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2022年9月30日 (金)

凱旋門への道

いまから23年前。エルコンドルパサーの凱旋門賞観戦のためにロンシャンに向かう地下鉄の車内でのことである。隣の席にっていた初老の男に一方的に話しかけられてひどく難儀したことがあった。

Elcondorpasa

ジャケットを着て、きちんとネクタイを締め、上品な帽子もかぶっていたが、「Paris Turf」を手にしていたところを見ると、おそらく彼も競馬場に向かう途中だったのだろう。

問題はその老人が、ひどく高圧的な口調で―――もちろんフランス語で―――何ごとかを喋り続けたことだ。私がフランス語を理解しないと分かったからなのか、あるいは言いたいことを言い終えたのか、相手が突然席を立ってその会話は終わった。彼が何を言いたかったのかははっきりしないが、少なくとも友好的な内容ではないことは間違いあるまい。相手の顔を見れば、それくらいのことは分かる。

ロンシャンに到着して、地下鉄での一件を知人のフランス人カメラマンに話すと、彼はこう言った。

「それは、日本の馬に凱旋門賞は勝たせないぞって言ってたんじゃないかな。エルコンドルパサーがサンクルー大賞を勝った時にはフランスの恥だと言うファンがたくさんいたからね」

ほどなくして凱旋門賞が行われ、我が日本のエルコンドルパサーは地元フランスの英雄・モンジューに敗れた。件の老人も溜飲を下げて、このスタンドのどこかで喝采を送っていたかもしれない。

競馬だから勝つこともあれば負けることもある。何十年と競馬に携わっていれば、勝って欲しいと期待した馬が負けた時の気持ちの御し方は心得ているつもりだ。しかし、この半馬身の悔しさはどう晴らせばよいのか。私はその方法が分からなかった。ようやく辿り着いた世界最高峰の頂上をまさに目の前にしながら、引き返しを余儀なくされた登山家の気持ちはこんなだろうか。

人もまばらとなったロンシャン競馬場で、ひとりそんなことを考えたものである。

黄昏始めたパリの街にはポツリポツリと明りが灯り始めている。その灯りを目指して私はブローニュの森を歩き始めた。地下鉄に乗って万一またあの老人に出くわしたら返す言葉が無いと思い、歩いてホテルまで戻ることを選択したのである。ホテルまでの道のりは、日本の馬たちが凱旋門賞勝利を目指してきた歴史のように長く、背中に背負ったカメラ機材は凱旋門賞そのものの重みの如く、ずしりと肩に食い込んだ。

明日の凱旋門賞で人気を集めるであろうルクセンブルクの父は2012年の英愛ダービーを制したキャメロットであり、そのキャメロットの父はエルコンドルパサーを破ったモンジューである。馬の能力比較なら日本の4頭も引けを取らない。血統面でもタイトルホルダーの母の父の父がモンジューだ。それでも敵は個々の馬だけではないように思う。それは競馬発祥の地に根付く“欧州のプライド”という壁。その壁の高さは、レーティングとか走破時計のような数値で易々と計れるものではないのである。それでもそろそろ壁を打ち破っても良い時だ。

 

 

***** 2022/9/30 *****

 

 

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2022年9月29日 (木)

あの頃

今でこそ秋の中山開催を締めくくるレースと言えばスプリンターズSだが、ちょっと前まではクイーンSが千秋楽を務めていた。芝1800mで行われる4歳(当時表記)牝馬限定のGⅢ戦は、エリザベス女王杯や秋華賞のトライアル。あのシンコウラブリイやヒシアマゾンといった名牝たちもここを勝っている。1998年のこのレースを勝ったのは、横山典弘騎手のエアデジャヴーだった。

Dejaview

桜花賞はファレノプシスの3着。そしてオークスがエリモエクセルの2着。いずれもあと一歩のところで春のクラシックは涙を飲んだ。残された1冠に対する思いは強い。小柄な牝馬で、オークスから体重は4キロしか増えていなかったが、好位から抜け出す競馬で小回りコースに対応できたことこそが「成長」であろう。秋華賞に向けて視界は大きく開けた―――。そんな思いを抱いたのは、ひとり私のみではあるまい。

だが、本番の秋華賞で彼女の前に立ちはだかったのが武豊騎手のファレノプシス。誰もが意表を突かれた大外マクリで、エアデジャヴーの末脚を封じてみせた29。「ユタカにすべてを見られていた」。エアデジャヴーを管理する伊藤正徳調教師のあのひと言が、すべてを物語っているように思えてならない。結局、エアデジャヴーはGⅠタイトルとは無縁のまま現役引退を余儀なくされた。

Mesaia

その7年後にエアデジャヴーの娘エアメサイアが3歳GⅠ戦線に登場する。勝負服も、オークスで2着に敗れたことも、秋初戦の秋華賞トライアルを勝ったことも、その秋華賞では同期の桜花賞馬がライバルとなるところまで、まるで母と同じ。ただ違ったのは、鞍上に迎えた騎手が、かつては母の敵であったはずの武豊騎手であったこと。いろんな意味で注目を集めないはずがない。レースではゴール寸前で桜花賞馬ラインクラフトを首差だけ差し切り、母娘2代に渡る宿願でもあったGⅠ制覇を果たした。

芝・ダートを問わず活躍を続けるエアスピネルはあのエアメサイアの息子。ということは、エアデジャヴーからすれば孫ということになる。大一番で2着惜敗が多いのは祖母エアデジャヴー譲りか。来週の南部杯でビッグタイトルを掴みたい。

Spinel

あのクイーンSはそんな昔の話ではない―――。

そうは思っていても、実は相応の年月が流れたということか。なにせあのクイーンSの翌週に行われたあの毎日王冠を逃げ切ったのは、あのサイレンススズカであり、そこで敗れたのがあのエルコンドルパサー。あの凱旋門賞2着も昔話になった。「あの」という修飾語を駆使して、世紀末当時の話をまるでつい最近のように語れるのも、そろそろ限界に近づいた感がある。今週末は凱旋門賞。悲願と惜敗の歴史にそろそろピリオドを打ちたい。

 

 

***** 2022/9/29 *****

 

 

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2022年9月28日 (水)

日テレ盃と聞けば思い出す

今宵は船橋で日本テレビ盃。8歳にしてダートグレード初挑戦だったフィールドセンスの金星よりも、昨年のNAR年度代表馬の大差しんがり負けの方に驚いた向きも多かろう。ともあれJBCクラシック、チャンピオンズカップ、東京大賞典へと続くダート王道路線の幕が開いた。

「NHKマイルカップ」「フジテレビ賞スプリングS」「テレビ東京賞青葉賞」など、JRAの重賞に名前を出しているテレビ局は少なくない。そんな中にあって、視聴率3冠王の日本テレビが、なぜJRAではなく、船橋競馬の重賞に社杯を提供しているのか? それを不思議に思っている方もいるかもしれない。―――というか、ほかならぬ日テレの社員さんからそういう質問を受けたことがある。それだけ不似合いということか。

ことの始まりは、戦後まだ間もない1953年。当時、「金の鞍」という名称で行われていた船橋競馬場の重賞レースを、日本テレビが実況中継したことに端を発する。ちなみに船橋競馬場を作ったのは読売グループ中興の祖であり我が国テレビ事業生みの親である正力松太郎氏。そう思えば船橋のレースを日テレが中継することに違和感はない。

実は地方競馬のテレビ中継は本邦初の試みだった。中継を担当した佐土一正アナウンサーは、この年入社したばかりの日テレアナウンサー第1期生。後に力道山のプロレス中継で名を馳せるレジェンドとはいえ、新人アナが3時間余りの放送時間を繋ぐのだから、さぞ苦労したに違いあるまい。なにせ当時はテレビ放送事業自体が黎明期である。

ともあれ、この翌年から「金の鞍」は「NTV盃」と名を変えて行われるようになった。以来69年間。日本テレビでの中継こそなくなったものの、日本テレビの冠は残されたままだ。

1998年にはJRAとの交流重賞となり、距離も1800mに短縮された。そこに出走してきたのが地元船橋の雄・アブクマポーロ。川崎記念、ダイオライト記念、マイグランプリ、かしわ記念、帝王賞と5連勝中の同馬は、このNTV盃のあとは毎日王冠から天皇賞というローテが発表されていた。単勝オッズは100円の元返し。勝つのは当然。その勝ち方が注目されていたと言っても過言ではない。

Ntv

結果は想像を上回る圧勝であった。JRAのGⅡ勝ち馬やJRAダート重賞3勝馬が揃って55キロの斤量であるのに対し、ただ一頭58キロを背負わされながら2着に8馬身差である。力が違ったとしか言いようがない。しかしそのあまりの強さに「この能力をダート以外で使うのはもったいない」として、陣営は毎日王冠回避を表明。次走の南部盃ではメイセイオペラに敗れたものの、グランドチャンピオン2000と東京大賞典を勝って、この年のNAR年度代表馬に選ばれた。

ちなみにこの年の毎日王冠を勝ったのはサイレンススズカ。エルコンドルパサーやグラスワンダーを相手に、圧倒的なスピード能力で逃げ切ったあの伝説のレースだ。そこにアブクマポーロも出走していたかもしれない―――。それを思うと、今でも多少残念な気持ちにもなる。それというのも、NTV盃のアブクマポーロがあまりに強すぎたせいだ。日本テレビ盃と聞くと、それを思い出す。

 

 

***** 2022/9/28 *****

 

 

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2022年9月27日 (火)

いずこも同じ秋の値上げ

いつものようにファミリーマートでコーヒー(M)を注文したら「180円です」と言われた。

Mサイズのコーヒーは150円である。私の発音がいけなかったのか。慌てて「いやエルじゃなくてエムです」と念を押したが、「はい。Mサイズ180円です」と譲らない。相手は昨日今日入りたてのバイトではなく店長とおぼしきベテラン。いったいどうしたことか。戸惑う私におじさんは申し訳なさそうに教えてくれた。「すみません。今日から値上げになっちゃったんです」

吉野家、はなまるうどん、マクドナルド、ミスタードーナツといった外食から、ビール、ハム、ソーセージ、マヨネーズに至るまで、いずこも同じ秋の値上げの季節である。大阪ネタではUSJも値上げするらしい。その額を聞いて驚いた。なんと1日券が最高9800円。1万円の大台突破は目前ではないか。それに比べれば、今どき「入場料100円」を謳う地方競馬のなんといじらしいことか。東京、中山、京都、阪神、中京の五大競馬場の入場料が100円から200円に、地方競馬を含めたその他の競馬場が50円から100円に倍増されたは1975年9月のこと。以来半世紀近くも料金据え置きなのだからありがたい。

