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2022年9月14日 (水)

ゲイタイムの血

日本のエリザベス女王杯は今年で47回目を迎える。牝馬限定の11ハロンという条件のみならず、秋の京都という舞台も相まって、我が国屈指の「美しいレース」という印象が強い。

Sakuracandle

昨日付で、「エリザベス女王」の名を冠したレースが英連邦以外の国で定期的に開催されるのは異例と書いた。そのきっかけとなったのは1975年の女王陛下来日であるわけだが、そもそも女王陛下来日のきっかけを作ったのは、誰あろう時の総理大臣・田中角栄である。

田中角栄は1973年9月に英国を公式訪問。女王陛下とも言葉を交わす機会を得た。田中角栄がJRAの馬主だったことを知る人はもはや多くはあるまい。夫人名義ではあるがオークスも勝っている。女王陛下との会話ではその知識を存分に発揮したらしい。そのあたりの事情は「田中角榮 私が最後に伝えたいこと」(佐藤昭子著)に詳しい。多少長くなるが引用させていただく。

 ◇ ◇ ◇ 

田中は競馬についてはいささか薀蓄があったので、得意になって競馬談義をして、女王を多いに愉しませている。お会いすると、まず「日本の馬主というのは、どうなっているんですか」とご質問されてきた。田中はびっくりして、「どういうことですか」と聞き返すと、女王は「日本の名もない人たちが来て、わが国のいい種馬をみんな買っていってしまいます。どうするつもりなのでしょう」とのことだった。

田中は、「私も九歳の時から馬に乗っております。戦前、日本陸軍に召集された時は騎兵でした。それで馬は今でも大好きです。イギリスの馬を買い叩いてご迷惑をかけているなら話は別ですけど、高値がついているのは必ずしも悪いことではないと思います」と答えて、「女王がお持ちなさってたゲイタイムは日本に輸入されて、その子どもはダービーに二度も勝っていますよ」と言ったら、女王はとても嬉しそうな顔をされたという。

女王はたまげて、「あなたは専門家ですね」と言うので、田中は「専門家ではない、余は騎士である」と答えて、二人で大笑いしたという。

田中がが「ぜひ日本へいらして下さい」と言ったら、女王は「喜んで伺います。東京へ行ったら、どこへ案内してくれますか」というので、「東京競馬場へご案内します」と答えて、また二人で大笑いした。

 ◇ ◇ ◇ 

この会話が交わされた2年後の5月に女王陛下の来日が実現。ところが東京競馬場への訪問は叶わなかった。「スケジュール多忙のため」とされるが、警備上の問題もあったのだろう。のちに田中角栄は「東京競馬場へ案内してゲイタイムの子どもに乗せてあげたら、日英間の貿易摩擦もなくなっていたのに。それが残念でならない」と悔やんでいたという。

一方、京都競馬場では「エリザベス女王御来日記念」が行われた。来日スケジュールには京都訪問も組み込まれていたから、JRAとしてはこちらに女王陛下をお呼びしたかったのかもしれない。勝ち馬は5歳牝馬のユウダンサーズ。福永洋一騎手を背に逃げ切ってみせた。

そのレース結果を聞いた女王が「勝ち馬の写真と優勝カップのレプリカをもらいたい」と希望された。後日JRA担当者が写真とカップを届けに英国大使館を訪ねたところ、応対した公使から「これを機に、毎年女王杯レースを実施されてはいかがですか」と提案があったという。

Akaiito

公使の一言がエリザベス女王杯創設の流れを決定付けたと言っても過言ではあるまい。事と次第によってはエリザベス女王杯は東京で創設されていた可能性だってあった。歴史とはそういうもの。ちなみにゲイタイムの産駒として日本ダービーを勝ったのは1962年のフエアーウインとよく63年のメイズイ。3冠馬ミスターシービーの曾祖母メイワもゲイタイムの産駒であることを考えると、ゲイタイムが日本競馬界に与えた影響は極めて大きいと言えよう。

 

 

***** 2022/9/14 *****

 

 

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