ブログの日
ここ数日、このブログへのアクセス数が一時的に激増した。何があったかは知らないが、千が万になれば何かあったと考えるのが普通であろう。しかし、大半の来訪者は読んでガッカリで終わったのではあるまいか。なにせ、持ち馬はまるで走らず、馬券もまるで当たらず、暇に任せてうどんばかり食べ歩いているヤツが、しかも匿名で書いていることである。
今日2月6日は「ブログの日」らしい。
私がブログを書くのは、世の中の人に伝えたいことがあるから―――と書けば大袈裟に過ぎる。むろん伝えたいという気持ちはゼロではないから、ブログの閲覧数が伸びるのは悪い話ではない。だが、その中身の大半は私が考えたことのメモみたいなもの。ためになるような内容ではない。メモだから書き終えた時点で私の中では済んでしまった話。もう本人は次のことを考えている。このブログはそれを踏まえてお読みいただきたい。
今なら働き過ぎについて考えている。つい先日、仕事場でそういう事案があった。「もっと残業を減らす工夫をしろ」。上司からそう言われたから考えているに過ぎない。数年前には電通の長時間労働問題が世間を騒がせた。それを受けて真っ先に電通を指名停止にしたのは、ほかならぬJRAである。おかげで私の中ではあの事案を「過重労働問題」ではなく「競馬の問題」として認知したフシがある。
JRAのみなさんの働きぶりを知らぬわけではない。みなさん朝早くから夜遅くまで懸命に働いていらっしゃる。それはひとえにファンに良い番組を提供するためであろう。そんなJRAが「働き過ぎはけしからん」と言って電通を指名中止にした。JRAにしてみれば内規に従ったまでだろうが、なんとも不思議な世の中である。
たまに「何年何月何日のブログにあんたはこう書いたじゃないか!」などという指摘を頂戴することがある。最近の記事の内容が、過去のエントリの内容と矛盾するらしい。このURLで書き始めたのが2012年のジャパンカップ。さらにその前にも7年間ほど別のURLで書いていた。それだけ長くやっていれば、そういうお叱りのひとつやふたつ致し方ない。なにぜこの2頭の子が再度GⅠで勝ち負けを演じる時代である。
新聞なら古い記事の大半は古新聞として捨てられるが、ブログは残る。むろんエントリを削除することもできるが、それじゃあメモの役目を果たさない。それでそんなお叱りが届く。しかし、そのおかげで自分の考えが変わっていることに気付かされるのだと思えば、悪い話でもない。そりゃあ、誰しも考えが変わることだってあるでしょうよ。
具体的な例をひとつ挙げる。ひと昔前まで私は馬券を買うにあたり競馬新聞など不要だと考えていた。馬券の買い目をなぜ他人に指南してもらわにゃならんのか?
大半のレースは過去に見ているわけし、そもそもパドックで馬を見て買う馬券こそ王道だと信じていたフシがあった。私が新聞が邪魔だと考えていたのは、そんな理由からであろう。馬券の成績は褒められたものではなかったが、そのスタンスでじゅうぶん楽しめたのだから、それで問題はなかった。
だが、今はなるべく競馬新聞を買うようにしている。最近は競馬場で大きなカメラを持ち歩かないので、手持ちぶさたになったことがひとつ。廃れゆく紙媒体を応援したいという気持ちもゼロではない。若い競馬記者がどんな記事を書いているのかも気になる。午前2時の調教から、夜9時のナイター競馬まで、ぶっ通しで仕事をこなす彼らの姿を知っていれば、気にならぬはずがない。そもそも過去に見たはずのレースを忘れるようにもなった。すなわちトシを取ったのである。トシと共に変わるのは何も容姿だけではない。
こう書くと失礼かもしれないが、新聞はちょうど良い暇潰しにもなる。隅から隅まで活字を追えば、数時間などあっという間。スマホの画面でここまで執拗に文字を追うのは難しい。忙しいと言いつつ、最近では一度暇になると徹底的に暇になるようになった。これもトシを取ったせいかもしれない。実は「暇潰し」こそ、これからの日本が考えるべき大きなテーマになる。ひそかに私はそう考えてもいる。
いい大人が暇潰しに没頭する姿が白い目で見られたのは、もはや過去のこと。必死に働かなければ生きていけない―――そんな昔の話だ。今はうっかり働きすぎると周囲から袋叩きに遭う。電通問題に端を発した働き方改革が叫ばれて久しい。私だけでなくJRAや競馬記者たちも気を付けるべきであろう。時代と共に人の考えも大きく変わる。それは私ひとりに限ったことではない。
***** 2023/2/6 *****
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