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2022年8月31日 (水)

連闘

戦後の国営競馬で走ったサシカタは通算159戦未勝利という昭和版ハルウララ。しかもその敗戦記録の半数を超える82戦を、8歳時の一年間に記録しているというから驚く。

一年は52週なのだから、毎週走っても足りない。いったいどうやったのか? 答えは「連闘」。当時の「連闘」といえば土日の2日連続出走を指した。一開催8日間全日出走という、とてつもない記録も残した彼女にしてみれば、現代の連闘など鼻で笑うに違いない。

サシカタの時代から70年を経て、先週日曜の新潟2歳Sを勝ったのは連闘策で挑んだキタウイング。2着ウインオーディンと合わせて連闘馬によるワンツーフィニッシュとなった。連闘での重賞勝利は2018年にモズアスコットが安田記念を勝って以来4年ぶり。だが、2着馬も連闘馬となると当方記憶にない。

年  レース名      馬名
95 関屋記念      フェスティブキング
   愛知杯       サウンドバリヤー
96 阪急杯       トーワウィナー
   CBC賞      エイシンワシントン
   ウインターS    トーヨーシアトル
97 北九州記念     ダンディコマンド
   CBC賞      スギノハヤカゼ
98 北九州記念     トウショウオリオン
   阪神3歳牝馬S   スティンガー
99 クリスタルC    タイキダイヤ
00 シルクロードS   ブロードアピール
   中日新聞杯     トウショウアンドレ
01 小倉2歳S     タムロチェリー
02 ラジオたんぱ賞   カッツミー
03 東京新聞杯     ボールドブライアン
   ニュージーランドT エイシンツルギザン
   愛知杯       カゼニフカレテ
04 小倉2歳S     コスモヴァレンチノ
05 札幌記念      ヘヴンリーロマンス
   フェアリーS    ダイワパッション
06 福島牝馬S     ロフティーエイム
09 オーシャンS    アーバニティ
11 京都金杯      シルポート
13 京王杯2歳S    カラダレジェンド
14 オーシャンS    スマートオリオン
   函館2歳S     アクティブミノル
18 安田記念      モズアスコット
22 新潟2歳S     キタウイング

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1995年以降で連闘馬による重賞勝利はご覧の通り。馬が慢性的に不足していた戦後の競馬場とは違い、「連闘」と聞くと、どうしてもネガティブにとらえられがちの昨今である。実際、連闘をしないことをポリシーとする調教師がいる一方、連闘にポジティブな調教師もいたりと様々。ポジティブ派のひとりでもあった角居・元調教師は、「調教で鍛えられない部分を実戦で鍛えることができる」と連闘のメリットを挙げている。

また、水曜や木曜に追って中3日でレースを迎えるより、期間にゆとりがある連闘の方が逆に調整しやすい場合もある。キタウイングに関して言えば、ちょうど一週間前の未勝利勝ち後も飼い葉が落ちることなく馬体もすぐに回復。木曜に調教師自らが跨って状態を確認した上で連闘に踏み切ったという。

初勝利の翌週に重賞を勝った例といえば、1984年の函館3歳Sを勝ったエルプスを思い出す。エルプスはその勢いのまま、翌年の桜花賞を逃げ切った。この世代初のマイル重賞勝ち馬となったキタウイングは、現時点でもっとも桜花賞に近い位置にいる。

 

 

***** 2022/8/31 *****

 

 

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2022年8月30日 (火)

香川の一杯

坂出に来ている。

昨日の尾道と同じく競馬場も場外もない。仕事で来たことも同じ。しかしここにはうどんがある。さっそく仕事の合間を見つけて「坂出山下うどん」へと向かった。

作家の村上春樹さんが自著「讃岐・超ディープうどん紀行」で紹介したことで知られる有名店。店内には村上さんと同行したイラストレーターの故・安西水丸さんのサインが並んで飾られている。村上さんのサインは初めて見た。奥には昔の農家にあったような大きなかまどにお湯がぐつぐつと煮えたぎっている。お湯をたっぷり張った釜でうどんを茹でることで、ツルッとした喉越しが得られるという。

入店したらまずうどんの種類とサイズを言う。サイズは「小(1玉)」「大(2玉)」「特大(3玉)」の3種類。普段の私なら迷わず「特大」と叫ぶところだが、このあとのことも考えなければならない。滅多に口にしない「しょう」のセリフに若干声が上ずった。

うどんのドンブリを受け取ったら、自分で天ぷらや薬味を取ってダシも自分でかける。あとはそのまま空いてる席を見つけて食べればよい。混んでいたら店外に出て立って食べるのもアリ。空いている席を待っていたら、せっかくのうどんが伸びてしまう。一気に啜って会計は自己申告。こうしたシステムにも、最初の頃こそ驚かされたが、最近はさすがに慣れた。村上さんは「僕のうどん観にとっての『革命的転換があった』と言っても過言ではない」と書いている。私も讃岐に来るとそれを実感する。

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善通寺に車を飛ばしてもう一軒。住宅街に暖簾を掲げる「宮川製麺所」も地元に愛されるセルフ店だ。

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こちらでは、まずサイズに応じたドンブリを手に取るところから始まる。小(1玉)・大(2玉)兼用と特大(3玉)用の2種類。続いて割り箸を取って、さらに店の奥へ。麺玉が入ったトレイが並んでいるから必要な数を割り箸でドンブリに移す。ここでも大きなかまどにぐらぐらとお湯が沸いているので、自分で麺を湯掻く。だいたい5秒が目安。ちゃっちゃっとお湯を切って麺をドンブリに戻したら、自分で好きなダシをかけよう。ダシの鍋にはいりこがそのまま沈んでいるので、好きな人はそれを入れても良い。さらに天ぷらや薬味を取って完成。あとは隣接されたイートインスペースで一気に啜るだけ。麺も美味いが、ダシも美味い。

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ここも会計は自己申告。かけ小一杯が210円ですからね。安い。それでも最近になって値上げをしなければならなかったそうだ。諸般の事情を鑑みればやむを得まい―――安易にそう考えてしまうのは、我々観光客のいけないところかもしれない。村上さんは「香川県のディープサイドで食べたうどんにはしっかりと腰の座った生活の匂いがした」とも書いた。この一杯は香川県の人たちにとって生活そのもの。我々はそこにお邪魔させてもらっているという気持ちを忘れてはいけない。そう思いながら、実はもう一軒行ったのだがここで紙幅が尽きた。タイトルには「一杯」と書いておきながら、実は「三杯」食べてしまったことをお詫びする。

 

 

***** 2022/8/30 *****

 

 

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2022年8月29日 (月)

尾道の一杯

尾道に来ている。

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観光地としては有名だが競馬場も場外もない。しかもうどんよりもラーメンというお土地柄。そうは言っても仕事だから文句ばかりも言ってられないので、おとなしくラーメンをいただくことにする。

