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2023年3月18日 (土)

ベストレース

2000年12月、4歳のナリタトップロードはGⅡステイヤーズSに出走してきた。

当初の狙いは一週前のジャパンカップだったが、賞金順の出走馬選定でステイゴールドやアメリカンボスにさえも及ばず、除外の憂き目を見たのである。ステイヤーズS出走は、言わばやむを得ぬ選択。それでもファンは単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持した。菊花賞馬の看板を背負えばそれも当然か。しかしあろうことか4着に敗れてしまう。ナリタトップロードと渡辺薫彦騎手。デビュー以来16戦に渡り続いてきたコンビだったが、有馬記念を前にして管理する沖調教師はついに乗り替わりを決断した。その鞍上に指名されたのは、前年まで有馬記念を2連勝していたベテラン・的場均騎手である。

当時、渡辺騎手は中山コースで一度しか勝ったことがなかった。それがナリタトップロードで勝った前年の弥生賞。その弥生賞の朝、渡辺騎手はひとり芝コースを歩いたという。歩いて馬場状態を確認する騎手はGⅠでは珍しくもないが、GⅡでは珍しい。つまり彼はそれだけ中山での騎乗経験が少なかった。

一方の的場均騎手は関東のトップジョッキーのひとり。中山のコースは当然熟知している。それでも当時はこの乗り替わりに驚く人が少なくなかった。ルメール騎手や川田将雅騎手でさえGⅠを前に降ろされることも珍しくない現在のご時世からすれば、ちょっと想像が難しいかもしれない。

しかし、沖師は渡辺騎手を完全に見捨てたわけではなかった。的場騎手は、既に調教師試験に合格しており、翌年2月での騎手引退が決まっている。いわば期間限定の乗り替わり。このまま渡辺騎手が手綱を取り続けても同じことの繰り返しだろうから、一度離れたところからトップロードのレースを見届けさせようという作戦だった。

ナリタトップロードは的場騎手の手綱で有馬記念9着。続く京都記念でも3着と勝つことはできなかったが、渡辺騎手に手綱が戻った阪神大賞典では後続に8馬身差をつける圧倒的なレースで優勝を果たす。ウイナーズサークルで左手を挙げた渡辺騎手の目には光るものがあった。この乗り替わりの経験は調教師となった今になって、さらに役立っているに違いない。

Toproad

3分2秒5は当時の世界レコード。今は調教師となった渡辺師は、ナリタトップロードとの数々のレースの中でもこの阪神大賞典こそがベストレースだと言い切る。そんなパフォーマンスを生み出したのは、沖調教師が下した苦渋の決断とそれに応えた渡辺騎手の揺るがぬ信頼関係のたまものであろう。今年、渡辺厩舎からは新人の河原田菜々騎手がデビューした。明日は3頭に騎乗予定。師の思い出のレースが行われるその日に初勝利を届けたい。師弟の信頼関係は受け継がれてゆく。

 

 

***** 2023/3/18 *****

 

 

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