初勝利がクラシックの偉業
明日の阪神メインは桜花賞トライアルのチューリップ賞。そこになんと未勝利馬のルカン(父ハーツクライ)が登録してきた。
JRAにおいて未勝利馬が出走可能な重賞は限られている。2歳重賞と3歳春シーズンに行われるクラシックのトライアルレースのみ。とはいえ、さすがにそれを勝ったという例を私は知らない。そもそもたいていの未勝利馬は除外されてしまうもの。だが、チューリップ賞はなぜかフルゲートにならないことで知られる。今年も登録段階で17頭と全馬出走可能だった。
チューリップ賞は1~3着馬に桜花賞への優先出走権が与えられるが、クラシックレースの出走条件には「未勝利馬・未出走馬を除く」の一文があるから、ルカンに限れば3着ではダメ。でも2着ならOKというあたりが分かりにくい。JRAの定義では「未勝利馬」とは「収得賞金が0円の馬」であるから、重賞2着による収得賞金が得られる2着に入れば、桜花賞出走に障壁はない。だから明日2着となって桜花賞に向かうことになれば、ルカンには「1着を経験したことのない馬による桜花賞制覇」という空前の大記録への期待がかかる。
「空前」と書いたが、過去に惜しいケースがなかったわけではない。1939年のオークスで大差の1位入線を果たしたヒサヨシは、驚くことにこのレースが初出走。デビュー戦でのクラシック制覇という前代未聞の大記録だった。
だがしかし、レース後の薬物検査でアルコールの反応が出てしまう。ヒサヨシは失格。大差2着のホシホマレが繰り上がりで勝ちを拾った。ちなみに、この2頭はいずれも名義上は大久保房松調教師の管理馬であるが、実際に調教を課していたのはシンザンでお馴染みの武田文吾調教師である。武田師はこの裁定に納得しなかった。当時の薬物検査が現在のように完璧なものではなかったせいもある。
もちろん日本競馬会(現JRA)が武田師の抗議を認めるはずがない。当時の検査方法は帝国大学の田中博士が提唱したもので、「田中式」と呼ばれていた。競馬会は「田中式では興奮剤(アルコール)を使っていない馬からの反応はありえない」の一点張りである。その田中式による検査は、なんとこの開催だけで19頭もの1着馬を「失格」と断罪していた。
田中式そのものに疑問を抱いていた武田師は、ヒサヨシの名誉回復のために執念を燃やす。自ら大阪大学薬理学教室の今泉助手らの指導を受け、田中式の非合理性を証明する実験に成功。実験結果を農林省馬政局に提出した。
馬政局は渋々検証実験を行う。1か月間厳重に隔離した競走馬20頭で模擬レースを行い、しかるのち田中式による薬物検査を行った。するとあろうことか、数頭が陽性反応を示したのである。この馬たちがアルコールを投与される機会などあり得なかったはず。おかしい。いったいどういうことだ? 実は、田中式では馬房の汚れや正常な飼い葉に対しても反応を示してしまうことが、のちに明らかになる。
ヒサヨシのオークスから2年後の1941年、農林省馬政局と日本競馬会は田中式の撤廃を発表。武田師の執念はついに実った。だが、それでヒサヨシのオークスの失格が取り消されたわけではない。
古馬となってからのヒサヨシは屈腱炎を抱えながら7戦するも2着が精一杯だった。記録上は「未勝利」のまま競走生活に別れを告げている。オークスでの失格が彼女の運命を狂わせてしまったことは間違いなかろう。ルカンが明日のチューリップ賞を2着になり、そして来月の桜花賞を制するようなことがあれば、ヒサヨシのオークスが再び脚光を浴びることになるかもしれない。注目しよう。
***** 2023/3/3 *****
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