いまや全国区になった尾道ラーメンは、瀬戸内海の小魚でだしを取ったスープに、豚の背脂の小片がたくさん浮かんでいるのが特徴。色が濃くて一見コッテリ。だが食べてみると意外にアッサリ。そのギャップが良い。我々世代には古き良き中華そばの系譜を守ってくれているようにも思える。

尾道ラーメンを一躍有名にしたのは、作家の檀一雄さんがとあるラーメン屋を絶賛したことがきっかけとされる。その店の名は「朱華園」。当時の主人が尾道にラーメン屋台を出したのは1947年のことだった。生まれ育った台湾南部のラーメンがルーツ。自家製の麺はきしめんのように平べったく、スープのダシには敢えて魚介類を使わなかったそうだ。そこが檀一雄さんの琴線に触れたらしい。

その後「朱華園」は尾道一の大人気店になったが、3年前に惜しまれつつ閉店。しかし、おととし創業者のご親族の方が「朱華園」の味を受け継ぐ新店舗を開業した。その名も「朱」。

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濃い目のこげ茶色のスープにはふわふわの背脂が浮いている。そのわりにアッサリ飲みやすいのは尾道ならでは。麺は細目の平打ち。若干の縮れがスープをよく絡め取ってくれて美味い。店のすぐ近くは向島に渡るフェリー乗り場。檀一雄さんが味わった一杯とは異なるかもしれないが、尾道ならではの景色に包まれた一杯だった。

 

 

***** 2022/8/29 *****

 

 

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2022年8月28日 (日)

感動のゴール

急に休みが舞い込んだ。でも日曜日で人出も多かろうから、わざわざ出かけることもあるまい。部屋でゴロゴロしながら24時間テレビでも観て過ごそうか。しかし朝になって、近所の喫茶店まで朝食を食べに家を出たところで気が変わった。晴れているのに涼しい。これは出かけなければ損だ。コーヒーを飲みながら行先を考え、店を出るとそのまま駅に向かった。

久しぶりの京都歩きにしよう。京阪電車を伏見桃山駅で降りて、とりあえず北へ向かって歩き始めてまず最初に立ち寄ったのは藤森神社。1800年もの昔、神功皇后によって創建された由緒ある古社である。御祭神は素盞鳴命(スサノオノミコト)をはじめ十二柱。学問の神様や勝負の神様として知られるが、室町時代に始まった「駈馬神事」を「賭け馬」にもじって競馬ファンの間でも知る人ぞ知る存在。競馬関係者の信仰も厚い。境内にはこんな絵も飾られていた。香港国際カップを勝った時のフジヤマケンザンの雄姿だ。

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伏見稲荷大社を経て光明院へ。紅葉で有名な「波心庭」だが、この季節であれば参拝客の姿も少ない。白い砂は海、苔は砂浜、点在する白い石は波しぶきを、背後の木々は雲を表現しているそうだ。静寂の山に響くツクツクホーシの鳴き声が夏の終わりを告げている。

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東福寺も紅葉の季節に比べれば驚くほど人が少ない。前に訪れたのは、メジロドーベルが阪神3歳牝馬Sを勝った翌日だった。12月上旬ということで紅葉もほとんど終わっていたが、緑の絨毯のような地面の苔の上に落ちたモミジの鮮烈な赤は今も目に焼き付いて離れない。あれから四半世紀以上が経つわけだがあの頃に比べて苔の緑が色褪せた気がする。

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JRの線路を超えてさらに北へ。

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智積院で屏風絵を見て、豊国神社をお参りして、五条通りを渡って、建仁寺を抜けたあたりで「負けないで」の歌声が聞こえた気がした。歩き始めて13キロちょい。EXIT兼近さんの100キロには及ばないが、自分なりにはまあまあ頑張った。さあ、サライの大合唱と共に向かうゴールはもちろん国技館……ではなくていつものウインズ京都。毎回スタート地点は違えど、ゴールはココと決まっている。24時間マラソンでは栄光のゴールだが、私の場合は地獄の入り口にもなりかねない。そうとわかっていても、ここがゴールだと思えば歩き続けられるから不思議だ。

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ちなみに今日の勝負は毎年8枠を買うと決めている朱鷺S。理由は一年前の当ブログ(復活の朱鷺)にも書いた。実際、最近5年で4度も8枠が絡んでいるのである。結果今年も8枠が2着して馬券的中。今日に限ればウインズ京都も栄光のゴールだった。

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***** 2022/8/28 *****

 

 

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2022年8月27日 (土)

節目の勝利

アサクサゲンキが小倉サマージャンプで1番人気に応えて勝利。コウエイトライ(2006-07年)以来の同レース連覇を果たした。アサクサゲンキは5年前の小倉2歳Sも勝っており、小倉重賞3勝目。よほど小倉の水が合うに違いない。

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鞍上は先日節目となる障害レース通算100勝を達成したばかりの石神深一騎手。この勝利によって国内で行われる障害重賞全10レースを完全制覇を達成した。当然ながら障害重賞全場制覇も達成したことになり、また自身の持つ重賞最多勝記録(23勝目)も更新。そういう意味では歴史的勝利と言って良い。大きな大きな3/4馬身差だった。

そも関東所属騎手が小倉の障害に騎乗するケースは多くない。小倉ジャンプSを勝った関東馬はゼロ。騎手では五十嵐雄祐騎手が一度勝ったのみである。関東所属の石神騎手にとって最後の関門が小倉ジャンプSになったのは自然の成り行きであろう。そこで小倉大好きアサクサゲンキの手綱が回ってきたのは幸運だったと言うほかはない。もちろんそのチャンスをモノにするのが本物のプロである。

しかし2週目の向こう正面で早々に鞭が入るレースぶりを見て、「ダメか」と思った向きは少なくあるまい。押して叩いてどうにか3番手をキープしているものの、もはやその手綱に手応えは残っていない。ところが、4コーナーを回って逃げるメイショウウチデの内に潜って馬体を合わせると、隠されていたギアがもう一段上がった。すると測ったように差し切っての1着ゴール、小倉での騎乗がそれほど多くないはずの石神騎手の技術が凝縮されたレースぶりに見えた。

もともとアサクサゲンキの主戦は熊沢重文騎手である。だが、熊沢騎手は落馬による負傷で戦線離脱中。それで石神騎手に声がかかった。実際、熊沢騎手からアドバイスも受けていたらしい。その熊沢騎手に歴代最多記録となる障害通算254勝目をプレゼントしたのもアサクサゲンキである。合理的な説明はできないがメモリアル勝利に名前を残すタイプの馬はたしかにいる。アサクサゲンキは次に誰の記録に貢献するだろうか。個人的には音無調教師の通算1000勝だと密かに期待している。偉大な節目まであと73勝だ。

 

 

***** 2022/8/27 *****

 

 

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2022年8月26日 (金)

