東風吹かば
先週末、暖かな東風に誘われて奈良の町を歩いた。銘酒「春鹿」で知られる酒蔵「今西清兵衛商店」では500円で試飲ができる。5種類+サービス1種類の合計6銘柄。どれもラベルに鹿の絵柄が描かれていて可愛いが、どっこい最初に出てきた一杯は超辛口だった。そこは創業130年を超える老舗。安易に甘口に流されたりはしない。ラストには自家製の奈良漬けも試食してすっかり酔って店を出た。
奈良の景色に鹿は欠かせない。奈良公園周辺にはいたるところに鹿がいて、外国人観光客に鹿せんべいをねだっている。外国の街中で馬を見かけることはよくあるが、鹿となるとかなり珍しいに違いない
かつて日本の馬は欧米の馬に比べて極めて華奢だった。ワールドスーパージョッキーシリーズ(WSJS)で来日した外国人騎手が、帰国して「日本で鹿に乗ってきた」と言い放った逸話はそれを端的に表している。それこそ「馬鹿」にされたわけだ。
しかし、今では日本の競馬をバカにする外国人騎手などほとんどいまい。サウジカップミーティングの結果を見れば一目瞭然。ドバイワールドカップに至っては出走全14頭のうち半数を超える8頭が日本馬である。親日家で知られるフィリップ・ミナリク騎手は、ミュゼエイリアンで勝った昨年の東風Sが日本でのもっとも大きなタイトルだった。バーデン大賞4勝の名手も日本ではそうそう簡単に勝たせてもらえないことの裏返しでもある。
漢字で「馬鹿」と書くのは当て字に過ぎない。馬はバカを代表するような愚かな動物ではないことを、我々競馬に携わる人間は知っている。まず、馬は人を見ることができる。下手な乗り手が手綱を取ったところで、決して思うように動いてはくれない。馬が人間をバカにすることもあると思えば、人が馬を一方的にバカ呼ばわりするのは本末転倒だ。
李白の詩の中に「馬耳東風」という言葉が出てくる。馬には春を告げる東風の有り難みが理解できないという意味だが、転じて他人の意見に耳を傾けないことの喩えとなった。現代でも使われる言葉として生き残っていることを思えば、馬を見下した李白の責任は重い。
もちろん馬もちゃんと人の言うことは聞いている。入厩してきたばかりの外国産馬に、厩務員が日本語で馬に命令しても言うことを聞かないのに、英語で話しかけたらサッと指示通り動いたなんて話は列挙に暇がない。
逆に私たち人間は馬の声をちゃんと聞けているのだろうか?
馬は言葉を喋らない代わりに感情を耳の動きで伝えてくれる。先週の東風Sでワンツーフィニッシュを決めた金子オーナーなどは、「目で聞き取れる」クチではなかろうか。でなければあそこまでの成績は残せまい。私も必死に馬耳に目を向けて馬の声を聞き取りたいと頑張っている。でないと馬にバカにされてしまう。
***** 2023/3/13 *****
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