1975年当時の後楽園球場の最低料金は外野自由席の100円だったと思う。私は子供料金の50円で入場していた。それが今では1500円。東京ドームに変わったとはいえ、15倍もの値上げを横目に価格維持に努める競馬場の良心ぶりには頭が下がる。まあ、そのぶん馬券で吸い取られているのだけど。

そうえいばクラシックレースの特別登録料がいきなり前年の40倍の40万円にハネ上がったことがあった。1992年のことだ。

戦前の日本ダービーの1着賞金は1万円。登録料はその2%に当たる200円と規定された。その慣習はクラシック全レースに適用されて1991年まで続く。同年のダービー1着賞金は1億2000万円だから、1万円の登録料は0.008%でしかない。そこで遅まきながら値上げになったというワケ。しかし、それ以降登録料の変動はない。一方、ダービーの1着賞金は2倍近くにまで高騰している。

追加登録制度が開始されたのもこの年から。未登録の馬でも一定の資格を得て200万円を払えば、クラシックに出られることになった。今年のフェアリーSを勝ったライラックが追加登録料を支払って桜花賞・オークスに出走したこともまだ記憶に新しい。1991年以前は未登録馬に対する救済制度はなかった。

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「レースに出るだけで200万」と聞くと高いと思われるかもしれない。しかし、たとえ10着でもオークスならば280万円が手に入る。そういう意味では欧米の追加登録料はよりシビアだ。先日のニエル賞でドゥデュースを破ったシムカミルは凱旋門賞に登録を行っていなかった。出走に必要な追加登録料は12万ユーロ(約1650万円)。ニエル賞の1着賞金74100ユーロよりはるかに高い。150円のコーヒーが180円になった程度でウダウダ言っている自分が恥ずかしくなる。

しかし上には上がある。1998年のBCクラシックに挑戦したジェントルメンの馬主は、賞金総額の5分の1に相当する80万ドル(約9600万円)を払った。結果、鼻出血で競走中止である。私が馬主なら正気を失うに違いない。

 

 

***** 2022/9/27 *****

 

 

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2022年9月26日 (月)

67秒後の栄冠へ

最近5年のスプリンターズSの連対馬10頭を性別で分けると、牡馬牝馬がそれぞれ5頭ずつと牝馬の健闘が目立つ。グレード制が導入される以前のスプリンターズSでも、牝馬が9勝8敗と牡馬を抑えていた。今年も牝馬・メイケイエールが人気を集めることは間違いない。

1979年などは上位6着までを牝馬が独占している。この年のスプリンターズSを勝ったのはサニーフラワー。その勝ち時計は1分12秒8とかかった。この年のスプリンターズSがダート変更になったわけではない。当時の芝コースは、ひとたび雨が降ればたちまち泥田と化した。だから、状況によってはダートの方が時計が出ることもある。1977~78年のスプリンターズS連覇の快速牝馬メイワキミコは、芝とダートのそれぞれで1200mのレコードをマークしたが、芝が1分9秒3(新潟)に対し、ダートは1分9秒2(中山)である。当時、芝とダートの時計関係はこんなもんだった。

中山の1200mで1分8秒の壁が初めて破られたのは、1990年のスプリンターズS。バンブーメモリーが1分7秒8で優勝し、それまでのレコードをコンマ3秒縮めてみせた。実はスプリンターズSはこの年からGⅠ昇格したばかり。そういう意味では、レースの格がタイムに現れやすい条件ともいえる。翌年はダイイチルビーが1分7秒6で優勝。以後、スプリンターズSでは1分7秒台の決着が珍しくなくなる。そしてついに10年前にはロードカナロアが1分6秒台での優勝を果たした。

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スプリンターズSで1分5秒台が叩き出され日も近いのではないか―――。

そう思ったのもつかの間、にわかに状況が変わってきた。中山の芝で時計が出なくなったのである。たとえば先日の京成杯AHの勝ちタイムは、良馬場にもかかわらず1分33秒6だった。かつてなら1分32秒台や31秒台は当たり前。2019年には1分30秒3の日本レコードも飛び出していたはず。なのに、もはやあの高速馬場の面影はない。

馬場変貌の理由のひとつに「エアレーション効果」を挙げる声を聴く。地面に穴を開けて空気を送り込み、地盤を柔らかくする作業のこと。おかげで、多少の雨で馬場が極端に悪化することはなくなった。昨日などは中間に187ミリもの降雨があったにも関わらず、土が飛んだり、芝が剥がれるというシーンが見られなかった。サニーフラワーの当時を知る者とすれば、隔世の感を禁じ得ない。

一方で、今の中山開催で行われた芝1200m戦8鞍の平均タイムは1分9秒0。最速でも開催初日に記録された1分7秒6にとどまる。極端に悪くはならないが、時計も出にくい―――。そんな中山で行われるスプリンターズSは、実は曲がり角を迎えつつあるのかもしれない。

とはいえ、6ハロン戦自体が戦後なってから行われるようになった比較的新しい距離。1946年のレコードタイムはヤスヒサの1分15秒4/5(当時は1/5秒単位の計時)だった。70年間を経て9秒以上も縮まっているが、歴史的に見れば未だ変遷の最中であってもおかしくない。今年も7秒台の決着か。それとも10年ぶりに6秒台が出るのか。勝ち馬はもちろん、勝ち時計にも注目の一戦だ。

 

 

***** 2022/9/26 *****

 

 

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2022年9月25日 (日)

山田騎手の悲劇

帰省を終えて新幹線に乗って大阪に戻ってきた。昨日とおとといの新幹線を止めた台風15号の影響を受けずに済んだことには感謝せねばなるまい。なにせ中山で騎乗予定だったミルコ・デムーロ騎手は土曜の全4鞍をキャンセル。逆に美浦から中京に向かった山田敬士騎手は、夜を徹してタクシーを飛ばしたものの、ついに中京1レースに間に合わなかった。しかも騎乗予定のフェルヴェンテが川田将雅騎手に乗り替わって勝ってしまうのだから切ない。これが阪神ならば空路という選択肢もあっただろうが、中京ではその判断も難しかろう。そう考えると京都改修に伴う開催変更も「山田騎手の悲劇」の遠因だったりする。

東京から大阪に行くにあたり新幹線を使うか、あるいは飛行機を使うか―――。競馬関係者のみならず、一般的にも広く興味のある話題だと思う。

私の自宅は川崎市にあるから新横浜駅にも羽田空港にも比較的アクセスが良いし、近ごろは航空各社の企業努力のおかげか知らんが羽田~伊丹間の航空運賃は新幹線のそれとほとんど差がなくなった。大阪に住む身となってからは、帰省のたびに「どっちで行こうかなぁ…」と、うだうだ悩んでいる。

川崎に住んでいた当時の阪神競馬場への遠征は、往路は新幹線で、帰路は飛行機というパターンが多った。次いで「行きも帰りも飛行機」が多かったように思う。JR東海の関係者には申し訳ないが「新幹線で戻った」という記憶は、少なくともない。

これは私の“せっかちさ”が、多分に影響していると推測する。つまり、無意識のうちに、主たる移動手段に乗り込む場所が近い方を選択しているのではあるまいか? たしかに自宅からは、羽田空港より新横浜駅の方がわずかながらアクセスが良いし、阪神競馬場からだと、新大阪駅よりも伊丹空港の方が若干早い。行きではさほど気にならない新大阪~梅田間のわずかな移動距離が、帰りになるととてつもなく煩わしく感じてしまうのであろう。

当然ながら京都競馬場への行き来は、毎度新幹線のお世話になる。

もう30年以上も前の話になるが、マイルチャンピオンシップを見に行った帰りの新幹線で、自分の座った席と通路を挟んだ隣の席に、岡部幸雄騎手が座っていてひっくり返った。そりゃあ、誰だって驚きますよね。自分の手を思い切り伸ばせば、そこに“名手”の「手」に触れられるほどの距離なんだから。

新幹線がするすると京都を出発すると、岡部さんはプシュッ!と小気味良い音を立てて缶ビールを開け、隣に座る2人の同行者と競馬談義に花を咲かせていた。会話の内容までは分からないが「シャダイソフィアはね……」というフレーズが出てきたことは覚えている。しかし、それにも増して極度の緊張状態を強いられた私は、東京までの3時間弱を固まったまま過ごさざるを得なかった。

何せ隣に座るのは、たった今行われたばかりのマイルチャンピオンシップで、シンコウラブリイの背中にいた人物なのである。私は、ついさっきその姿をスタンドから遠目に眺めてきたばかりなのだ。

Okabe

しかし、当の岡部さんは2本目の缶ビールを開け、ますますゴキゲンになってゆく。何度か若い女性が―――競馬ファンと考えるのが自然だろう―――やってきて、岡部氏に話し掛けていった。岡部さんも競馬場では絶対に見ることのできないような笑顔でそれに応えている。あれから四半世紀あまりを経た今なら、私も緊張などせずに騎手に話しかけられるだろうか?

