アフターコロナの洗礼
天気も良いことだし、早起きして京都東山界隈を歩いてみた。
光明院は室町時代初頭の1391年に創建された東福寺の塔頭。枯山水の庭が有名で、淡い光が差す方丈の縁先に、深い緑をたたえたスギゴケと白砂の対比が美しい。その背後に青々とツツジが茂り、さらにその上には満開の桜が輝いている。耳に届くのは小鳥のさえずりのみ。信心とは無縁の私でさえも、自然と無念無想の境地に引き込まれる。
この庭が好きでよく訪れるのだが、自分以外誰もいないというのは初めて。もともと秋のモミジが美しいと評判だが、こうして桜も咲いているではないか。とはいえ「秋に訪れるべき場所」というイメージが定着しているのかもしれない。視界を埋め尽くす桜並木も美しいが、こういう景色の中に溶け込む一本桜も風情がある。何より人がいないのが良い。
次に訪れた雲龍院では庭に一本だけ咲く桜が満開を迎えていた。南北朝時代の北朝・後光厳天皇の勅願で作られたお寺で、「京都駅から一番近い奥座敷」とも呼ばれる観光スポットだが、ここにも観光客の姿はない。座敷に座ってひとり桜を眺めていると、あっと言う間に1時間が経った。遠くで鶯が鳴いている。こんな贅沢はそうそうあるまい。
桜を眺めるうち、一昨年の桜花賞を思い出した。ソダシが勝った桜花賞。それなら相当の人数が競馬場に詰めかけそうなものだが、当日の入場者数は3137人と記録に残る。なにせ一般入場券の発売はなし。屋外席も使われず、屋内スマートシートは4席あたり1人という厳しい入場制限がかけられていた。しかも声出しは禁止である。ソダシが勝てば声も出そうなものだが、ゴール後も大声を出し続けた客が職員に囲まれる騒ぎにもなった。つまりそれだけ静かだったということ。静寂の中でひとり桜を見つめるうち、不意にあの桜花賞と何かが繋がったのである。
高台寺へ向かうと状況が一変した。
見渡す限りの人、ひと、ヒト。先ほどまでの静寂が嘘のよう。呆然とする私の隣に大型観光バスが停まり、次々と人が降りてくる。引き返すことも考えたが、結構な坂を登ってきたことを思うとそれももったいない。ここへきて妙な貧乏根性が決断の邪魔をした。結果、一本の枝垂れ桜を観るのに人の海を泳ぐ羽目に。3年に及ぶコロナ禍は人込みに対する忌避感を増長させたが、新型コロナが5類に移行したとしても、身体に染み付いた感覚は簡単に拭えない気がする。
昨日のJRA定例会見では、新型コロナの5類移行後は「コロナ禍以前の形に戻すことを基本とする」との方針が示された。現時点で既に一般入場者に対する規制は無いに等しい。ということはスマートシートを廃止するのか。あるいは未だに続く馬主席の利用制限は撤廃されるのか。興味は尽きない。
ソダシの快走から1年が経過した昨年の桜花賞の入場者数は8530人だった。果たして今年はどうなるか。高松宮記念が1939人⇒5931人⇒21129人と推移したことを物差しにすれば、桜花賞は3万を超えるだろう。高台寺の人込みごときに怯んでいるようでは、仁川の桜を観ることもままならない。これも時代の節目だろうか。
***** 2023/3/28 *****
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