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2022年12月 3日 (土)

続・マイルの申し子

11月21日付に使ったタイトル「マイルの申し子」。この言葉は誰かから聞いたフレーズだったように思うのだが、それが誰だか思い出せない。そんなモヤモヤを抱えるうちに、暦は師走になり、今日から暮れの中山開催が始まった。それで思い出したのである。そうだ。大川先生だ!

Kjiro

「ダイタクヘリオスはマイルの申し子と言えるんじゃないですか。1800までならマイペースの競馬をされたら太刀打ちできる馬はいませんよ」

1992年。当時のスプリンターズSは有馬記念の前週に行われていた。その朝、そう私に語りかけてきたのは「神様」こと大川慶次郎氏。中山開催時の大川氏は、世田谷のご自宅から小田急線、千代田線、東西線、路線バスを乗り継いで競馬場に通われていた。偶然にも私も毎週末に同じ電車の同じ車両を利用していたこともあり、氏の貴重なお話を伺いながら競馬場までのわずかな―――しかし濃密な―――時間を過ごせたことは身に余る光栄と言う他はない。

1992年スプリンターズSの朝、氏のお話のテーマは「ダイタクヘリオスについて」だった。西船橋駅の改札をくぐり、遥か先のロータリーに停まっていた競馬場行きのバスを見つけ「乗りましょう!」と言って走り出した氏の後を慌てて追い掛けながら、それでもダイタクヘリオスの話題は長く続いたと記憶している。

Daitaku01

この年の始動戦となったマイラーズCは60キロを背負って5馬身差の圧勝。毎日王冠では日本レコードの逃げ切り。そして何よりコースレコードを記録したマイルCS連覇が素晴らしい。シンコウラブリイもヤマニンゼファーもまったく歯が立たなかった。

Daitaku02

そんな風にダイタクヘリオスを高く評価していた大川氏ではあるが、その一方で「今日で引退させるならばJRA賞(最優秀短距離馬)でも彼に投票するんですがねぇ……」と含みを持たせた発言をされていたこともまた事実だ。

年内引退が決まっていたダイタクヘリオスは、スプリンターズSの翌週に行われる有馬記念にも出走を予定していた。「マイルの申し子」。「1800までなら」。そう評価する大川氏にとって、連闘での有馬記念出走は理解しがたいローテーションだったのだろう。

そもそもダイタクヘリオスのローテーションは、デビュー当時から一流馬のそれとは少し異なっていた。

2歳10月のデビュー戦で3着に敗れると中1週、連闘と矢継ぎ早に未勝利戦に出走して初勝利を挙げると、返す刀で中1週となるデイリー杯に挑戦するも4着に敗れ、12月のさざんか賞で2勝目を挙げたかと思いきや、またもや連闘で阪神3歳Sに出走してアタマ差の2着に健闘した。10月7日のデビューから12月17日までの2ヶ月余りで実に6戦を消化しているのである。

そんな2歳シーズンから3年が経過していた。

スプリンターズSでニシノフラワーの4着に敗れたダイタクヘリオスは、予定通りの連闘で有馬記念に挑む。レース中盤に13秒台のラップが登場するような先行馬有利のペース。しかし、ダイタクヘリオスと一緒に先行したメジロパーマーがまんまと逃げ切ってしまったレースの遥か後方で、上がり3ハロンに38秒6を要し、アゴを上げ、歩くようにゴールしたダイタクヘリオスの姿を見た時、私は一週間前に聞いたばかりの大川氏の言葉を思い起こした。

Daitaku03

結局この年の最優秀短距離馬は桜花賞とスプリンターズSを勝ったニシノフラワーが獲得。最優秀内国産馬もメジロパーマーの手に渡り、ダイタクヘリオスはタイトルとは無縁のまま引退する。

「最優秀短距離馬に加えて最優秀マイラーの創設を」という声は今でもたまに聞こえてくるが、そのきっかけになったのがダイタクヘリオスの1992年シーズンであったように思う。とはいえ、ダイタクヘリオスのスプリンターとしての資質を評価する声があったことも間違いない。ただ、最後の最後にその評価をコミットさせることに失敗してしまった。それだけのこと。つくづくレース選択は難しい。

 

 

***** 2022/12/3 *****

 

 

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