いやあ、無理だなぁ。ともあれ、あんなハプニングに遭遇できるならば新幹線も捨てたものではない。今は新大阪に近いところに住んでいるので、行きも帰りも新幹線のお世話になってます。

 

 

***** 2022/9/25 *****

 

 

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2022年9月24日 (土)

牝馬のオールカマー

明日の産経賞オールカマーの前日発売では、一昨年の3冠牝馬デアリングタクトが人気を集めている。さらに2012年の3冠牝馬ジェンティルドンナの娘・ジェラルディーナも人気の一角。仮に牝馬2頭のワンツーフィニッシュという結果になれば、昨年のウインマリリン・ウインキートスに続いて2年連続の出来事。オールカマー史上では4回目となる。

1995年のオールカマーで人気を集めたのはヒシアマゾンだった。その年の3月に米GⅠ・サンタアナハンデに出走すべく渡米したが、慣れぬ環境に馬体を減らし、水を飲むことさえしない。挙句の果てに、雨で路盤がむき出しになった馬場での調教が祟って左前脚を捻挫。レースを目前にしながら無念の帰国となった。その後7月の高松宮杯に出走するも、まるで精彩を欠いた走りで5着。牝馬は一度体調を崩すと立て直すのが難しい。一時は引退説も流れた。それでもファンは、オールカマーに挑むヒシアマゾンを1番人気に押し上げたのである。

Ama

実はこの年のオールカマーは台風12号のために平日の月曜日に行われた。にも関わらず、46,888人もの観衆が中山につめかけたのは、女王復活の瞬間をひと目見たいと願うファンが、それだけ多かったからにほかならない。前日の雨が残って馬場は稍重。アイビーシチーが先導するスローペースに業を煮やしたヒシアマゾンは、3コーナー付近で早くも先頭に立ってしまう。どよめくスタンドの大観衆。ヒシアマゾンが先頭のまま馬群が直線に向くと、満を持してスパートしたアイリッシュダンスが猛然と襲い掛かってきた。

その差は2馬身、1馬身、半馬身。しかしそこからがヒシアマゾンの真骨頂だ。マチカネアレグロを競り落としたニュージーランドトロフィー4歳Sでも、チョウカイキャロルとのマッチレースを制したエリザベス女王杯でも、馬体を併せての競り合いで彼女は負けたことがない。それが女王の女王たる所以。ラスト1000mのラップタイムは、計ったように11.8-11.8-11.8-11.8-11.4である。最後の1ハロンが少しだけ速いのはアイリッシュダンスが競りかけた分であろう。この日もクビ以上にその差を詰められることはなかった。湧き上がる大歓声。女王復活の瞬間である。

Allcomer

ヒシアマゾンが名牝であることは論を待たないが、アイリッシュダンスにしても牡馬相手にふたつの重賞を勝っただけでなく、ハーツクライという不世出の名馬の母でもある。そういう意味において、この年のオールカマーは名勝負だった。

あれから27年を経た今年のオールカマーも台風翌日の開催という点では同じ。「牝馬のオールカマー」の再現はあるか。デアリングタクトもジェラルディーナも、もちろん昨年の雪辱がかかるウインキートスも、誉れ高き2頭の名牝に続きたい。

 

 

***** 2022/9/24 *****

 

 

 

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2022年9月23日 (金)

叶わぬ対面

帰省中でござる。

園田の重賞・チャレンジカップを観ることができないのは痛恨事だが、独り身高齢の父親を持つ身としては、お彼岸に帰省しないわけにもいかない。すっかりコロナ禍以前に戻った満席の新幹線に揺られて墓参りのため埼玉へと向かった。

とはいえこちらにも考えはある。実は今日の大井3レースに私の所有馬が首尾良く出走することになった。勝ち負けには遠く及ばないにしても、私はこの愛馬を直接この眼で見たことがない。購入を決めたあとに、大阪行きが決まったせいである。昨年6月に新馬デビューを果たした愛馬は、これまで14戦1勝。初勝利後に苦戦が続いている現状からすれば、私が東京に戻るまで現役生活を続けることは難しいかもしれない。今回の出走は神が与え給うた千載一遇のチャンスであろう。レース発走は15時半。墓参りのあとにゆっくり昼めしを食べても十分間に合う。

ところが、である。墓参りの前に大雨が降り出した。おかげでスケジュールが1時間押しになったが、まだ時間には余裕がある。ようやく雨が止んで、無事に墓参りが済むと、今度は父親が買い物に行きたいと言い出した。たまの帰省で父親のささやかな希望を無下にもできぬ。それでまた1時間。こうなったら昼めしはサッと済ませて、さっさと大井に向かおう。そしたら弟家族から電話が入った。なんと近くにいるので一緒にメシでも食おうという。いくら血も涙もない私はでも、この流れで「競馬に行きたい」とはとても言い出せぬ。私と愛馬の初対面は今日も叶わなかった。

ちなみに愛馬のレース結果は9番人気で9着。10頭立てである。大外枠を引けば「距離のロス」を敗因に上げ、今回のように最内枠を引けば「包まれて周りを気にした」と言う調教師の言い訳も、そろそろ気の毒に思えてきた。結局は馬の能力の問題。それでも先々クラスが下がれば勝ち負けには加われると思う。そこが地方競馬の良いところ。ただ、そこまで待つのも簡単ではないのですよ。だからこそひと目でいいから早く会いたい。

 

 

***** 2022/9/23 *****

 

 

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2022年9月22日 (木)

鉄砲の季節

今週末は神戸新聞杯。菊花賞トライアルの注目点はダービー以来の休み明けとなる馬たちの「夏の成長」であろう。青葉賞勝ち馬でダービー5着のプラダリアを筆頭に、ビーアストニッシド、アスクワイルドモアといった休み明けの重賞ウイナーたちが、いったいどんな夏を過ごしたのか。レース結果よりも気になると言っても過言ではない。

神戸新聞杯に限らず9月の馬券検討は、夏のローカルを勝ち上がってきたグループと、春のビッグレースを戦い抜いて夏を休養に充てていたグループとの比較が大きなウェイトを占める。先週のセントライト記念は夏の小倉で勝ち上がったガイアフォースが優勝。ダービー以来の休み明けにもかかわらず、春の実績で1番人気に推されたアスクビクターモアをねじ伏せた。やはり久しぶりの競馬はどこか勝手が違う。

休養明けでレースに出走することを「鉄砲」と呼ぶ。鉄砲で遠くの的、すなわち遠くのレースを狙うという説が有力だ。鉄砲を撃つ音になぞらえて、休み明けのレースで好走することを「ポン駆けする」「ポン駆けがきく」などと言うことも。ともあれ9月は鉄砲の季節。先週日曜の中京12レースに至っては出走16頭全馬が休み明けときた。こうなると力の比較は困難を極める。それでも1番人気⇒2番人気で決着するのだから、馬券を買うファンの慧眼は素晴らしい。

ポン駆けと聞いて、重賞3勝のシンゲンを思い出す向きも多いのではないか。3か月以上の休み明けで(4,1,1,1)の好成績。調教師の言葉によれば、休み明けは落ち着いてレースに臨める一方で、2戦目となると、レースが近づくにつれてソワソワと落ち着きを失くしてしまうタイプだったという。

だが、シンゲンのようなケースは少数派であろう。普通に考えれば、休んだ直後に100%の力を発揮するのは難しい。今週のオールカマーには昨年暮れのチャレンジカップ以来9か月のソーヴァリアントが出走を予定している。いやそれならバビットは昨年の中山記念以来だから1年7か月ぶりだ。いやいやクリスタルブラックに至っては一昨年の皐月賞以来2年5か月ぶりじゃないか。

Sovalient

実はオールカマーは休み明けが好走することが多いレースである。オールカマーの歴史はポン駆けの歴史と言っても過言ではない。

主役は宝塚記念以来の実績馬であることがほとんど。昨年のウインマリリンをはじめ、ゴールドアクターやサクラローレルのように天皇賞(春)以来で勝つ馬も珍しくない。1989年のオールカマーを勝ったオグリキャップは、前年の有馬記念以来9か月ぶりだったし、前出のシンゲンが2010年のオールカマーを勝った時などは前年の天皇賞(秋)以来の11か月ぶりである。JRA平地重賞優勝の休み明け記録は、今年の鳴尾記念でヴェルトライゼンデが記録した中495日だが、それまではスズパレードが保持していた中461日が最長だった。それが記録されたレースも1988年のオールカマー。休み明けの一戦に臨む面々にとっては心強いエピソードであろう。

 

 

***** 2022/9/22 *****

 

 

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2022年9月21日 (水)

血統表の名前

明日は大井で南関東2歳重賞のトップを切ってゴールドジュニアが行われる。昨年は珍名馬・ママママカロニが勝って話題となり、一昨年の勝ち馬・アランバローズは暮れの全日本2歳優駿で2歳チャンピオンとなり、翌年の東京ダービーをも制した。重賞に格上げされてから3年目の今年、私はラドリオに注目している。

新馬勝ちの時計が平凡で前走は大敗。父・キンシャサノキセキ、母・ハヤブサユウサン、母の父・スペシャルウィークなら、さして目を引く血統でもなかろう。多くの予想紙で無印なのも当然だが、私が注目する理由は血統表に刻まれた3代母「タイキビューティ―」の名前、そこにある。

タイキビューティーは1992年の英国ダービー馬ドクターデヴィアスの2世代目産駒として、タイキレーシングクラブの96年度2歳馬(※当時表記)募集リストに名を連ねた。同期のドクターデヴィアス産駒にはファンタジーS勝ち馬のロンドンブリッジや小倉3歳Sのタケイチケントウがいる。だが彼ら彼女らが3歳の早い時期から活躍を見せていたのとは対象的に、タイキビューティーは4歳春を過ぎてもデビューの目途すら立たず、ひたすら牧場で放牧の日々を過ごしていた。

出資額は僅かとはいえ、彼女を「タイキビューティー」と名付けたのはこの私である。4歳の6月になっても育成牧場にすら移れない状況に業を煮やして、はるばる北海道の大樹ファームまで様子を見に行った。デキの悪い娘に名付け親としてそれなりの責任を感じていたのかもしれない。だが、目の前に引かれてきた我が出資馬を一瞥して、デビューは無理だと悟った。550キロにもなろうかという巨大な馬体を支えきれず、四肢の腱は悲鳴を上げていたのである。

Taiki

案の定、タイキビューティーはデビューを果たせなかった。おそらく繁殖に上がるのも無理であろう。あの日の姿がおそらく今生の別れ。そう決め込んでいたから、数年後にシアトルビューティという牝馬がJRAで勝ち上り、その母名欄に「タイキビューティー」という名前を見つけた時は、驚きのあまり思わず飛びあがった。

なんと、タイキビューティーは浦河のガーベラパークスタッドで繁殖入りを果たしていたのである。てっきり死んだものと思っていた私にしてみれば、まさに青天の霹靂。半弟のタイキヘラクレスがダービーグランプリを勝ったおかげもあろう。タイキビューティーの産駒は10頭が馬名登録され、うち3頭がJRAで8勝を挙げたのだから立派と言うほかない。前出のシアトルビューティも3勝を稼いだのち、同牧場で繁殖入り。シンザン記念3着、ファルコンS3着のシゲルノコギリザメを出している。

Kettou

歴舟川の河川敷に広がる広大な放牧地で、両前に包帯を巻いたタイキビューティーを見たあの日から24年。よもやタイキビューティーの牝系ラインが継続することになろうとは、夢にも思わなかった。冒頭のラドリオの母・ハヤブサユウサンはシアトルビューティの3番子である。たとえ自分ひとりの所有馬ではないとはいえ、自ら命名した馬の名が載る血統表というのは、若干の責任感を伴いつつも気分の悪いものではない。ラドリオには息の長い活躍を期待しよう。

 

 

***** 2022/9/21 *****

 

 

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2022年9月20日 (火)

お城のうまや

台風14号が過ぎ去って大阪は台風一過の青空が広がった。吹き返しの風が入って、ひと晩で夏から秋に様変わり。朝、自宅を出るときに思わず「寒っ!」と口にしたのは決して大袈裟ではない。

「昨日は8月の暑さでしたが今日は10月の寒さです」

テレビのニュースキャスターはそう言った。そういえば今週はお彼岸。なんだかんだで暦通りに季節は動いている。

それでは次のニュース。

「滋賀県彦根市の彦根城で19日、重要文化財の馬屋の門扉が外れ、倒れているのが見つかりました。市の危機管理課は、強風の影響で外れたものとみて修復を急ぐ方針です」

ニュースキャスターはさして興味も無さそうにニュースを読み上げたが、私はその映像に食い入った。なにせ先日訪れたばかりである。

Umaya1  

柿葺(こけらぶき)の木造平屋建て。元禄時代の建築だというから300~350年は経っている。お城の内堀近くにあり、L字型の屋内には21頭分の馬房が区切られていた。城の敷地内に厩舎が残っているのは、全国でも彦根城だけ。そういうこともあって1963年に重要文化財に指定されたという。

たかだか1週間前のことなのにあの日は気温35度の酷暑日だった。吹き出る汗を拭きながら馬屋を覗くと、そこには馬が!

