です・ます
Twitterで一度投稿したツイートは変更できない。これはTwitterの常識―――のはずだった。だがここへきてTwitterの編集機能のテストが始まり話題となっている。
これは投稿の編集ができないことに不満を抱いているユーザーが多い証。一方で140文字の文字数制限の緩和に関する発表はない。ライバルのFacebookやInstagramに奪われた利用者を取り戻すには編集機能だけでは足りぬと思うのだが、そんなことはTwitterだって百も承知であろう。それ以上に大事なものがあるということか。
私も以前ちょっとだけTwitterをかじっていたことがある。ただし、私にとっては「140文字の制限」そのものが魅力だった。書こうと思ったその瞬間に、リズムの良い文章を、140文字以内でいかにして書けるか―――。一種のゲームでありトレーニングでもある。俳句や短歌の世界にも近い。
ただ、とある馬が現役を引退するらしいという趣旨のことを書いた途端、リツイートの通知が止まらず、ポータルサイトのトレンドにもランクインするに至り、怖くなった私は慌ててアカウントを削除したのである。
これが炎上というものか……。
その時はそう感じた。だが、ネット事情に詳しい知人は「そんなもん炎上でもなんでもない」と冷たい。ただ、「それで慌てるようなヤツはツイッターに向いてない」とも言われたので、やめたこと自体は間違っていないのだと思う。以来SNSに関しては、毎夜このブログを細々と投稿する程度に留めてきた。むろん炎上が怖いので、他人の悪口はもちろん引退情報の類についてもいっさい書かないことを旨としている。
しかしある時、使い勝手がすこぶる悪いと評判の(これは悪口か?)ココログ・スマホアプリをインストールしてみようと思い立った。きっかけは、旅先にパソコンを持参してまでブログを書くのが面倒になったから。んで、実際にアプリを入れてみると、なるほど確かに使い勝手はよろしくない。でも、せっかく入れたのだからと、旅行中でなくても昼間っからちょいちょい短いところを投稿したりした。そうなると投稿している側の感覚としてはTwitterに近い。
それで気づいたことがある。その短い文章を投稿をする時は、決まって文章が「です・ます調」になってしまうのである。「間もなくダービーの発走です」とか「浦和競馬場でお饅頭食べてます」という具合。思えばツイッターのときもそうだった。「です・ます調」は情報量が少ない割に字数を食うので、本来なら文字制限のあるTwitterには向かない。でも、いざ投稿すると、ついつい「です・ます調」になってしまうのである。
その一方で毎夜23時に更新するこのブログの文面は、特に意識することなく自然とこの調子、すなわち「だ・である調」になる。夜が深まると、私の性格がだんだん高圧的になるというわけではない……はず。あるいは人は短い文を書こうとすると、人はつい丁寧になってしまうのかもしれない。
ツイッターであれブログであれ、今の現状を簡潔に伝えようとするときに「です・ます」になるのは、そこにいない誰かに話しかけているからではあるまいか。実際にそこに人はいない。でも、知らず知らずのうちに特定の誰かを想定しているのである。
それが誰なのかは人それぞれ。私の場合はこのブログの読者のみなさんということになろう。ならば、夜23時の投稿も「です・ます」にならなきゃおかしいだろ、と言われそうだが、もともとこれは自分のために書きためた備忘録でもあり、文章のトレーニングで始めたといういきさつもある。その意識が働くから、こんな具合に無愛想な文体になるのやもしれぬ。
大阪に住むようになって以来、競馬場に行くことが激減した。その結果、日々の投稿は意味のないものばかりになっているように感じる。だが、東京に住んでいた当時の投稿だってそれほど中身があったとは思えない。それでも毎晩休むことなく書き続けているという自負はある。実は最近は日々の更新が難しいと感じるようになってきたのだけど、それでも今後ともおつきあいいただければ、筆者としてこれに勝る喜びはない。
***** 2022/9/7 *****
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