縦書きの憂鬱

いつも「忙しい、忙しい」と言ってるけど、この夏はそれを言う間もないほどバタバタしていた。

暑中見舞いを出す暇もなく、残暑見舞いの季節になったところでそれに変わりなく、さすがにこのままじゃマズいと、どうしても外せぬ人には出そうと試みたのだけど、結局誰にも出せぬままついに8月も終わりを迎えようとしている。

ようやく忙しさもピークを脱する兆しを見せたので、あらためて残暑見舞いに着手しようと思ったのだが、いろいろ考えた末にハガキではなく、便箋にしたためることにした。時合を逸したという負い目だけではない。その二人が揃って小説家という特殊な職業に就いているからである。

ただ、実際書こうとしてもなかなか上手く書けない。だいたいが、縦書きで文章を書くという行為があまりに久しぶりである。最近では、祝儀袋に自分の名前を書いた程度ではないか。便箋にのたうち回るミミズの如き己の文字を見て寒気まで覚えた。案外、暑さ凌ぎには効果的かもしれない。

新聞や小説においても横書きが登場する世の中である。もはや縦書きの日本語を探すのも難しい時代にあって、競馬専門紙ではメジャーな一紙を除いて従来通りの縦書きの文化を貫いている。とはいえ、それとて冷静に見れば予想と厩舎コメントと馬名あたりが縦書きなだけであって、調教欄や騎手名、あるいは馬柱の中身はすべて横書きではないか。馬柱の成績欄がずらっと縦に列んでいるから「縦書き」のイメージが先行するのかもしれない。

ところで、よく「昔の横書きは右から読んだ」みたいな話を聞いたり、実際にそういう看板なり見出しなりの写真を目にしたことがあると思うが、これは厳密には間違い。

例えば、

 トクパンイプーィデ

というような昔の表記は決して「横書き」なのではなく、1行1文字のれっきとした「縦書き」。政府の奨励もあって日本語の横書き化が始まったのは、少なくとも戦後になってから。そう思えば、横書きの歴史なんてまだまだ浅い。ともあれ明日もあさっても仕事が決まっている。ついに今年の夏も小倉には行けなかった。 

 

***** 2022/8/26 *****

 

 

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2022年8月25日 (木)

3冠馬の日

今日は全国各地で重賞3鞍が行われた。中でも注目は笠松の岐阜金賞。このレース名を聞けば秋も近い。東海地区の3歳3冠路線の最終戦。そこに駿蹄賞と東海ダービーの2冠を制したタニノタビトが出走してきた。2冠でいずれもタニノタビトの2着に泣いたイイネイイネイイネは前走のMRO金賞で5馬身差の圧勝。タニノタビトの強さを裏打ちする格好になったが、イイネイイネイイネ自身も着実に力を付けているのであろう。3冠目での逆転の目もないとは言い切れない。

そう考えたファンは存外多いようだ。驚くことに1番人気はイイネイイネイイネである。2冠馬タニノタビトは2番人気。その評価に反発するようにタニノタビトは、コンビーノとの激しい競り合いを制し優勝。2017年ドリームズライン以来、5年ぶり史上5頭目の東海3歳3冠馬が誕生した。殊勲の岡部誠騎手は今週末のワールドオールスタージョッキーズの優勝を、ウマの方は10月のダービーグランプリ制覇をそれぞれ目指す。

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川崎のスパーキングサマーカップにも3冠馬が出走してきた。2019年の道営ホッカイドウ競馬で北斗盃、北海優駿、王冠賞を制したリンゾウチャネル。ただし古馬になってからは精彩を欠いた走りが続いている。4歳以後の勝利はオープン特別の1勝だけ。今日も5着に敗れたが10番人気を思えば悪くない。

強い馬ほど3歳を待たずして日本各地の競馬場に移籍していく現状から、道営3歳3冠シリーズのレベルを疑問視する声もあるが、それでも3歳秋に楠賞であのジンギを持ったまま突き放した能力は全国レベルだと思いたい。きっかけを探す日々が続く。

今日は園田の9レースにも3冠馬の出走があった。ラッキードリームはリンゾウチャネルの2年後輩の道営3冠馬。こちらも古馬になってから重賞勝ちはない。南関東に移籍してオープンを2勝。次はスパーキングサマーCでリンゾウチャネルと3冠馬対決かと思ったら、なんと園田に移籍してきていた。

園田デビュー戦となったのはA1・A2クラス混合戦。重賞ではない。出走馬もわずか7頭。その中にあって重賞5勝、うちダートグレード1勝というラッキードリームの実績は抜けている。単勝1.1倍も当然か。実際スタートからスッと中団で折り合うと、直線で一気に弾けて後続に6馬身もの差をつけた。これが3冠馬の実力!―――と誇れる相手ではないことは分かっているが、負けるよりははるかに良い。ジンギやシェダルを脅かす存在になれるかどうかはこれから。今日は3冠馬の日だった。

 

 

***** 2022/8/25 *****

 

 

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2022年8月24日 (水)

夏はカレーと旅打ちだ

今日も暑いですね。なので昼はカレー。今日は阪急三番街の「インディアンカレー」から“ダイタマ”(大盛り玉子乗せ)をお送りします。ひと口食べるごとに、冷房漬けでカチコチになった身体が徐々に息を吹き返す。う~、辛い。辛いけど旨い。

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暑くなるとカレーが恋しくなるのは世間一般の傾向だろうけど、暑くなると旅打ちに出たくなるのは競馬ファン特有の傾向かもしれない。

私とて例外ではなく、旭川、盛岡、水沢、上山、園田、高知、佐賀、荒尾といった地方競馬場を思い浮かべれば、その景色は決まって夏の光景である。実際には真冬の盛岡なんかにも行ったことはあるのだが、仕事で渋々行くのと、「行きたい!」と思い立って自発的に行くのとでは、きっと脳に与える刺激が違うのであろう。

だが、8月も残り1週間になるというのに、この夏は旅打ちに出ることもなさそう。ドーヴィルやサラトガはともかくとして、福島にも新潟にも小倉にも、挙げ句の果ては北海道にさえも行かない夏が続いている。お誘いを頂いたキーンランドCにも行けそうもありません。ホント、申し訳ない。申し訳ない上に、情けない。

旅というのは限定された非日常体験である。

限定されていなければ最終的にそれは日常化してしまうわけで、帰るべきところがないまま彷徨い続けるのは、「旅」というよりむしろ「放浪」であろう。見知らぬ土地で見知らぬ人に囲まれることによって、アイデンティティーを喪失した旅人は単なる一個体の人間と化す。それを体験する行為が「旅」に他ならない。

よく「自分探しの旅」などというフレーズを耳にするが、旅の目的が非日常、すなわち自己脱却にある以上、「自分探し」と「旅」は背反する行為である。自己とは日常に埋没しているものであり、非日常の世界に自己を探しに行ったところで何も見つからないか、あるいは何か間違ったものを見つけて帰るのがオチである。