Umaya2 

―――と思ったら模型でした。ここら辺が日本ぽいところ。私なら本物の馬を繋ぎ留めておく。馬が居てこその馬屋ではないか。

海外に目を向ければ古城に残る厩舎はさほど珍しくない。有名なところではシャンティイ場。フランスダービーが行われるシャンティイ競馬場の向こう正面に佇む美しい城は、ルネサンス期に建てられた歴史的建造物であり、隣接する「大厩舎」は今も「馬の博物館」として人気の観光スポットになっている。

博物館に入場すると薄暗い馬房にエリアに足を踏み入れることになる。左右に広がる馬房。高い天井は、かつての大厩舎の風情そのままだ。驚くことに馬の匂いまで漂ってくる……と思ってよくよく見れば、それぞれの馬房に本物の馬が繋がれているではないか。そこにはサラブレッドのような軽種からブルトンのような重種まで様々な品種の馬を―――生きた馬を―――身近に見ることができる。それだけでない。この歴史的建造物が今なお厩舎として使われていることも実感できよう。

彦根城にそこまで求めるのは野暮だと分かっている。あるいは文化財で馬を飼うこと自体が認められていないのかもしれない。しかし、仮にそうであるとするならばルールがおかしいということになる。そもそも彦根城の馬屋はもともと非公開だった。それを常設展示にしたことは相当高いハードルだったに違いないが、英断であることは確かであろう。ならばもう一歩。ひこにゃんの力でなんとかならないだろうか。

 

 

***** 2022/9/20 *****

 

 

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2022年9月19日 (月)

過去に例のない

過去に例のない台風14号が関西に近づきつつある。

JRは午後から計画運休。阪急うめだ本店や阪神百貨店などの商業施設も午後から軒並み臨時休業となった。4年前に関西空港を孤立・水没させた台風21号の教訓から、関西の皆さんは台風に備える意識が強い。にもかかわらず阪急うめだ本店からほど近いウインズ梅田が通常営業なのは助かった。中京に行くこともできないから、今日はここで一日を過ごすとしよう。そんなわけでB館6階のエクセルエリアに足を踏み入れてみた。私にとってはこれも過去に例がない。

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案の定ガラガラ。3日間連続開催の3日目でこの天気とくれば仕方あるまい。革張りのソファー席にはモニター、ドリンクホルダー、コンセント(×2)が設置されている。このモニターは単なる映像装置ではなく、パソコンに繋がっており、インターネットやJRA-VANを自由に閲覧することができる。それゆえマウスも接続されているが、見たところキーボードはない。ただ申し出れば貸してくれるようだから、人によってはここで仕事ができてしまうのではあるまいか。

入場時に簡単なアンケートに答えたら御礼にとサインペンをもらった。いつもこのサービスがあるのかは分からない。ザ・サインペンと言うべきデザインのサインペンに小さくターフィーの絵柄が印刷されている。2500円の入場料のうち100円くらいは取り戻した。さあ、あと2400円だ。

午前中は中山と中京の全レースにべっとり手を出すも的中はゼロ。流れを変えるべと、昼メシはB館を出て信号を渡ってすぐの「釜たけうどん」に向かった。名物「ちく玉天ぶっかけ」をすすりながら、モノ珍しさからJRA-VANに頼ってしまった午前のスタイルを反省する。午後はJRA-VANを封印して、いつものスイングを取り戻そう。

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そんなわけで、午後は目の前のモニターは雨雲レーダーを表示するだけとして、いつも通りスポーツ紙とパドック映像に集中。そのおかげもあって10レースを終えた時点で負けを数百円にまで戻すことに成功した。さあ、決戦は中京11レース・JRAアニバーサリーステークスだ!

―――と意気込んだまでは良かったが、このレースが難解至極。もともと実力伯仲の3勝クラスであることに加えてハンデ戦。しかもパドックの途中からとてつもない大雨が降り出して、瞬く間にダートコースには水が浮いた。むろん台風の影響であろうが、エアコンの聞いた室内で革張りのソファに座って観ているとどうも現実感が湧いてこない。

レースは「重」発表のまま行われたが、JRAのサイトから映像をご覧いただければわかる通り不良中の不良である。もはや考えたところで当たる気などしない。しかも「雨がひど過ぎる」ことを理由に発送時刻が遅れる事態となった。こんなこと過去に例がない。実況アナウンサーの「まずは全馬が無事にゴールすることを願うばかりです」という障害レースばりの一言で始まったレースは、バシャバシャという音を立てて進み、⑨フラーレンが逃げ切って⑯テイエムマグマが2着に粘り込んだ。

……で私が買った馬券がこちら。

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なんと29.4倍を一点で的中!。はっはっは。こんなことも過去に例がない。

この「JRAアニバーサリーS」はJRAの創立記念日にちなんで行われるレース。だがその創立記念日というのは今日ではない。実は9月16日。種を明かせば、私がたまたまそれを知っていただけのこと。しかしここまで露骨なサイン馬券が当たるとはね。今日は過去に例がない出来事だらけ。台風14号の強さもそのひとつに加えておこう。結果的にエクセルの入場料と新聞代を回収したところで台風の一日が終わった。

 

 

***** 2022/9/19 *****

 

 

 

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2022年9月18日 (日)

女を取るか、男を取るか

昨日からのJRAは明日の敬老の日を含めた3日間開催。しかも、3場を2場ずつ組み合わせた3日間ではなく、中山・中京の3日間ぶっ通し。今日は中京でローズSが行われた。明日は中山でセントライト記念。果たして心身および財布は明日まで持つのか? 気に病む人もゼロではあるまい。

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このパターンの3日間開催が初めて行われたのは2012年のこと。この年から秋の札幌開催がなくなり、その開催日の一部が中山と阪神に割り振られた格好だ。

ローズSの施行日程が繰り上がった1996年以降、中山のセントライト記念と阪神のローズSはずっと同じ日に実施されてきた。それが3日間開催のおかげで別日での施行が可能となったのである。カレンダーの都合で毎年実施されるわけではないが、これは大きな出来事だった。

なぜこれが“大きな出来事”なのか?

セントライト記念とローズSは、夏を越した3歳馬が久しぶりの実戦を迎える大事なレース。どちらもGⅡで、その先にあるGⅠを占う上で重要な意味を持つ前哨戦だ。だが、それぞれ牡馬と牝馬で路線が異なる。一流ジョッキーともなれば、春のクラシックを湧かせた牡馬と牝馬をそれぞれ一頭ずつ抱えているもの。その2頭が同じ日の中山と阪神に分かれて出走するとなっては、どちらか一頭の騎乗を諦めて他人に手綱を委ねなくてはならなくなる。牡馬と牝馬の3歳路線では春から秋にかけていくつもの重賞レースが行われるが、同じ日に東西で牡馬と牝馬の3歳重賞が行われるのは、年間を通じて実はこの日だけだった。

2011年は後藤浩輝騎手がローズSのエリンコートに乗るため、セントライト記念のベルシャザールに乗れなかったし、2010は柴田善臣騎手もラジオNIKKEI賞を勝ったアロマカフェに乗れなかった。さらにこの年は、蛯名正義騎手も3連勝中のヤマニンエルブへの騎乗を諦めてローズSでの騎乗を選んでいる。アパパネの始動戦とあればそれも仕方あるまい。

騎手にしてみれば、春シーズンが終わった時点で、秋になったらどれくらい変わるのかと再会を楽しみにしているもの。それが叶わないというのは切ないだけでなく、他人に手綱を取られるという不安もつきまとう。実際、2008年のセントライト記念でマイネルチャールズに騎乗した松岡正海騎手は、同日のローズSに出走したブラックエンブレムの手綱を岩田康誠騎手に譲る格好となってしまった。ローズSでブラックエンブレムは3着に敗れたが、秋華賞でもそのまま岩田騎手とのコンビで出走。見事優勝を果たしている。

以前から競馬サークル内外からこうした声は挙がっていたのだが、ローズSは日曜の競馬中継を受け持つ関西テレビ放送の冠レースであることから日曜以外の実施は難しく、セントライト記念にしても、売上面などでハンデのある土曜の実施には難色が示されてきた。 

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むろん乗り替わりによるプラス面や、そこに潜むドラマ性を否定するつもりはまったくない。ただ、調教師やオーナー、あるいは馬券を買うファンにしても、成長具合を確かめるには春と同じ騎手が乗った方が良いと考えるはず。成長著しい3歳馬の、秋の緒戦くらいは無用な乗り替わりがない方が嬉しい。

 

 

***** 2022/9/18 *****

 

 

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2022年9月17日 (土)

シルバーを狙え

巷では今日からシルバーウィークが始まるそうだ。

数年に一度、カレンダーの巡り合わせで9月の下旬に5連休が登場することがある。私はその5連休が出現した年のみを「シルバーウィーク」と呼ぶのかと思い込んでいたのだが、どうやら違うらしい。その証拠にテレビも新聞もためらわずこの言葉を使っている。同じ週に2つの祝日が含まれていればシルバーなのだろうか。それとも、秋分の日を含む週は無条件にシルバーなのだろうか。よくわからんが、ともあれシルバーウィークは今日が初日。台風が迫りくるあいにくの陽気ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

