【訃報】ハーツクライ
ハーツクライの急死が報じられた。22歳。種牡馬としての役割は2年前に引退し、功労馬としてそのまま社台スタリオンで暮らしていた。私としては昨年会ったのが最後ということになる。種牡馬を引退しても、その眼光は輝きを失っていなかった。
訃報に触れてあらためてあの有馬記念を思い起こしてみる。
誰もが驚く先行策に打って出て、ディープインパクトの追い込みを封じたC.ルメール騎手の手綱捌きは、今なら「神騎乗」などともてはやされるかもしれない。実際「ある程度は前に付けよう」と考えていたことは事実。とはいえ、ルメール騎手本人にとってもタップダンスシチーとオースミハルカに次ぐ3番手という位置取りは想定外だったに違いない。
というのも、レース前の輪乗りの際にハーツクライの覇気が足りないと感じたルメール騎手は、それならとゲートを出る瞬間に軽く気合をつけたという。そしたら馬の方がしっかり反応してあのポジションになったらしい。何が幸いするか分からないのも競馬。結果的にルメール騎手にとって日本での初めてのGⅠ制覇となり、ディープインパクトにとってはデビュー以来初めての敗戦となった。
レース中の熱気と、ゴール後の場内の異様な静けさは忘れようがない。確定を待つ間、ハーツクライの山本厩務員が馬の顔をじいっと見つめて涙を流していたことも印象に残る。
それにしてもハーツクライという馬のなんと凄いことか。
ジャパンカップでマークした2分22秒1には度肝を抜かされた。世界でも類を見ない「極限のレース」を繰り広げたからには、それなりの代償があると考えてしまうのが普通。しかし結果はまるで逆で、有馬記念で自身初のGⅠ優勝をつかみ取ると、返す刀で海外GⅠ制覇まで勝ってしまったのだから驚かずにはいられない。
しかも、鬼門の中山、無敗の3冠馬、初の海外遠征、日本では考えられないほどの時計のかかる馬場等々、決して低くはないハードルをクリアしてのGⅠ連勝である。馬が変わったと言っても過言ではあるまい。あのジャパンカップの前に何かがあったのだろうか、とついつい考えてしまうのだが、やはり母アイリッシュダンスの血が開花してきたという結論に辿りついて着いてしまうのである。
5歳になってから重賞を2勝したアイリッシュダンスのデビューは意外に遅く、3歳夏の新潟戦だった。しかも秋の未勝利戦までに勝ち星を挙げることができず、初勝利はデビューから1年近くが過ぎた4歳夏の福島。500万の一般戦に格上挑戦しての初勝利だった。
ひとつ勝った後は順調に勝ち星を重ねて行き、さらに1年後にはデビューの地で2つの重賞タイトルを獲得している。母が初めて重賞を勝った5歳春にハーツクライが海外GⅠタイトルを手にしたことを考えるとき、母アイリッシュダンスの成長曲線とハーツクライの成長曲線がほぼ重なって見えてこないか。
アイリッシュダンスの血はハーツクライの中に脈々と生き続け、さらにジャスタウェイやスワーヴリチャード、そしてやがてはサリオスやドウデュースを通じて走り続けることになる。
キングジョージの最終コーナーから直線。ハリケーンランを馬なりで交わして先頭に立った時、テレビ画面に向かって思わず叫んだ。「ハーツ! 行け!」これが私の「心の叫び」。恥ずかしくも良い思い出。欧州最高峰の舞台で世界トップクラスと互角に戦ったシーンは今も忘れがたい。名馬にして名種牡馬の冥福を祈ろう。合掌。
***** 2023/3/10 *****
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