ところで私は、究極の自己脱却はギャンブルだと考えている。

自分が汗水流して稼いだ金を、馬やトランプやゲーム機に食わせるという行為は、冷静に考えて尋常ではない。すなわち非日常である。よく競馬場では「遊びで」とか「応援で」などと言いつつ、むざむざ1000円を捨てるシーンを見かけるが、これなども非日常だからできる行為。日常に戻れば1000円を捨てることは(少なくとも私は)できない。1000円というのは家族4人がその日食べるものに困らない額であるし、バイトで1000円稼ぐのだって大変なことだ。

人は非日常を求めて旅に出る。その旅先にギャンブル施設があれば、足を運ぶのはごく自然な流れなのだろう。そこは自己喪失を具現させてくれる非日常の極みとも言える世界だからだ。

それゆえ私はお台場や夢洲のカジノ構想には若干ネガティブな思いを抱いている。外国人観光客相手ならともかく、日本人にとってお台場はあまりに日常に過ぎると思うが故のこと。それならばもっと遠くに旅打ちに出よう。

 

 

***** 2022/8/24 *****

 

 

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2022年8月23日 (火)

夏の飛躍

かつて夏の小倉では「サマーステークス」という特別戦が行われていた。準オープンの芝1800m戦。優勝馬には種牡馬になったサンプレイスや、カレンチャンの母・スプリングチケットの名を見つけることができる。ただ2004年にツルマルヨカニセが勝ったのを最後に、サマーSが行われた形跡はない。結果、「サマー」と名の付くレースはアイビスサマーダッシュと今週土曜の小倉サマージャンプの2鞍のみになってしまった。

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写真は2004年の小倉サマージャンプ。勝ったロードプリヴェイルは、強いのか弱いのかよく分らない一頭だった。いや、重賞を勝っているのだから、そりゃあ強いに決まっている。初勝利を挙げた札幌の未勝利戦では、後続を3秒(18馬身)も千切り捨てた。JRAに限って言えば、このロードプリヴェイル以上の記録を見つけることができない。

5歳時には1000万条件の御嶽特別で中京ダート1700mのレコードを更新。このレースはハンデ戦で、58キロのトップハンデを背負いながら、従来の記録をコンマ6秒も縮めたのだから恐れ入る。しかも昇級戦となる次走の香港JCTでも、同じコースを同じタイムで走って5馬身差の圧勝。この強さは決してフロックではない。

障害入りしてからも、そのスピードは際立っていた。2004年6月のオープン戦から小倉サマージャンプまで3走続けてレコード勝利の快挙。その後、阪神ジャンプSと京都ハイジャンプも勝って、障害5連勝を達成している。暮れの中山大障害で1番人気に推されたことも、この走りからすれば当然の流れだった。

だが、そこは「強いのか、弱いのか」と言わしめる一頭である。私は正直危ないと思っていた。小倉サマージャンプをレコードで勝ったというのに、管理する池江泰郎調教師が「まだアテにならんけど……」と口にしたのを聞いていたからである。

師がそう言った背景には、この馬のムラっ気にホトホト手を焼いていたからであろう。負ける時は人気に関わらず、実にアッサリと負けた。通算37戦で25回の敗戦を喫した同馬だが、25回の敗戦のうち10回までが1番人気。そのうちの1回が例の中山大障害である。単勝1.7倍の圧倒的人気を集めながら、勝ったメルシータカオーから2秒4離れされて5着に敗れた。

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ロードプリヴェイルが秘めるマックスの能力ならGばⅠに手が届いていた―――。そう言われて否定するつもりはない。だが、そのマックスを発揮できるか、あるいはできないか。その先が「競馬」なのだとあらためて考えさせられる一頭。果たして今年はどんな馬が勝つのか。文字通り「夏の飛躍」となるようなレースぶりを期待したい。

 

 

***** 2022/8/23 *****

 

 

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2022年8月22日 (月)

ふたつの大河

昨日の新潟10Rは1000万条件の阿賀野川特別。その確定出走メンバーを眺めながら、ふと思った。

あれ? このレースは年によって阿賀野川だったり信濃川だったりするな?

基本的に8月上旬に行われる信濃川特別は新潟芝2000m、8月下旬の阿賀野川特別は同2200mの一戦。どちらも1000万条件の特別戦であり、どちらも新潟を代表する大河の名前を戴いている。よもやJRAの番組屋が取り違えたなどということはあるまいな―――。なんてことを思いつつ過去の阿賀野川と信濃川の勝ち馬を振り返れば、オウケンブルースリ、キセキ、ユーキャンスマイルの名前が見つかった。3歳馬が勝ったら菊花賞に繋がるレースにもなり得る。今年の勝ち馬セレシオン(牡3)はその勝ちっぷりからして要注意だ。

信濃川と阿賀野川。かつて、このふたつの大河は河口付近でひとつの流れに合流しており、その周辺は「潟」と呼ばれるほど氾濫に悩まされた湿地帯だった。それを「新潟」の地名の由来だとする意見も多い。やがて享保年間に、阿賀野川が信濃川に合流する手前に、自ら海への流れを見つけて一本立ちすると、徐々に洪水の被害は減少し始める。その後、信濃川の流れを日本海に逃がす「分水」がいくつも建設されたことで、越後平野に大規模な洪水は起こらなくなった。

その分水のひとつに「関屋分水」がある。競馬ファンならすぐに気付くであろう。そう、関屋記念の「関屋」である。

かつての新潟競馬場は現在の豊栄地区ではなく、関屋地区にあった。ある時、周辺に分水路を通す計画が持ち上がる。予定地に住む住民の移転先として、関屋の競馬場に白羽の矢が立った。現在の競馬場は、いわば玉突き人事的に移転させられた格好になる。しかしそれも洪水の被害を減らして住民を守るため。そう言われれば仕方あるまい。

かつての関屋競馬場は新潟中心部から2キロと離れていなかった。それが現在の競馬場は直線距離でも10キロを遥かに超える。その不便さは、移転当時からファンのみならず関係者からさえも不評だった。それが競馬場のイメージ低下に繋がったことは想像に難くない。シンボリルドルフがデビューする直前、「新潟みたいなローカルでデビューさせてはいけない」と和田オーナーに提言したのは大橋巨泉氏だ。

それでもシンボリルドルフは新潟でデビュー。史上初めて無敗で三冠を制した。あれから四半世紀余りの時を経て、オルフェーヴルも新潟でデビューを果たしている。この夏、新潟をデビューの地に選んだ若駒の中に、果たして来年の三冠馬は含まれているだろうか。早いもので、今年の新潟開催もあと2週を残すのみだ。

 

 

***** 2022/8/22 *****

 

 

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2022年8月21日 (日)

幻に終わった日曜日

札幌記念で盛り上がった今日はもともと小倉に遠征する予定であった。北九州記念は観たことがない。札幌記念ほどではないにせよ、今年は出走メンバーも揃っている。幸い指定席が当選。宿も門司港に確保した。競馬が終わればフグ三昧という目論見である。