「シルバーウィーク」は最近生まれた言葉のように聞こえるかもしれない。だが、実は半世紀以上も前に「ゴールデンウィーク」と同時に生まれた用語。1948年の祝日法施行で、天皇誕生日、憲法記念日、こどもの日、文化の日が制定され、春秋のこの時期に話題作をぶつけるようになった映画界が最初に使い始めた。本来は「映画を見るのに最高の1週間」という意味である。結果、5月のゴールデンウィークはすっかり定着したが、11月のシルバーウィークはまったくと言って良いほど普及しなかった。

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シルバーよりゴールドが浸透するのは馬の名前も同じ。現在「ゴールド(ゴールデン)」を含む馬は49頭がJRAに登録されている一方で、「シルバー(シルヴァー)」は19頭でしかない。ゴールドアクター、ゴールドシップ、ゴールドアリュール、ステイゴールド、ゴールドドリーム、ゴールドシチーなど「ゴールド」にはGⅠホースも多数出ているが、「シルバー」はシルヴァコクピットとセンゴクシルバーがGⅢを勝った程度。地方に目を移せば2冠牝馬・シルバーアクトや高崎ダービー馬・アイコマシルバーなどもいるにはいるが、両者の差は歴然としている。

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2位に与えられるメダルやお年寄りをイメージする「シルバー」という言葉を、勝負事に使いたくないという気持ちは理解できなくもない。それでも「シルバー」と名前が付いた数少ない馬たちは、両親の名に「シルバ―」が付くか、あるいは単に芦毛であるか。そのどちらかに大別される。今日の中山3レースを勝ったシルバーレイズ(牡2)は前者の好例であろう。父シルバーステート、母シルバージェニーだから両親ともにシルバーホース。5代血統表には7頭もの「シルバー」が登場するのだから、シルバーウィークの初日に勝っても不思議はない。気付いたときはすでにレースはスタートしていた。私はいつもあとになって大事なことに気が付く。

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後者の「単に芦毛」の代表格はセンゴクシルバー。1993年から94年にかけて重賞戦線で活躍した同馬が獲得したタイトルはダイヤモンドSのひとつしかない。その一方で重賞での2着は4度を数えた。やはり「シルバー」の名がいけなかったのか。それでも芦毛を生かして誘導馬になれたのだから、サラブレッドの人生としては悪くない。古き良き時代の名ステイヤーは、いぶし銀の名脇役でもあった。

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ちなみに明日の中山2レースには2頭のシルバーが出走する。①シルバープリペット(杉原誠人)に⑥シルバーニース(戸崎圭太)。しかも人気を集めているのはゴールドアクター産駒のゴールドバランサー。シルバーvsゴールドの舞台は整った。今日の反省を生かして、シルバー2頭でドンと勝負に出よう。

 

 

***** 2022/9/17 *****

 

 

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2022年9月16日 (金)

56日目の快挙

今週末(厳密には来週月曜)に行われるセントライト記念は不思議なレースだ。イスラボニータやフェノーメノ、古くはメリーナイスやシンボリルドルフといったクラシックホースが鮮やかに勝って、その長い歴史とGⅡ格付けの重みを実感する年がある一方で、「あれ? このレース500万条件だったっけ?」と思わせる年もある。トーセンシャナオーが勝った2006年などは後者の典型だった。

2000年のセントライト記念も1勝馬が優勝を果たしているが、勝ったのがアドマイヤボスだったせいか、この時はレースの格を疑問視するような声は聞いていない。なにせ、ダービー馬・アドマイヤベガの全弟。しかも、デビューからわずか56日での重賞勝利である。2歳や3歳春の重賞ならまだしも、3歳秋のセントライト記念では前例のない快挙。各メディアがいっせいに「新星誕生」と沸き立ったのも無理はない。

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体質的に弱く、3歳夏の函館でようやくデビューを迎えた時でさえも、歩くことすら覚束ない状態だったという。それでも持ったまま4馬身差の圧勝だから、器が違ったのは間違いない。続く500万条件戦はハナ差で敗れるも、勝ったフサイチソニックはのちに神戸新聞杯でダービー馬と2冠馬をまとめて負かす素質馬。デビュー2戦目、しかも初めての芝のレースで、そんな相手とハナ差の勝負をした事実は、むしろアドマイヤボスの評価を高めた。

だが、完勝に思えたセントライト記念でも、体質の弱さがレースぶりに現れていた印象は否めない。

直線で外から豪快に伸びたと言いつつ、その実は内へ外へと蛇行を繰り返し、他馬の進路を塞ぐシーンは一度や二度に留まらなかった。長い審議の末の快挙である。しかし、初めての距離に加え、初めての道悪競馬を考えれば賛辞を惜しむわけにもいかない。そういう意味では、期待と不安が激しく入り混じる微妙な一戦だった。

管理する橋田調教師も、そんな思いを抱いていたのであろう。「成長途上のこの馬に二度の坂越えは厳しい」として、菊花賞に向かうことはしなかった。

セントライト記念で負かしたトーホウシデンが菊花賞で2着したことで、「アドマイヤボスが出ていれば勝ち負けだった」とする声を未だに聞くことがある。確かにそうかもしれないが、逆に取り返しのつかない目が出ていた可能性だって否定できない。アドマイヤボスは引退後に種牡馬となり、早世したアドマイヤベガの代わりに偉大なる母ベガの血を後世に繋ぐ役目を果たした。初年度から136頭もの交配相手を集めることができたのは、あのセントライト記念があったからにほかならない。今年はセントライト記念史に残るような一戦になるだろうか。

 

 

***** 2022/9/16 *****

 

 

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2022年9月15日 (木)

西か東か

父も母も東京の生まれ。その両親も関東の人間だったから、箱根の山より西に親類縁者は一人もいない。そんな人間が50歳を過ぎて大阪で独り暮らしをするようになったのだから、驚くこともそりゃあたくさんある。

お好み焼きにライスが付く。うな重のウナギが硬い。「どん兵衛」のダシの味も、TV番組も、水の硬さも、マクドナルドの呼び方も、電気の周波数にしたってとにかくみんな違う。

その境目がどこにあるのかという議論は、昔から語り尽くされてきた。

新潟県糸魚川から長野県の諏訪湖西岸を貫いて静岡市へとつながる「糸魚川静岡構造線」がそうだという説があれば、天下分け目の関ヶ原こそ東西の境目だとする説もある。2006年まで夏の甲子園の組み合わせ抽選では、近隣同士がいきなり初戦でぶつかるのを避けるため東西に分けて抽選していた。そこでは「東」は富山、岐阜、三重から東、「西」は福井、滋賀、奈良より西とされていたと記憶する。つまり愛知は東日本だった。しかしJRA10場において中京は「関西ローカル」の扱いだから、西日本エリアに含まれる。

Nobori

前置きが長くなったが、今日は園田で西日本ダービーが行われた。「西」の一文字があるとないとでは大違い。だが、西日本に住んで1年9か月、このレース名に特別な響きを感じるようになった。金沢、名古屋、笠松、園田、高知、佐賀の競馬場から2頭ずつの計12頭立て。第1回は2016年に園田で行われ、各場1回ずつ持ち回り開催した末に今年再び園田に帰ってきたのである。

ダービーの名前がついているとはいえ、出走レベルは年によってまちまち。出走資格に「各競馬場でデビューし他場への移籍経験がない馬」という条件があることから、必ずしも各場の3歳トップクラスが参戦してくるとは限らない。ただ今年は金沢からスーパーバンタムが参戦してきた。言わずと知れた石川ダービー馬は現在7連勝中。地元の同世代に敵はいない。他場とのレベルの差は未知数だが、西日本のファンは北陸の才媛を単勝1.3倍のオッズで支持した。

いちばんの好発を決めたのはスーパーバンタム。内からハナを主張したフィールマイラヴを先に行かせて、自身は2番手で折り合った。道中はどの馬も動きが少なく、ペースは落ち着いている。2週目の3コーナーから仕掛けたのは、前が楽をしていたことと、手綱から前走ほどの手応えが伝わってこなかったからだと青柳騎手は振り返る。結果クビ差の辛勝。しかし、初の遠征競馬だったことを思えば悪くない。

Super

次走は未定とされたが、いよいよ古馬との対決が待ち受ける。パドックでは大半の馬が初の園田参戦でソワソワする中、ただ一頭だけ古馬のような風格を漂わせて堂々と歩いていたことを思えば古馬の壁もあっさりクリアしてくれるのではないか。東日本の馬たちとの対戦も楽しみだ。

 

 

***** 2022/9/15 *****

 

 

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2022年9月14日 (水)

ゲイタイムの血

日本のエリザベス女王杯は今年で47回目を迎える。牝馬限定の11ハロンという条件のみならず、秋の京都という舞台も相まって、我が国屈指の「美しいレース」という印象が強い。

Sakuracandle

昨日付で、「エリザベス女王」の名を冠したレースが英連邦以外の国で定期的に開催されるのは異例と書いた。そのきっかけとなったのは1975年の女王陛下来日であるわけだが、そもそも女王陛下来日のきっかけを作ったのは、誰あろう時の総理大臣・田中角栄である。

田中角栄は1973年9月に英国を公式訪問。女王陛下とも言葉を交わす機会を得た。田中角栄がJRAの馬主だったことを知る人はもはや多くはあるまい。夫人名義ではあるがオークスも勝っている。女王陛下との会話ではその知識を存分に発揮したらしい。そのあたりの事情は「田中角榮 私が最後に伝えたいこと」(佐藤昭子著)に詳しい。多少長くなるが引用させていただく。

 ◇ ◇ ◇ 

田中は競馬についてはいささか薀蓄があったので、得意になって競馬談義をして、女王を多いに愉しませている。お会いすると、まず「日本の馬主というのは、どうなっているんですか」とご質問されてきた。田中はびっくりして、「どういうことですか」と聞き返すと、女王は「日本の名もない人たちが来て、わが国のいい種馬をみんな買っていってしまいます。どうするつもりなのでしょう」とのことだった。

田中は、「私も九歳の時から馬に乗っております。戦前、日本陸軍に召集された時は騎兵でした。それで馬は今でも大好きです。イギリスの馬を買い叩いてご迷惑をかけているなら話は別ですけど、高値がついているのは必ずしも悪いことではないと思います」と答えて、「女王がお持ちなさってたゲイタイムは日本に輸入されて、その子どもはダービーに二度も勝っていますよ」と言ったら、女王はとても嬉しそうな顔をされたという。

