凱旋門への道
いまから23年前。エルコンドルパサーの凱旋門賞観戦のためにロンシャンに向かう地下鉄の車内でのことである。隣の席にっていた初老の男に一方的に話しかけられてひどく難儀したことがあった。
ジャケットを着て、きちんとネクタイを締め、上品な帽子もかぶっていたが、「Paris Turf」を手にしていたところを見ると、おそらく彼も競馬場に向かう途中だったのだろう。
問題はその老人が、ひどく高圧的な口調で―――もちろんフランス語で―――何ごとかを喋り続けたことだ。私がフランス語を理解しないと分かったからなのか、あるいは言いたいことを言い終えたのか、相手が突然席を立ってその会話は終わった。彼が何を言いたかったのかははっきりしないが、少なくとも友好的な内容ではないことは間違いあるまい。相手の顔を見れば、それくらいのことは分かる。
ロンシャンに到着して、地下鉄での一件を知人のフランス人カメラマンに話すと、彼はこう言った。
「それは、日本の馬に凱旋門賞は勝たせないぞって言ってたんじゃないかな。エルコンドルパサーがサンクルー大賞を勝った時にはフランスの恥だと言うファンがたくさんいたからね」
ほどなくして凱旋門賞が行われ、我が日本のエルコンドルパサーは地元フランスの英雄・モンジューに敗れた。件の老人も溜飲を下げて、このスタンドのどこかで喝采を送っていたかもしれない。
競馬だから勝つこともあれば負けることもある。何十年と競馬に携わっていれば、勝って欲しいと期待した馬が負けた時の気持ちの御し方は心得ているつもりだ。しかし、この半馬身の悔しさはどう晴らせばよいのか。私はその方法が分からなかった。ようやく辿り着いた世界最高峰の頂上をまさに目の前にしながら、引き返しを余儀なくされた登山家の気持ちはこんなだろうか。
人もまばらとなったロンシャン競馬場で、ひとりそんなことを考えたものである。
黄昏始めたパリの街にはポツリポツリと明りが灯り始めている。その灯りを目指して私はブローニュの森を歩き始めた。地下鉄に乗って万一またあの老人に出くわしたら返す言葉が無いと思い、歩いてホテルまで戻ることを選択したのである。ホテルまでの道のりは、日本の馬たちが凱旋門賞勝利を目指してきた歴史のように長く、背中に背負ったカメラ機材は凱旋門賞そのものの重みの如く、ずしりと肩に食い込んだ。
明日の凱旋門賞で人気を集めるであろうルクセンブルクの父は2012年の英愛ダービーを制したキャメロットであり、そのキャメロットの父はエルコンドルパサーを破ったモンジューである。馬の能力比較なら日本の4頭も引けを取らない。血統面でもタイトルホルダーの母の父の父がモンジューだ。それでも敵は個々の馬だけではないように思う。それは競馬発祥の地に根付く“欧州のプライド”という壁。その壁の高さは、レーティングとか走破時計のような数値で易々と計れるものではないのである。それでもそろそろ壁を打ち破っても良い時だ。
***** 2022/9/30 *****
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