それをコロナにすべて吹き飛ばされた。休みごと持っていかれた格好。仕事場ではこの一週間で3人の新規感染者が出た。「都市部で新規感染者が減少傾向にある」という報道はにわかに信じがたい。なにせ首相さえも感染から逃れられないご時世である。ともあれ今日は休みを返上。馬券ではけは梅田の場外で買い込んで、ふてくされながらテレビ観戦と相成った。

テレビ感染となれば自然と札幌記念の方に目が行く。いちばんの好発を決めたのはユニコーンライオン。それほど早くなかったパンサラッサが押して前に行くのを、ユニコーンライオンは進路を空けて待っている様子。そりゃそうだ。この2頭はどちらも矢作芳人厩舎の所属馬。やりあうはずがない。「逃げない宣言」をしていたジャックドールも3番手で折り合った。前半5ハロン59秒5は馬場状態を勘案しても決して速くはない。「超ハイペースは避けられない」などと言ってた予想家は誰だ?

結局上位3頭は前に行った馬で、最後の最後にジャックドールがパンサラッサを交わしただけ。パンサラッサはもう少し後続を離して逃げたかったが、スタート後に脚を使ってしまってはそれもできない。終わってみれば折り合いに進境を見せたジャックドールのレースぶりばかりが目を引いた。これなら堂々と秋の天皇賞に向かうことができる。

北九州記念の前半3ハロンは32秒8は、テイエムスパーダが勝ったCBC賞より1秒以上も遅い。こちらも逃げ馬が揃い過ぎて逆に流れが落ち着くパターン。どの馬も脚が溜まっているから、勝負所でごちゃつくのは仕方ない。しかも直線に向くと大半の馬が外目に進路を求めた。ボンボヤージの勝因のひとつは1番枠を引いたことであろう。彼女の近4走のうち3回までが8枠の辛酸を舐めていた。それに気づいた私は、こっそり馬連の相手に①番を加えていたのである。だからボンボヤージが直線で抜け出した瞬間、アツくなったことは言うまでもあるまい。

よしあとはナムラクレアだ。さあ来い。あれ? どこにいんだよ? あっ、あんなところに? 何やってんだよ! はよ来い! さあ差せ! 差せ! 差せ! 差してくれ! 浜中! は・ま・な・かぁ~!!

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仕事場に私の叫び声がむなしく響いた。その20分後に行われた札幌記念でも私の馬連軸馬は3着。馬券が当たればフグだけでも近所で食べてやろうかと思ったが、それすら掌からするりとこぼれ落ちた。小倉遠征も、2万馬券的中も、フグすら幻に終わった日曜日。文句をぶつける先もないから、この場にぶつけさせていただく。キャンセル料だってバカにならないんですよ。

 

 

***** 2022/8/21 *****

 

 

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2022年8月20日 (土)

【追悼抄】伊藤雄二さんを偲ぶ

伊藤雄二・元調教師の訃報が伝えられた。1993年の日本ダービーをウイニングチケットで制するなどJRA通算1153勝(うち重賞77勝)。最多賞金獲得2回、年間最多勝3回、最高勝率7回のキャリアは「名伯楽」と呼ばれるにふさわしい。2014年には殿堂入りも果たしている。

ウイニングチケットのほかに、ハードバージ、マックスビューティ、シャダイカグラ、ダイイチルビー、ファインモーション、エアメサイアといったGⅠ馬を管理。いずれも我が国の競馬史にその名を残す名馬ばかりだが、中でもナンバーワンはやはりエアグルーヴで間違いあるまい。17年ぶりとなる牝馬による天皇賞制覇。世界のピルサドスキーに食らいついたジャパンカップ。さらにその血はルーラーシップやドゥラメンテを通じて、今も多くの馬たちの血統表にその名を残している。やがてキセキやタイトルホルダーも種牡馬となり、エアグルーヴの血はますます広がっていく。ウイニングチケットやマックスビューティとは異なり、エアグルーヴの偉業は今なお続いているのである。そういう意味では、種牡馬トニービンを成功させた立役者の一人と言っても良い。

Air1

そんな伊藤雄二さんは、馬の良し悪しについて「生まれて3日以内が勝負」とおっしゃっていた。

もちろん、他人より先に良い素材を見つけて手に入れるという意味もある。だが、それだけではない。馬は生まれて間もない時こそ個体差がはっきり現れる。離乳する頃には自力でバリバリ食べるから、見た目に良し悪しが分からなくなる。だから、生まれ落ちてすぐの状態を見ることが大事。エアグルーヴなどは、生まれた翌日に牧場へすっ飛んで行って、その場で購入を決めたという。「名伯楽」と呼ばれるには、相馬眼や決断力だけではなく、行動力も必要とされる。

一方で1996年の桜花賞では、こんなことがあった。

大本命と見られていたエアグルーヴが、レース直前に熱を出して桜花賞への出走を回避したのである。管理調教師の伊藤雄二師は、その理由として「ファンへの配慮」を口にした。

「桜花賞では馬券が3百億円売れる。その半分はエアグルーヴ絡み。それなら当然やめるべきなんです」

伊藤雄二さんは「調教師にはファンに対する責任がある」という考えを貫かれた。その象徴が勝率に対するこだわりだ。7度の最高勝率タイトル獲得は偶然ではない。勝率は馬券検討に直結する数字。馬は万全の状態で使う。絶対に無理使いはしない。その信念には自らの管理馬に対するプライドも見え隠れする。伊藤雄二厩舎の所属馬はレースに出れば人気になる。それゆえにファンに対する影響も大きい。それが勝率を重んじる姿勢へとつながったのであろう。

1997年に札幌記念がGⅡに格上げされると、真っ先に参戦を表明したのが伊藤雄二さんだった。出走させるのはもちろんエアグルーヴ。秋の天皇賞を狙うなら本番直前の毎日王冠や京都大賞典などでひと叩きするのが常識だった当時、ローカル開催の札幌記念をステップにするローテは大きな波紋を呼んだ。結果はジェニュインやエリモシックを相手に圧倒的1番人気に応える完勝。さらに2か月後の天皇賞も制した。札幌記念をGⅡに格上げしたJRAの狙い通り。現在では当たり前となったゆとりあるローテの実例を作った伊藤雄二さんの功績は大きい。

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エアグルーヴは翌年の札幌記念も勝って連覇を達成。伊藤雄二さんはその後もエアエミネムやファインモーションでも札幌記念を制した。明日はその札幌記念が行われる。今年も豪華メンバーが話題となっているが、札幌記念にその地位を定着させた一助に伊藤雄二さんの信念があったことは忘れないでおきたい。明日ソダシが勝てばエアグルーヴ以来の連覇となる。注目しよう。

 

 

***** 2022/8/20 *****

 

 

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2022年8月19日 (金)