女王はたまげて、「あなたは専門家ですね」と言うので、田中は「専門家ではない、余は騎士である」と答えて、二人で大笑いしたという。

田中がが「ぜひ日本へいらして下さい」と言ったら、女王は「喜んで伺います。東京へ行ったら、どこへ案内してくれますか」というので、「東京競馬場へご案内します」と答えて、また二人で大笑いした。

 ◇ ◇ ◇ 

この会話が交わされた2年後の5月に女王陛下の来日が実現。ところが東京競馬場への訪問は叶わなかった。「スケジュール多忙のため」とされるが、警備上の問題もあったのだろう。のちに田中角栄は「東京競馬場へ案内してゲイタイムの子どもに乗せてあげたら、日英間の貿易摩擦もなくなっていたのに。それが残念でならない」と悔やんでいたという。

一方、京都競馬場では「エリザベス女王御来日記念」が行われた。来日スケジュールには京都訪問も組み込まれていたから、JRAとしてはこちらに女王陛下をお呼びしたかったのかもしれない。勝ち馬は5歳牝馬のユウダンサーズ。福永洋一騎手を背に逃げ切ってみせた。

そのレース結果を聞いた女王が「勝ち馬の写真と優勝カップのレプリカをもらいたい」と希望された。後日JRA担当者が写真とカップを届けに英国大使館を訪ねたところ、応対した公使から「これを機に、毎年女王杯レースを実施されてはいかがですか」と提案があったという。

Akaiito

公使の一言がエリザベス女王杯創設の流れを決定付けたと言っても過言ではあるまい。事と次第によってはエリザベス女王杯は東京で創設されていた可能性だってあった。歴史とはそういうもの。ちなみにゲイタイムの産駒として日本ダービーを勝ったのは1962年のフエアーウインとよく63年のメイズイ。3冠馬ミスターシービーの曾祖母メイワもゲイタイムの産駒であることを考えると、ゲイタイムが日本競馬界に与えた影響は極めて大きいと言えよう。

 

 

***** 2022/9/14 *****

 

 

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2022年9月13日 (火)

【追悼抄】エリザベス2世女王を偲ぶ

6日、英国のエリザベス女王がお亡くなりになった。

全世界の競馬関係者そして競馬ファンにとって、女王陛下が特別な存在だったことは間違いない。英国と言えば競馬の宗家。その国家元首が筋金入りの競馬好きだったことは、競馬に関わるすべての人たちの大きな希望であり誇りである。毎年欠かさずエプソム競馬場でダービーを観戦されていた陛下が、、体調がすぐれないことを理由に今年の観戦をキャンセルされた。それを聞いて不安を覚えた向きも多かったと思う。もちろん私もその一人。嫌な予感ほど当たる。

Flag

9日、JRAの競馬場では半旗が掲げられた。秋の京都(今年は阪神)で行われるエリザベス女王杯は今年47回目を迎え、「エリザベス女王即位70年記念」の副題を付して実施する予定だったが、その副題の付与も取りやめることになったらしい。

風にはためく日の丸を眺めていると、四半世紀以上前のアスコットの光景が脳裏によみがえってきた。

エリザベス女王の名を冠したレースは世界各地で実施されているように思いがちだが、米国、インド、香港、オーストラリアなど旧大英帝国を宗主国とする「英連邦」以外で行われている我が国のエリザベス女王杯は稀有な存在。女王陛下と日本との結びつきの強さを裏打ちする存在でもある。本家英国では「クイーンエリザベスⅡステークス」にその名を冠す。秋のアスコットで行われるマイルGⅠは過去にドバイミレニアムやフランケルも勝った欧州マイル路線の総決算的レース。ちなみに昨年の優勝馬はバーイードだ。

1996年9月28日のアスコット競馬場。クイーンエリザベスⅡSはこの日の第3レースに組まれている。この日たまたま現地を訪れて、たまたまパドック内に入れるリボンを手にしていた私は出走馬がパドックを周回する様子を眺めていた、アシュカラーニ、ボスラシャム、そしてマークオブエスティーム。さすが欧州のトップマイラー。一頭一頭が醸し出すオーラが凄い。見ているこちらの目がやられてしまいそうだ。

馬を見るのに疲れて、ちょっとだけ視線を逸らしたその先に、そのお方は佇んでいらした。エリザベス女王陛下、その人である。水色のドレス。右手にはレーシングプログラム。大勢の競馬関係者が集まるパドックで、集団からひとり離れた位置に立って、周回する馬たちを熱心にご覧になっている。私との距離は10mほどであろうか。馬道を横切ればすぐの距離だ。だが、むろんそんな勇気はない。

Ascot

レースはこの年の英1000ギニー馬・ボスラシャムを、同じくこの年の英2000ギニー馬・マクオブエスティームが差し切って優勝。表彰台で女王陛下から優勝カップを手渡されたランフランコ・デットーリは喜びを爆発させたが、自国のクラシックホース2頭によるワンツーフィニッシュに女王陛下も喜んでいらしたようにお見受けした。

この表彰台がまたスタンドから近くて驚く。日本のように柵で隔てることもない。デットーリはともかく女王陛下がお立ちになる場所である。日本ではまずありえない。女王陛下のこの距離感は、競馬を離れたとことでもさほど変わらないのであろう。国民と競馬を愛し、そして国民と競馬に愛された歴史上類のない国家元首の逝去を悼む。

 

 

***** 2022/9/13 *****

 

 

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2022年9月12日 (月)

牛丼8000杯の果てに

おとといのこと、彦根城下の「千成亭」という近江牛専門の精肉店に併設された「牛丼専科」というお店で牛丼を注文してみた。並盛一杯のお値段、なんと1100円。たかが牛丼に、と思われるかもしれない。私とてそう思う。「すき家」なら大盛(550円)を2杯食べることができる。それでも興味の方が勝った。近江牛は高いのである。

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一口食べてみた。旨い。当たり前だ。問題は1100円の値段に見合うかどうか。なるほどたしかに肉の旨味が強い。敢えて言えば「脂の味」が濃い気がする。とはいえ肉自体は脂身では決してない。近江牛ならではの霜降り具合が為せる味であろう。それを牛丼に求めるかどうかは人それぞれ。1100円だと思うと「吉野家」や「すき家」のように掻き込めないところが小市民の悩みである。

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昨日は中京競馬場内の「吉野家」で大盛弁当を食べた。そして、今日の朝食は近所の「すき家」で、そして夜も近所の「松屋」で済ませた。JRAに行けば「吉野家」で、大井に入りては「松屋」(閉店したらしいけど)で、そして船橋なら「すき家」でという具合に、たいていの競馬場には牛丼店がセットになっている。日々競馬場に出入りしていれば、3度の食事が牛丼に傾くのもやむを得まい。レースとレースの合間にササッと食べられる上、安く、そして美味いとなれば、他のメニューを選ぶ理由などなくなる。

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ここ数日のように3日で4食というのは極端な例だろうが、とはいえ2日に1食のペースは守っていると思う。牛丼との付き合いは学生時分からだから、年間180食を45年間続けているとして、ざっと8000杯の牛丼を食べてきた計算だ。私のこの身体は、ほとんど牛丼で出来ていると言っても過言ではない。いや、過言か?(笑)

ともあれ、こうなるともはや「お袋の味」とか「女房の手料理」なども凌駕した領域ではあるまいか。私はもっと牛丼に感謝し、もっと牛丼を大事にすべきなのかもしれない。

牛丼1杯の原価は売価の約3割である。さらに6割が人件費や店舗の賃貸料などの諸経費。企業側の儲けはたった1割でしかない。400円の牛丼を1杯売って得られる利益は40円。それを350円で出せば当然足が出る。多くの牛丼フリークが350円時代を懐かしむ気持ちは分からないでもないが、企業努力にも限度というものがあろう。綱渡りはちょっとしたことでバランスを崩して落下しかねない。

「吉野家」は1980年に一度倒産したことがある。味が落ちて客足が遠のいたことが最大の原因だが、そもそも味が落ちたのは経費削減のために材料費を大幅に削ったからだ。当時、居酒屋チェーンの「養老乃瀧」が牛丼販売を展開し始めていた。その価格、なんと1杯200円。当時としても破格と言える低価格での参入は、巨大な経費削減圧力となって「吉野家」を襲い、結果として味の低下をもたらしてしまったというわけだ。

良い味を守ることは、実は客の役目のひとつでもある。たかが牛丼と笑われるかもしれないが、生涯8000杯の味が消えては生きていけない。あらゆるものが値上げされるこの時代に、牛丼業界は値上げするとなぜか叩かれるだけに、不安が尽きないのである。

 

 

***** 2022/9/12 *****

 

 

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2022年9月11日 (日)

鳴りやまぬ拍手

圧倒的1番人気のオープンファイアがスタートで出遅れるとほぼ満員のスタンドが大きくどよめいた。

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中京5レースは芝2000mの2歳新馬戦。1番人気のオープンファイアはディープインパクトのラストクロップということで大きな注目を集めている。国内でデビューを待つディープインパクト産駒は6頭。うち牡馬は2頭しかいない。そのうちの1頭となれば単勝1.3倍も当然だ。しかし当のオープンファイアにとって、そんな事情は知ったことではない。7頭立ての後方をのんびりと追走している。

直線に向いても後方のまま伸びてくる気配はない。これは飛んだか。視線は4〜5前方で繰り広げられている先頭争いに移る。逃げたサンライズジークをピースオブザライフが競り落とした。勝負あったか。その時、スタンド全体が揺れるような歓声が沸き起こった。

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大声は控えるのが今の競馬場の約束である 。そんなルールをも置き去りにする脚色でオープンファイアが追い込んでくる。これは差し切る勢いだ。それが明らかだからこその大歓声であろう。結果きっちりクビだけ差し切ってゴール。その瞬間、満員のスタンドから万雷の拍手が沸き起こった。コロナ禍で競馬場の拍手は日常的な光景になったが、新馬戦での拍手は珍しい。この馬の将来にかけるファンの期待の発露。まずは第一関門突破だ。

メインのセントウルSの拍手はそれをさらに上回るものだった。直線で1番人気メイケイエールが先頭に立って拍手。後続を突き放して拍手。完勝でゴールを駆け抜けまた拍手。そして、掲示板に「レコード」の赤文字が点灯すると、さらにひときわ大きな拍手が沸き起こった。ダートコースをゆっくり引き揚げてくるメイケイエールに向けて拍手は鳴り止む気配がない。場内実況の「拍手が鳴りやみません!」の言葉に、拍手のボルテージがまた上がった。

