午夜博彩
今年の香港国際レースが明日に迫った。
昨年は2勝、一昨年も2勝、3年前は3勝。近年は4つのカテゴリを日本馬が席巻している。後続を3馬身ちぎったモーリスのカップは衝撃。ロードカナロアのスプリント連覇は圧巻。日本馬がマイル、ヴァーズ、カップを3連勝した2001年は恐怖すら覚えた。そしてハクチカラ以来36年ぶりの日本馬による海外重賞制覇となった1995年のフジヤマケンザンの歓喜は今も忘れようがない。
そんな中にあって、1998年のカップを勝ったミッドナイトベットだけが、なんとなく世間から薄い印象を持たれているような気がしてならない。そうは思いませんか?
1998年の香港国際カップは、香港ダービーの勝ち馬ヨハンクライフや、安田記念でタイキシャトルの2着したオリエンタルエクスプレスなどの地元香港勢が人気を集めていた。日本のミッドナイトベットは、14頭立ての12番人気という超伏兵。5連勝で京都金杯も京都記念も制した1年前の勢いはすっかり影を潜め、日本を発つ直前のカシオペアSではブービーに敗れていたことを思えば、そんな低評価もやむを得なかったのかもしれない。
レースは五分のスタートを切ったものの、300mほど進んだあたり他馬に前をカットされ、ずるずると最後方まで下がってしまうという最悪の展開。私の隣で撮影していた「ギャロップ」誌のカメラマンは、「あぁ、こりゃ掲示板もないわ」とポツリ。彼はミッドナイトベットの複勝にドカンと突っ込んでいた。
それでも3コーナーで早くも河内洋騎手が動いて、4コーナーではなんと先頭。いくらなんでも無茶だと思うところだが、遠目に見ても手応えはそんなに悪くない。「あれ? 逆に単勝だったんじゃないですか?」と私。結局そのまま先頭を譲ることなく、ゴールを駆け抜けてしまったのである。
この勝利には3つの大きな意味があった。
まずひとつは、ミッドナイトベットが日本国内では傑出したチャンピオンホースではなかったこと。ミッドナイトベットの勝利により、日本でGⅠを勝てなくても海外に適鞍があれば積極的に出掛けて行こうという流れが加速したように思う。
いまひとつは、勝ち時計の1分46秒9は、95年にフジヤマケンザンが記録したレコードをコンマ1秒上回るものだったこと。日本馬が叩き出したレコードタイムを日本馬が破るという構図は、すなわち日本競馬のレベルの高さの証しにほかならない。
そして最後のひとつは、社台グループにとってこれが初めての海外遠征での重賞勝利だったことだ。
ギャロップダイナのフランス遠征から苦節12年。スキーキャプテンやダンスパートナーでも為し得なかった悲願を4頭目のチャレンジでついに果たしたのである。ミッドナイトベットに帯同して現地で調教を任されていた社台ファーム山元トレセンの袴田調教主任は、12年前にもギャロップダイナと一緒に渡仏して馬と苦楽を共にした人物。表彰式での喜びようも際だっていた。ステイゴールドやハーツクライを経てラヴズオンリーユーやマルシュロレーヌへと至る彼らの海外における躍進の起点になった一戦。あれから24年目の香港で果たしてどんなドラマが生まれるのだろうか。注目しよう。
***** 2022/12/10 *****
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