護国寺なかい

今夜放映されたTBS「中居正広の金スマ」に中島知子さんがゲストで出演。石原良純さん、勝俣州和さんらとともに、かつて日本テレビで日曜夜に放映されていた伝説のバラエティ番組「中井正広のブラックバラエティ」(通称「黒バラ」)を振り返る企画が展開された。

「金スマ」を観たくて観たわけではない。たまたま気づいたら流れていただけ。それでも「黒バラ」の準レギュラー的存在だった元プロ野球選手の中井康之さんを思い出すまでに、さほどの時間はかからなかった。「黒バラ」では居酒屋のオヤジとして出演していたから、そのイメージをお持ちの方もいらっしゃるだろうか。もちろんそれも間違いではない。

「●●さん!」と自分の名を呼ばれて顔を上げたら、そこには見慣れた元プロ野球選手の顔があった。

平日午後3時の丸ノ内線の車内。電車は大手町駅を出たばかりで、私の名を呼んだのは誰あろう中井康之さんである。あの日、私は所用で新宿に向かっていた。

1972年にドラフト1位で巨人に入団。故障もあって華々しい活躍こそなかったかもしれないが、1981年の日本一の瞬間にセンターを守っていたことは輝かしい経歴のひとつだ。現役引退後に居酒屋「護国寺なかい」を開店。大門に店が移転したあとも、自ら厨房に立ち、刺身を切り、焼き鳥を焼き、名物「とろろチーズ焼き」を調理していたのである。その人物が私の目の前に立っていた。

まずは挨拶。そして最近店に顔を出していないことを詫びる。いやいやそんなことより、最近競馬当たってる? いやまったくダメ。新しいお店はどうですか? おかげさまでボチボチね。あ、そうだ、今度ヨシコちゃんに来るように言っといてよ。あの草野球チームはまだやってんの? なら、また試合しようよ。

―――などと話は尽きないのだが、ここは衆人環視の地下鉄車内。相手はテレビでも顔が知られた人物であり、勢い好奇の視線は私にも及ぶ。「あ、中井だ」「意外とデカいんだな」「一緒に話してんのは誰だありゃ?」「ヨシコちゃんって誰だよ?」みたいな視線ばかりが気になって、正直会話どころではなかった。ほどなくして中井さんが赤坂見附駅で降りると、冗談抜きで私は心の底から安堵したことを覚えている。有名人は人混みで見知らぬ人物に話し掛けられることを極端に嫌うが、有名人から話し掛けられるというのもそれなりに困るのだと思い知った。

毎週土曜の夜に護国寺に足を運び、常連客と一緒に焼酎を飲みながら、翌日曜の重賞について馬券談義に花が咲かせていた当時からかれこれ30年になる。店の従業員も競馬好きだったから話の尽きようがない。時計がてっぺんに迫り、そろそろお開きにしようか、というタイミングでギギッと店のドアが開き、「まだイイ?」とか言いながら赤ら顔の井崎シューゴロー氏がやってくると、競馬談義はまたイチからやり直し。こうなりゃ終電もへったくれもあるか!と開き直って畳んだばかりの競馬新聞をテーブルに広げて、あーでもないこーでもないと話し始めるわけだ。

1992年秋の天皇賞を翌日に控えた土曜の深夜。シューゴロー氏は「明日はムービースターで決まり!」と断言した。なぜか。「目の前を秋一番が駆け抜ける」というJRAのキャッチコピーに秘密が隠されているのだという。

「いい? “め”の前なわけだよ。“め”の前っていったら“む”だよね。だからこれはムービースターが秋一番だっていう暗号なんだよ」

実際、このレースでは人気を集めたトウカイテイオーが着外に敗れて大波乱の結末となったわけだが、優勝したレッツゴーターキンに次ぐ2着に飛び込んだのは、まさしく人気薄ムービースターだったのである。

ちなみに先ほど名前の出た「ヨシコちゃん」というのは―――、説明の必要はありませんよね。そう、鈴木淑子さんです。シューゴロー氏がいるのだから、当然ながらヨシコちゃんもよくいらしていたわけだ。

それにしても、護国寺から行くべき店が一軒消えてしまったというのは、護国寺界隈で働く人間にしてみれば大問題だった。「なかい」に取って代われるような店などそうそう簡単に見つかるはずもなく、護国寺界隈の競馬好きな飲兵衛たちは、今も虚しく路頭を彷徨い続けているに違いない。

もちろん大門に移転したお店にも何度も足を運んだ。ヨシコちゃんも文化放送での仕事終わりに立ち寄っていたと思う。それでも不思議と護国寺のときのような親密さは感じることはついに無かった。そうこうするうちに中井康之さんが亡くなってしまう。訃報を聞いたのは今日のような暑く晴れた日だった。その夜、私は3-6の馬券を買いあさったことを覚えている。巨人時代の中井さんの背番号は「36」。そのせいで中井さんも大一番になると決まって3-6の一点勝負に打って出た。ムービースターが2着した天皇賞から2か月後の有馬記念は1着メジロパーマー、2着レガシーワールドの決着。馬連3-6は315倍の大万馬券。翌日の護国寺は大盛況だった。

 

 

***** 2022/8/19 *****

 

 

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2022年8月18日 (木)

サッポロ CLASSIC

北海道からサッポロ・クラシックが届いた。ありがとうございます。

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道内にお住まいの方は意外に思うかもしれないけど、内地に住むビール好きはサッポロ・クラシックを見るとテンションが上がる。「北海道限定」のスタイルを貫き続けて37年。今でこそ地域限定発売のビールは珍しくはないが、これほど長くその立場を維持しつづける存在は他にあるまい。この味が、この喉越しが、北の大地の雄大な自然や味覚を想起させる。もちろん「クラシック」の響きに、我々競馬ファンが特別な感情を抱くことも忘れてはならない。

私の脳裏によみがえるのは、今はなき競馬場の光景だ。

北海道旭川市郊外の高台にある旭川競馬場を、私が初めて訪れたのは今から四半世紀も前のこと。平地ではなく、ばんえい開催日であった。競馬場に到着するや、競馬専門紙よりも先に売店でよく冷えたサッポロ・クラシックのロング缶を買い求め、あまりの美味さに4~5缶を立て続けに飲み干した記憶がある。

洋の東西を問わず、競馬場の飲み物の代表格といえばビールに違いあるまい。ディック・フランシスの競馬ミステリシリーズを読めば、必ず競馬場内のパブでビールを一杯やるシーンがあるだろうし、ドイツの競馬場に行けば場内の屋台で売られているソーセージと巨大なジョッキに注がれた生ビールがあなたを待っている。私は競馬場で酒を飲む機会があまりないだけに、あの日の旭川競馬場は特別だった。

ところがその数年後に旭川を訪れると、あの売店が見当たらない。生ビールを出している店はあったが、残念ながらサッポロ・クラシックとは別の幟を掲げている。ひょっとしたら、あれは期間限定のイベントショップだったのか。あるいは、再訪問したのが9月下旬のナイター開催で、あまりの寒さに冷えたビールを買う客などいないと考えたのかもしれない。