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久しぶりの中京競馬場は当日入場券の発売もあって大盛況。スマートシートは4人掛けに3人が座る配置に変更されていた。ビギナーズセミナーも再開。ベンチはどこも塞がってて、飲食店はどこも大行列。コロナ前にかなり近づいた印象を受ける。そんな競馬場に若干の戸惑いを感じた。人もまばらな景色も2年も見続ければ日常と化す。そうした中にあって拍手による応援はコロナ禍の遺産として競馬場に定着するのかもしれない。

拍手の大きさは人気のバロメーター。ソダシの従姉妹であり、ソダシと同じ重賞6勝を挙げながら、なぜかGⅠには手が届かない―――。それもまた応援したくなる理由のひとつ。現役競走馬としては異例となる写真集「メイケイエール ~一生懸命、全力疾走~」は今週金曜日に発売だ。

 

 

***** 2022/9/11 *****

 

 

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2022年9月10日 (土)

彦根の名月

明日はセントウルステークス。名古屋への道中、お城とひこにゃんと月見と彦根ステークスで有名な彦根に立ち寄った。それにしても、お城というのは坂と階段だらけですね。「登城」とはよく言ったものだ。

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今宵は十五夜ということで、ひこにゃんはススキを持って登場。今宵はお城で観月会も行われるとのこと。それにしても相変わらず大人気ですね。こうなると明日のセントウルSは川須はるひこにゃん騎手のボンボヤージが気になる。

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夜はお城の近くのお蕎麦屋さんへ。蕎麦前のアテにコンニャクの土佐煮を頼んだら、真っ赤なコンニャクが運ばれてきてひっくり返った。なんだこりゃ? マグロぶつ切りじゃないのか?

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聞けばこちらのコンニャクはこういう色らしい。にわかに信じられないので、店を出てからスーパーで確認したら、ご覧の通りだった。紅くなった背景には織田信長が絡むエピソードがあるらしい。私も明日は桶狭間決戦。3枠赤帽ジャスパープリンスを買えという信長のお告げだろうか。

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スーパーで月見だんごを買ってホテルに戻ったら山の端から大きな満月がゆっくりと姿を現した。

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天気予報は絶望的。それでも彦根の夜空はなぜか晴れた。おかげで見事な中秋の名月が城下を照らしている。

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だんごを食べながら思った。やはり狙うべきはシャンデリアムーンしかあるまい。父はもちろんアドマイヤムーン。開幕週の馬場と絶好枠を味方に一気呵成の逃げ切りに期待だ。

 

 

***** 2022/9/10 *****

 

 

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2022年9月 9日 (金)

中秋の月明かり

明日は十五夜。月見の風習は奈良時代ごろに中国から伝わり、平安時代には貴族の遊びとして流行、鎌倉時代には武士や庶民にも広がった。その後は豊作への感謝祭として日本人の生活にすっかり定着し、稲穂に見立てたススキと、満月のように丸い団子や里芋を供える風習が各地に残っている。

10年ほど前までは我が家でも近所の多摩川までススキを刈りに行ったのだが、最近はどこにも生えてない。10年前は河原一面に生えていたのに……。だが、子供たちに言わせれば、お月見のススキは生花店で買うものらしい。そういえば団子だって昔は家族総出で作った。大阪で独り身の今では近所のコンビニで買うものになっている。

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競馬予想に使われる◎○▲×△の印を「ダンゴ」と呼ぶのをご存じだろうか。由来はもちろん、予想欄に並んだその形状が串に刺した団子の形に似ているから。ゆえに競馬記者は「ダンゴ打ち」とも呼ばれる。

競馬専門紙に予想の印があるのは日本独自とされる。欧米の競馬新聞では馬ごとの単勝配当が記載されている程度。だが、この日本が世界に誇る文化も、考案者や始まりの時期はよく分かっていない。JRAの物知りに聞けば、こうした記号は学校の通信簿をヒントにしたという説があるそうだ。もしそうだとすれば予想欄の印を見る目も変わってくる。己の通信簿を客に曝される馬たちは、なんとも気の毒でならない。

◎が本命、○が対抗、▲か×が単穴(1着か着外)、△が複穴(2、3着候補)とするのが、おおまかな約束事。だが、馬券の種類が増えた昨今では△が4~5個に★とか△を二つ重ねたような(二重△)記号も増えた。なにせ3着まで予想しなければならないご時世である。予想欄に印が増えた現状をほくそ笑んでいるのは、間違いなく主催者であろう。どうしたって買い目は増える。

折しも明日は中京でムーンライトハンデが行われる。

中秋の名月にムーンライトとくれば狙いはロールオブサンダーをおいてほかにあるまい。2年ぶりのレースだった前走は度外視。2戦目の今回は重賞でも好勝負してきた実力が発揮されてもおかしくない。ヒートオンビートを9馬身も突き放した前々走は鮮烈だった。なんと言っても母の父があのアドマイヤムーン。「砂漠の月」と呼ばれたその血が中京のターフを明るく照らすシーンに期待しよう。

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***** 2022/9/9 *****

 

 

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2022年9月 8日 (木)

アフターファイブに輝く新星

「アフターファイブって、どういう意味なんですか?」

何年前のことだかは忘れたが、アフター5スター賞当日の競馬場へと向かう連絡バスの車中。私の目の前に立った若い男が、連れの男にそう尋ねた。訊いた方は20歳代。訊かれた方は30歳代といったところであろうか。

「ああ、仕事が終わったあとってことだよ。昔はどこの会社も仕事は5時までって決まってたんじゃないかな」

「ふーん、昔は良かったんスねぇ……」

栄養ドリンク「グロンサン」のCMが話題となり、「5時から男」というフレーズが流行語となったのは1988年のこと。バブル全盛の当時、アフター5は派手に遊ぶための時間帯と位置付けられ、大井のナイター開催も異常な盛り上がりを見せた。驚くなかれ、重賞でもなんでもない開催日でも、連日のように2万人を超える大観衆が詰めかけていたのである。それからほどなくして重賞「アフター5スター賞」が新設された。

数えて今年が29回目。レースは直線早めに先頭に立った3歳馬・プライルードが他馬を寄せ付けない圧巻の走りを見せ、優駿スプリントに続く重賞連勝を果たした。

53キロの軽量が生きたことは間違いないが、それでも古馬初対戦の3歳馬が勝ったことは注目に値する。しかも相手にはダートグレード勝ち馬も含まれていた。種牡馬ラブリーデイにとっても大きな勝利だったことは間違いない。ラブリーデイ推しの筆者にとっても、この勝利は嬉しい、

長引く不況でアフター5は残業が当たり前。入場者が2万人を超えることなど、コロナの今ではあり得ない。ちなみに今日の入場者数は2508人。これくらいだとアフター5というよりは、ビフォー5から競馬場に来ていた客の方が多いかもしれない。

昨今の若いファンに、四半世紀も昔のことを説明したところで、ピンと来ないのは仕方あるまい。そもそも創設当初から、このレース名については議論があった。けっこう頻繁にレース名を変える大井にあって、「アフター5スター賞」という名称が今日まで生き残っていることに、逆に新鮮さを感じる。

 

 

***** 2022/9/8 *****

 

 

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2022年9月 7日 (水)

です・ます

Twitterで一度投稿したツイートは変更できない。これはTwitterの常識―――のはずだった。だがここへきてTwitterの編集機能のテストが始まり話題となっている。

これは投稿の編集ができないことに不満を抱いているユーザーが多い証。一方で140文字の文字数制限の緩和に関する発表はない。ライバルのFacebookやInstagramに奪われた利用者を取り戻すには編集機能だけでは足りぬと思うのだが、そんなことはTwitterだって百も承知であろう。それ以上に大事なものがあるということか。

私も以前ちょっとだけTwitterをかじっていたことがある。ただし、私にとっては「140文字の制限」そのものが魅力だった。書こうと思ったその瞬間に、リズムの良い文章を、140文字以内でいかにして書けるか―――。一種のゲームでありトレーニングでもある。俳句や短歌の世界にも近い。

ただ、とある馬が現役を引退するらしいという趣旨のことを書いた途端、リツイートの通知が止まらず、ポータルサイトのトレンドにもランクインするに至り、怖くなった私は慌ててアカウントを削除したのである。

これが炎上というものか……。

その時はそう感じた。だが、ネット事情に詳しい知人は「そんなもん炎上でもなんでもない」と冷たい。ただ、「それで慌てるようなヤツはツイッターに向いてない」とも言われたので、やめたこと自体は間違っていないのだと思う。以来SNSに関しては、毎夜このブログを細々と投稿する程度に留めてきた。むろん炎上が怖いので、他人の悪口はもちろん引退情報の類についてもいっさい書かないことを旨としている。

しかしある時、使い勝手がすこぶる悪いと評判の(これは悪口か?)ココログ・スマホアプリをインストールしてみようと思い立った。きっかけは、旅先にパソコンを持参してまでブログを書くのが面倒になったから。んで、実際にアプリを入れてみると、なるほど確かに使い勝手はよろしくない。でも、せっかく入れたのだからと、旅行中でなくても昼間っからちょいちょい短いところを投稿したりした。そうなると投稿している側の感覚としてはTwitterに近い。

それで気づいたことがある。その短い文章を投稿をする時は、決まって文章が「です・ます調」になってしまうのである。「間もなくダービーの発走です」とか「浦和競馬場でお饅頭食べてます」という具合。思えばツイッターのときもそうだった。「です・ます調」は情報量が少ない割に字数を食うので、本来なら文字制限のあるTwitterには向かない。でも、いざ投稿すると、ついつい「です・ます調」になってしまうのである。

その一方で毎夜23時に更新するこのブログの文面は、特に意識することなく自然とこの調子、すなわち「だ・である調」になる。夜が深まると、私の性格がだんだん高圧的になるというわけではない……はず。あるいは人は短い文を書こうとすると、人はつい丁寧になってしまうのかもしれない。

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ツイッターであれブログであれ、今の現状を簡潔に伝えようとするときに「です・ます」になるのは、そこにいない誰かに話しかけているからではあるまいか。実際にそこに人はいない。でも、知らず知らずのうちに特定の誰かを想定しているのである。

それが誰なのかは人それぞれ。私の場合はこのブログの読者のみなさんということになろう。ならば、夜23時の投稿も「です・ます」にならなきゃおかしいだろ、と言われそうだが、もともとこれは自分のために書きためた備忘録でもあり、文章のトレーニングで始めたといういきさつもある。その意識が働くから、こんな具合に無愛想な文体になるのやもしれぬ。

