トラックマン
今月に入って各社採用活動が本格化。今日は学生の相手で一日つぶれた。どの業米も慢性的な人手不足の昨今、選ぶのは学生の方であり、選ばれる側の肩身は狭い。なにせ衰退激しいメディア業界。「ウチを選んでください」。そう顔に出てしまっている可能性もある。JRAがジョッキーの体重要件を緩和するのは企業努力として正解に違いない。
そんな中にあって競馬メディアには、まだ一定程度の新卒志望者がいるそうだ。同じメディアでもこの格差はいったいどうしたことか。
昔は逆だった。大卒で競馬記者になると言い出したら、「どうした」「やめとけ」「気が触れたか」と周囲が慌てて止めたものである。「トラックマン募集」の求人広告を出したらトラックの運転手さんが採用面接に来た、なんて話題も列挙に暇がない。
「トラックマン」は我々が思うよりずっと世間に馴染みの薄い職業だった。今もそうかもしれない。大雑把に言えば競馬専門の記者のこと。野球、ゴルフ、サッカー、相撲……等々。スポーツ記者の取材対象は数あれど、競馬だけはその特殊性からか完全専門職となることが多い。
そこには「予想」という他のスポーツにはないファクターの存在がある。スタンドの記者席から声援が飛ぶというも競馬場ならではであろう。TV解説の放送中にうっかり「そのまま!」と叫んでしまったツワモノだっている。
競馬記者の予想は、本人→会社→読者と影響を広げる。だから彼らが受ける喜びや悲しみの量は、読者一人の何十倍にも膨れあがる。そんなプレッシャーに潰されそうになりながらも、ボディーブローに耐えながらラッキーパンチに望みをつなぐボクサーの如く予想を絞り出さなければならない。
しかし、これだけ情報量のあふれる現在、特にGⅠレースでは見逃されている要素などあり得ないのも事実。プロのトラックマンも、競馬を始めて1ヶ月の初心者も、手にしている情報にさほどの差はない。最終的には分析力よりも決断力がモノを言う。
競馬は「人生の縮図」と言われる。微妙な選択が大きな明暗を分けるせいだろう。穴場で気が変わって泣きを見ることなど日常茶飯事。「満点のない試験のくり返し」とこぼす記者もいれば、「誰も自分の予想に目を向けなくなる夢ばかり見る」と打ち明けるベテラントラックマンもいる。単なる比喩ではなく、彼らはリアルな「人生」として競馬に対峙してきた。
それでも競馬記者になりたいと思う若者がいるこの業界を、いち競馬ファンとしては喜ぶべきなのだろう。ただ採用担当者としてはライバルである。福永先生の誘導姿も、引退式も、もちろんチューリップ賞のレースそのものも、観たかったなぁ。
***** 2023/3/4 *****
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