【訃報】ライブリマウント
1994年暮れから日本各地の重賞を6連勝し、1995年のJRA最優秀ダートホースやNARグランプリ特別表彰馬にも選出されたライブリマウントが亡くなった。31歳なら大往生であろう。まだダートグレード競走が整備される前、私が地方競馬の仕事に就いた当初の活躍馬だけに思い入れも深い。
地方所属馬に桜花賞や日本ダービーへの門戸が開かれ、「交流元年」とも呼ばれた1995年のクラシックに、いきなり地方から新しい風が吹き込まれた。笠松から参戦したライデンリーダーと安藤勝己のコンビが報知杯4歳牝馬特別を勝ち、さらに桜花賞、オークス、エリザベス女王杯に出走を果たすという快挙を成し遂げたのである。安藤勝己さんは引退に際し、「ライデンリーダーとの挑戦がJRA移籍の夢を抱くきっかけになった」とコメント。その言葉の通り、ライデンリーダー以降も地方所属馬との挑戦を続け、2003年ついにJRA移籍を果たした。
とはいえ、一方向の流れだけではそれを「交流」と呼ぶことはできない。ライデンリーダーが「地方→中央」の代表なら、「中央→地方」を担ったのはライブリマウントだ。
JRA所属でありながら帝王賞、ブリーダーズゴールドカップ、南部杯マイルチャンピオンシップと日本全国を股にかけて転戦し、アマゾンオペラやトウケイニセイといった各地のチャンピオンを打ち負かした。さながら流浪の道場破り。これもライデンリーダーと同じく1995年の出来事である。今のようなダートグレードの体系が確立されていなかった当時、各地の交流重賞を渡り歩いた彼が、地方中央交流推進の一翼を担ったことは間違いない。
彼らが明けた小さな風穴はやがて道となり、内田博幸騎手や戸崎騎手はそこを通ってJRAへの移籍を果たした。先週土曜の新潟・ダリア賞には大井所属のシテイタイケツが出走していたが、地方所属馬がJRAのレースに出走することをいちいち驚くファンも、もはやいまい。その先駆けとなったのがライデンリーダーであり、そしてライブリマウントであった。
引退後は種牡馬となりダイオライト記念を制したミツアキタービンを輩出。乗用馬となってからは初心者のお客さんを乗せたり、映画「のぼうの城」に出演するなどマルチに活躍した。記念すべき第1回ドバイワールドカップに出走を果たしたことも忘れないでおきたい。シガー、ペンタイア、ホーリングといった世界のチャンピオンホースを相手に6着。負けはしたが、世界の競馬史にその名はしっかり刻まれた。ライブリマウントに夢を見させてもらった人は少なくあるまい。私もそんな一人。名馬の冥福を祈る。
***** 2022/8/8 *****
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