血統表の名前
明日は大井で南関東2歳重賞のトップを切ってゴールドジュニアが行われる。昨年は珍名馬・ママママカロニが勝って話題となり、一昨年の勝ち馬・アランバローズは暮れの全日本2歳優駿で2歳チャンピオンとなり、翌年の東京ダービーをも制した。重賞に格上げされてから3年目の今年、私はラドリオに注目している。
新馬勝ちの時計が平凡で前走は大敗。父・キンシャサノキセキ、母・ハヤブサユウサン、母の父・スペシャルウィークなら、さして目を引く血統でもなかろう。多くの予想紙で無印なのも当然だが、私が注目する理由は血統表に刻まれた3代母「タイキビューティ―」の名前、そこにある。
タイキビューティーは1992年の英国ダービー馬ドクターデヴィアスの2世代目産駒として、タイキレーシングクラブの96年度2歳馬(※当時表記)募集リストに名を連ねた。同期のドクターデヴィアス産駒にはファンタジーS勝ち馬のロンドンブリッジや小倉3歳Sのタケイチケントウがいる。だが彼ら彼女らが3歳の早い時期から活躍を見せていたのとは対象的に、タイキビューティーは4歳春を過ぎてもデビューの目途すら立たず、ひたすら牧場で放牧の日々を過ごしていた。
出資額は僅かとはいえ、彼女を「タイキビューティー」と名付けたのはこの私である。4歳の6月になっても育成牧場にすら移れない状況に業を煮やして、はるばる北海道の大樹ファームまで様子を見に行った。デキの悪い娘に名付け親としてそれなりの責任を感じていたのかもしれない。だが、目の前に引かれてきた我が出資馬を一瞥して、デビューは無理だと悟った。550キロにもなろうかという巨大な馬体を支えきれず、四肢の腱は悲鳴を上げていたのである。
案の定、タイキビューティーはデビューを果たせなかった。おそらく繁殖に上がるのも無理であろう。あの日の姿がおそらく今生の別れ。そう決め込んでいたから、数年後にシアトルビューティという牝馬がJRAで勝ち上り、その母名欄に「タイキビューティー」という名前を見つけた時は、驚きのあまり思わず飛びあがった。
なんと、タイキビューティーは浦河のガーベラパークスタッドで繁殖入りを果たしていたのである。てっきり死んだものと思っていた私にしてみれば、まさに青天の霹靂。半弟のタイキヘラクレスがダービーグランプリを勝ったおかげもあろう。タイキビューティーの産駒は10頭が馬名登録され、うち3頭がJRAで8勝を挙げたのだから立派と言うほかない。前出のシアトルビューティも3勝を稼いだのち、同牧場で繁殖入り。シンザン記念3着、ファルコンS3着のシゲルノコギリザメを出している。
歴舟川の河川敷に広がる広大な放牧地で、両前に包帯を巻いたタイキビューティーを見たあの日から24年。よもやタイキビューティーの牝系ラインが継続することになろうとは、夢にも思わなかった。冒頭のラドリオの母・ハヤブサユウサンはシアトルビューティの3番子である。たとえ自分ひとりの所有馬ではないとはいえ、自ら命名した馬の名が載る血統表というのは、若干の責任感を伴いつつも気分の悪いものではない。ラドリオには息の長い活躍を期待しよう。
***** 2022/9/21 *****
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