サッポロ・クラシックを飲むこと自体はそう難しいことではなかろう。都内でも買おうと思えば買うことができる。だが私は、旭川競馬場のスタンドに座り、向こう正面の遥か彼方に聳える十勝岳連峰に沈む夕陽を眺めながらサッポロ・クラシックを飲みたかった。その要素のどれかひとつが欠けても、私の思いは完結しない。旭川競馬場が廃止となった今となっては、記憶の中であの日の体験を追うことしかできない。

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そんなことを考えながら、冷蔵庫で冷やしたサッポロ・クラシックを飲んでいる。ジャガイモをレンジでチンして北海道感を演出してみた。さあ、今週末は札幌記念だ。

 

 

***** 2022/8/18 *****

 

 

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2022年8月17日 (水)

【訃報】タイキシャトル

ジャック・ル・マロワ賞が行われた先週日曜、各TV局は1998年の同レースの模様を繰り返し放映していた。そのレースを勝ったのはタイキシャトル。最内を軽快に飛ばす栗毛馬の姿を見て、あの夏に味わった歓喜を思い出したという方も少なくなかろう。バスラットレオンも、ローエングリンも、テレグノシスも、そして古くはギャロップダイナの挑戦さえをもことごとく跳ね返した厚い壁を、いとも簡単に突き破ったあのスピードとパワーは、24年経った今も決して薄れることはない。

バスラットレオンのジャック・ル・マロワ賞を見届けるかのように、今朝タイキシャトルが亡くなった。28歳。筆者が最後に会ったのは、7年前のアロースタッドだったか。あの日のドーヴィルを思わせるような夏の日差しに、当時と変わらぬ栗毛が美しく輝いていたことを思い出す。

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この1998年という年は、日本競馬の国際化という点において期を画する年であったことは間違いない。

ジャック・ル・マロワ賞の1週間前には、シーキングザパールが同じドーヴィルで日本調教馬にとって初めてとなる海外GⅠ制覇の快挙を為した。それまでほとんどの競馬ファンが知らなかったであろう「モーリス・ド・ゲスト賞」を日本でも一躍メジャーな存在に押し上げたのは、シーキングザパールによるところが大きい。

シーキングザパールに先を越される形にはなったがジャック・ル・マロワ賞は「日本初」などという枕詞を超越する価値がある。リファール、カラムーン、アイリッシュリバー、ミエスク、ドバイミレニアム、キングマン、等々。早々たる顔ぶれが並ぶ過去の優勝馬から仏国マイル戦線の頂点に立つレースであることに疑いはない。Spinning World と Dubai Millennium との間に刻まれた Taiki Shuttle の名は日本競馬の誇りだ。

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惜しむらくは天皇賞(秋)への出走が叶わなかったことであろうか。藤沢和雄・元調教師は今もそれを悔しがっていると聞く。その思いがグランアレグリアの天皇賞出走に繋がったわけだが、タイキシャトルの当時の天皇賞はそもそも外国産馬に門戸を開いていなかった。仏国のGⅠには出走できるのに、自国のGⅠに出走できないのだから矛盾も甚だしい。諦めきれない藤沢師はジャパンカップへの出走をも考える。もし実現していれば、エルコンドルパサーやエアグルーヴとの対決が実現していた。そこを勝てば種牡馬としての評価もまた違っていたかもしれない。

そう考えてしまうのは、種牡馬となってからの彼の苦労を知るからだ。種牡馬の争いは厳しい。サイアーラインキングは2005年の10位が最高。GⅠ馬もウインクリューガーとメイショウボーラーの2頭に留まる。タイキシャトルの父系はいまや風前の灯だ。

ならば今週の北九州記念ではテイエムスパーダに注目しないわけにはいかない。父・レッドスパーダは、GⅠ勝ちこそないが立派なタイキシャトルの産駒。日本競馬史上最強マイラーの血を繋ぐのは、案外こういうタイプの種牡馬だったりする。天国のお祖父さんに良い知らせを届けたい。

 

 

***** 2022/8/17 *****

 

 

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2022年8月16日 (火)

取消理由「事故」

5日に北陸地方を襲った豪雨の影響で、国道8号線敦賀トンネル付近で土砂崩れが発生。たまたま付近を走行していた栗東発・新潟行の馬運車が立ち往生し、土日の新潟で出走を予定していた、シナモンベアー、ドンシャーク、ヴラマンク、アクティブバイオの4頭が出走取消となった。馬運車が栗東を出発したのは5日早朝。立ち往生から脱出して、栗東に戻ったのは翌土曜の午前3時だったという。ヒトもウマもたいへんな思いをしたに違いない。ネットには体調を気遣う声が溢れていた。

しかし私が気になったのは、2008年の日経賞とアルゼンチン共和国杯を勝った名ステイヤー・アクティブバイオが未だ現役だった―――なんてことではなく、JRA発表の出走取消が「事故」とされたことだ。

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馬運車絡みで「事故」と聞けばドキッとする人も中にはいるだろう。馬運車が渋滞に巻き込まれてレースに間に合わなかった場合は「事故」とされることから今回もそれに倣ったのだろうが、実際のところは「災害」に近い。また、薬物事案に巻き込まれて出走を取り消す場合も「事故」が使われるが、これなどはむしろ「事件」である。

その一方で、出走予定馬が本当の事故に巻き込まれることもある。

2013年10月13日の首都高速道路で、美浦から東京競馬場に向かう馬運車が接触事故を起こした。これに乗っていたヴィアレーギアは、この日の8レースに出走するはずだったが、事故の影響で両前に打撲を負ったため出走を取消。ただ、その際に発表された取消理由は「疾病」である。そりゃま、たしかに疾病を負ったことには違いないが、これを「事故」としないところが、いかにもJRAらしい。

騎手変更の理由に「事故」が使われることもある。仮に落馬で怪我をすればその理由は「負傷」である。騎手に「事故」とは珍しい。

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5日の名古屋競馬である。ジェットセッターに騎乗予定だった柿原翔騎手が疾病により騎乗できなくなり、代わりに宮下瞳騎手が乗ることが発表された。その理由が「疾病」とされことに疑念はない。その後、宮下瞳騎手が都合により乗れないことが判明。再び浅野皓大騎手への乗り替わりが発表されたわけだが、主催者からすればこの理由が「事故」なんだだという。管理調教師と宮下瞳騎手との連絡の行き違いが指摘されているが、仮に調教師サイドの先走りなのだとしたら、宮下瞳騎手にしてみれば思わぬ「もらい事故」に遭ったことになろう。

 

 

***** 2022/8/16 *****

 

 

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2022年8月15日 (月)

憧れの帰省

お盆も終わりましたね。皆さん、帰省されましたか?