大阪に住むようになって以来、競馬場に行くことが激減した。その結果、日々の投稿は意味のないものばかりになっているように感じる。だが、東京に住んでいた当時の投稿だってそれほど中身があったとは思えない。それでも毎晩休むことなく書き続けているという自負はある。実は最近は日々の更新が難しいと感じるようになってきたのだけど、それでも今後ともおつきあいいただければ、筆者としてこれに勝る喜びはない。

 

 

***** 2022/9/7 *****

 

 

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2022年9月 6日 (火)

奇跡は起きるのか

写真は2009年の勝島王冠。この年から重賞に格上げされた勝島王冠には重賞勝ち馬13頭、さらにそのうち2頭がダービー馬という豪華メンバーが集結した。

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そんなハイレベルの一戦を制したのは、遅れてやって来た素質馬セレン。1着馬にのみ与えらえる優先出走権を得て、勇躍向かった東京大賞典ではサクセスブロッケンやヴァーミリアンを上回る36秒5の末脚で猛然と追い込み、4着と好走している。ダートグレードを勝てる能力があることは疑いがなかったのに、ビッグタイトルとは無縁のまま引退を余儀なくされたのが残念でならない。

それでも種牡馬になったセレン。当然ながら配合相手は集まらない。初年度の生産頭数は2頭。翌年も2頭。そしてその翌年は1頭。しかし、その1頭が奇跡的な活躍を見せる。それが2017年生れのブラヴール。2020年の京浜盃を勝ち、羽田盃で2着し、ジャパンダートダービーでもダノンファラオの4着と好走した。その後も着実に勝ち星を重ねて、明日の東京記念に出走してくる。筆者はこれをナマで観戦するつもりだったが、それが叶わなかったのは先日書いた通り。こうなると、逆に勝ちそうな気がしてならない。

ちなみにお父さんのセレンが最後に勝った重賞も東京記念。石崎駿騎手を背に、ルースリンド以下に4馬身の差をつける独走だった。その子ブラヴールに2400mへの不安はない。なにせお母さんは3冠牝馬チャームアスリープである。しかも手綱を取るのはセレンが東京記念を勝ったときと同じ石崎駿騎手。やはり勝つとしたらここではないか。

これまで血統登録されたセレンの産駒はわずか10頭。もし勝てば単なる父子制覇にとどまらず奇跡的な出来事になる。注目しよう。

 

 

***** 2022/9/6 *****

 

 

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2022年9月 5日 (月)

【訃報】ゼンノロブロイ

今月2日、ゼンノロブロイが亡くなった。8月に入ってから歩様が悪化し、この日の朝は起き上がることができず、牧場関係者が見守る中、静かにこの世を去ったという。22歳。発表された「老衰」という死因に意外な思いもしたが、そういうものなのだろう。

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2004年に天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念の古馬王道路線を完全制覇。翌年にはインターナショナルSに遠征し、エレクトロキューショニストのクビ差2着に敗れた。種牡馬としてもサンテミリオンやペルーサ、トレイルブレイザーなどを輩出……と報道では、この3頭の名前が挙がりがちだが、マグニフィカも忘れないでほしい。2010年ジャパンダートダービーの優勝馬。ブラックタイプ表示順ではサンテミリオンの次に記載されるはずで、その名前すら紹介されないことには違和感を覚える。まあ、結局はファンの印象の問題だ。

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印象ということでいれば、ゼンノロブロイに関しては秋の古馬GⅠ3連勝の記録よりも、翌年のインターナショナルS2着の方が印象が強い。そのレースでゼンノロブロイは2着に敗れはしたが、ベストターンドアウト賞を受賞した。"Best turned out" とは「もっとも見栄えが良い」という意味。すなわち、そのレースの出走馬の中で、もっとも手入れが行き届き、見栄えのする馬に与えられる賞で、実際に受賞するのはその担当厩務員ということになる。英国では古くからある賞で、現在では欧米を中心に多くの国で行われている。日本でも最近では頻繁に行われているが、当時は日本での認知度も今ひとつ。受賞を報じるメディアも少なかった。

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ゼンノロブロイの受賞は本場英国での受賞ということで期を画する。ベストターンドアウト賞は決してオマケの賞などではない。手入れ、トリミング、そして躾の具合も評価対象となる。「日本人は馬のような猛獣に乗っている」と揶揄されてから一世紀半。日本のサラブレッドの美しさが認められたことの意義は小さくない。

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ちなみに、インターナショナルSでゼンノロブロイが受賞した賞金は日本円で約3万5000円ほど。それでも、秋天・JC・有馬の3連勝で獲得した7億7千万余円の賞金に匹敵する価値があると私は思っている。先日他界したばかりのタイキシャトルもそうだが、藤沢和雄厩舎の所属馬は美しい馬が多かった。

 

 

***** 2022/9/5 *****

 

 

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2022年9月 4日 (日)

緊急帰阪

自分で釣ってきたアジを開きにして……というのは嘘で、近所のスーパーで買ってきたアジの開きを庭で焼いていたら、スマホが鳴った。

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めっちゃ嫌な鳴り方をする。ぜったいに良い知らせではない。そんな音。そもそも、夏休み中の人間に朝っぱらに掛かってくる時点で悪いハナシに決まっている。そんな電話なんかより、いま大事なのはアジの焼き具合である。しばらく放っておいたら、また鳴った。仕方なく通話ボタンを押して開口一番「しつこい!」と叫ぶと、相手は「熱が出ました」と言う。ちなみに電話の相手は職場の同僚だ。

実は昨夜、別の同僚からも発熱メールを受けた。巷は新規感染者が減る傾向にあるというのに、私の周りはそうではないらしい。昼になって、どちらも「陽性」が判明。私のささやかな夏休みはその瞬間に強制終了である。無念の緊急帰阪。水曜に大井に行く予定だったのだがそれも無かったことに。行くことができれば2年ぶりの大井になるはずだった。東京記念、観たかったなぁ。

 

 

***** 2022/9/4 *****

 

 

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2022年9月 3日 (土)

月明かり

子供の頃は夜道を歩きながら月光が作り出す自分の影の鮮明さの度合いで、月の満ち欠けが分かった。月明かりを意識しない生活を送って久しい。それでもたまに北海道の牧場で夜間放牧の様子を見に行くと、月光の明るさに驚かされることがある。秋は月が美しい季節。月明かりを受けて輝く海もまた美しい。

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今日の小倉9レース筑後川特別に「ムーンライト」という名の馬が出走していた。ハーツクライ産駒の5歳牝馬。ここを勝てば来週の中京10レースで行われるムーンライトハンデキャップに連闘で出てくるかもしれない……。そんな勝手な思い込みで注目したが6着に敗れた。連闘だけでも厳しいのに、わざわざ格上挑戦なんてしませんよね。それでもムーンライトがムーンライトハンデに出るところを見たかった。

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ちなみに昔、エニフという馬もいた。番組表を見ればムーンライトハンデキャップのあとにはエニフステークスが行われる。たが残念なことにエニフがエニフステークスに出走することもなかった。カタカナのレース名称が少ないせいもあるが、レース名と同じ名前の馬が出走したケース私は知らない。ハーツクライ牝馬・ムーンライトの来年に期待しよう。

 

 

***** 2022/9/3 *****

 

 

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2022年9月 2日 (金)

シーグラス

夏休みをいただいてます。

眼の前の浜は岩だらけで海水浴には不向きですが、人が居ないおかげできれいな貝殻やシーグラスがたくさん落ちてました。

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ゴールドシップ産駒の3歳牝馬・シーグラスは、オークスのあとを夏休みに充て、来週の紫苑ステークスで復帰予定。自身初めての中山競馬場でのレースを迎えます。血統表を見る限りでは中山得意の血を秘めていますが、さて。

 

 

***** 2022/9/2 *****

 

 

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2022年9月 1日 (木)

サンマンは目黒に限る

幼少の一時期を目黒で過ごした。サンマと競馬場で有名な、あの目黒である。と言っても目黒ではサンマは獲れないし、今では競馬場もない。落語とレース名のみにその名を残すだけなのに、今も人々に大きな印象を与えているのはたいしたもの。オペラシチーが目黒記念を勝ったのは、もう17年も前のことになりましたか。ディープインパクトがダービーを勝つ前の週のことだ。

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ともあれ9月の声を聞けばサンマが恋しくなってくるもの。ところが本州のトップを切って大船渡港に初水揚げされたサンマの水揚げ量はわずか3トン。昨年が35トンだったから1割にも満たない。今世紀に入ってから最少だという。今後の回復に期待したいが、サンマそのものよりも「サンマ不漁」のニュースが秋の風物詩になりつつあるような気がしてならない。先月では豊洲市場で1匹1万3200円の値が付いた。もはや庶民の魚とは呼べまい。

サンマが「秋の味覚」と呼ばれるのは、何よりも安くて美味いからである。なのに、最近はまったく安くはない。しかも豊洲の関係者に聞けば「美味くもない」という。これは最悪である。たとえ高くても美味ければ納得する人もいるだろうが、「良いのがまったく揚がらない」とお手上げの様子。多少高くても仕入れるはずの鮨店でも、代わりにアジを仕入れるところが多いようだ。

不漁の原因としてロシアとの関係悪化が報じられているが、それだけでもないらしい。ひとつには海水温の高さが挙げられる。サンマの漁場は海面水温が13~15度が適しているとされるが、今年の日本近海はそれを1度ほど上回っており、漁に出てもサンマが見つからないのだという。これを地球温暖化の影響だと言い切ることはさすがに難しいが、このままではサンマは「秋の味覚」ではなく「冬の味覚」になるかもしれない。

むかしメジロサンマンという馬がいた。オールドファンならテイトオーの勝ったダービーで落馬、競走中止した馬として記憶されている方もいらっしゃるかもしれない。

実はこの馬が現役生活の最後に勝ち取った唯一の重賞タイトルが目黒記念なのである。これをして、当時の競馬ファンが「サンマンは目黒に限る」などという駄ジャレを吐いたかどうかは定かではないが、目黒記念のタイトルを得たことで種牡馬になれたのだとしたら、これは小さからぬ出来事だった。産駒のメジロイーグルを経てメジロパーマーへと続く父系種牡馬の祖となったばかりでなく、メジロライアンの母の父としてもその名を残すこととなったからである。

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***** 2022/9/1 *****

 

 

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