解できたりもした。
とはいえ、そんな風情もレースが始まればどこかに吹き飛ぶ。「そのまま」とか「差せ!」などと騒ぎ立てた挙句、オケラになって帰るのはいずこも同じ春の夕暮れ。ただ、この季節だけは競馬終わりに西船橋駅方面に向かって歩きたい。南門を出てしばらく歩くと、桜が美しいスポットを通るのである。運良く風が吹けば、圧巻の桜吹雪を見ることができるかもしれない。遠くから眺める桜も悪くないが、間近で見る桜は負けて傷ついた心を癒してくれるものだ。
***** 2023/3/15 *****
| 固定リンク
コメント