私もついに「帰省」ができる立場になったというのに、昨年に続いて仕事と共にお盆を過ごす羽目になった。いつ誰がコロナに感染か分からない状況では、おいそれと東京にも行けぬ。「3年ぶりに行動制限のない帰省」のニュースを横目に仕事場と自室を往復するだけのお盆はなかなか切ない。

私に限らず、父も母も東京生まれの東京育ちであったものだから、私には「いなか」とか「ふるさと」と呼べる場所がなかった。当然ながら帰省の経験もゼロ。お盆になると同級生は皆いなくなるから遊ぶこともできない。

「なんでウチにはイナカがないの?」

小さい頃は、そう聞いては親を困らせた。

今でもさほど状況は変わっていない。親と離れて暮らすようになったとはいえ、電車一本で行ける距離に住んでいれば、実家への訪問をわざわざ「里帰り」などとと呼ぶこともはばかられる。大阪に単身赴任するようになり、さあついに念願の帰省が味わえると思ったら、コロナ禍がそれを阻む。もはや私が帰省の気持ちを知ることは無いのかもしれない。

お盆にひとり東京に残されるのは癪なので、若い時分には各地のお盆重賞を巡ったりもした。

今のようにネットで開催情報を入手できる時代ではない。雑誌「優駿」の地方競馬カレンダーに掲載された重賞日程だけを頼りに、帰省客に混じって普段は滅多に行かない地方の競馬場を目指した。中でも重宝したのは高崎競馬場。遠くはなく、かといって浦和ほど近くもない距離は「仮想里帰り」にもってこいである。お盆の名物重賞はスプリンターズ賞。1996年は水野貴史騎手のダンディテシオ(橙帽)が、「ハナ、同着」という稀に見る接戦を制してみせた。

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昔も今もお盆が地方競馬のかき入れ時であることに変わりはない。私もこのお盆は久しぶりにお盆重賞遠征を目論んだ。だが、このトシになると満員の特急サンダーバードに乗って金沢まで加賀友禅賞を見に行く元気はさすがにない。とはいえ摂津盃の園田では近すぎた。ほどよい距離にお盆重賞を味わえる競馬場が欲しい。

 

 

***** 2022/8/15 *****

 

 

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2022年8月14日 (日)

中央競馬10番目の競馬場

現在の新潟競馬場は、1965年の夏に現在の新潟市中央区の関屋から移転する形で完成。40年目の節目を迎えた。だが、移転直後の1965年7月のこけら落とし開催は、実は中央競馬として22年ぶりの「新潟競馬」だったことはあまり知られていない。

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1896年、馬の改良を目的にした品評会が北蒲原郡新発田町の「越後馬匹改良会」で開かれた。この会で催された競馬が、記録に残る新潟競馬の嚆矢である。5年後の1901年には、新潟市で連合物産共進会が催され、この時も市内の関屋で競馬が開催されている。その後、公認競馬会の設立が企画され、1907年2月に新潟市に「越後競馬会」が発足、関屋に1周1600mのコースが造られ、翌1908年9月6日から4日間競馬が行われた。これが公式競馬としての新潟競馬の始まりとされる。

1943年9月に戦争のため競馬が中止されると、関屋競馬場は陸軍軍医学校として接収されるた。そこにはいわゆる731部隊の研究機関も含まれる。終戦後は施設、コースともに荒れ果てて、使用不能となった。

その後、関屋競馬場では地方公営競馬が開催されたりしたこともあったが、中央競馬は行われていない。しかし1963年、信濃川関屋分水工事に伴う居住者の移転先が関屋競馬場内に指定されたことを受け、中央競馬10番目の競馬場として現在の新潟競馬場が誕生したのである。

22年ぶりに復活した中央・新潟競馬の開催初日に行われたのは、その名も「新潟競馬再開記念」。オープンの芝1800m戦を制したのは牝馬のテルクインだった。1964年の七夕賞の優勝馬。ダートグレード戦線で活躍したウエディングフジコや、南関東で17勝を挙げているツクバチャームの4代母としてもその名を残している。

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現新潟競馬場に移転した当初は、市街地から遠い上、カエルの鳴き声ばかりうるさいと、評判は悪かったようだ。だが、向こう正面越しに五頭連峰を配した景観は目を休ませてくれるし、直線の長い広々としたコースは、好タイム続出のスリリングな競馬が楽しめる。何よりシンボリルドルフが、そしてオルフェーヴルが巣立った地だと思えば感慨も深い。中央10場の中でも1、2を争う素晴らしい競馬場であろう。その下地はかつての「関屋競馬場」にある。アイビスサマーダッシュも良いが、新潟を代表するレースを問われて関屋記念を挙げるファンは少なくあるまい。むろん私もその一人。このレースを観ないと夏が来た気がしないのである。

 

 

***** 2022/8/14 *****

 

 

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2022年8月13日 (土)

写真の流儀

商売柄他人の撮った写真にケチをつけるような真似は謹しむようにしている。むろんそれを、それをいちいちブログに取り上げることもすべきではない。しかしそれにも限度と言うものがある。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ae8c74c2f4550654d5f52ff99802e299df74b508/images/000

昨日の摂津盃の結果を報じるネットニュースを見て驚いた。

ご存じの通り勝ったのはシェダル。クビ差の2着はテーオーエナジー。しかし、それを伝えるゴール前写真は被写体ブレが激しくゼッケンも判読不可能。勝ち馬が中心にも来ていない。もちろん敢えて馬をブレさせるというテクニックを使った可能性も捨てきれないから、この写真の素晴らしさを理解できる人もそれなりにいるのだと思う。それでもこのブログのような個人的な場であればまだしも、新聞社の名を背負って広く世間に配信された写真だと思えばやはり言葉を失う。

写真撮影の流儀というものは様々で、10人いれば10通りの作法が存在すると言っても差し支えない。私はと言えば、若い時分に新聞流のやり方を叩き込まれたこともあり、首尾一貫「分かるように撮る」を眼目としている。

そも“写真”とは何か―――?

哲学的な話を始めたらキリがないが、私はごくシンプルに「情報伝達のためのいち手段」という考えを第一義に置いている。したがってそれが何を表しているのかが一見して分からないようでは身も蓋もない。すなわち、良い写真というものは誰が見ても分かりやすいのである。

中には写真芸術論を引っ張り出してきて「分かる奴にだけ分かればよい」というような主張を唱える輩もいるが、これは大きな間違いで、完全なる自己満足の世界にほかならない。古今東西、絵画、彫刻、小説から映画に至るまで「名作」と呼ばれるものに理解しづらい作品など存在せず、どんなに高度な技術を注ぎ込んだとしても、見る人が理解できなければそこには何も生まれない。結果、過大な自己満足に終わるのみとなる。

話がデカくなってしまったが、馬の写真にたとえると、見た人が「あぁ、これは良い写真だな」と思う写真は二流で、「あぁ、これは良い馬だな」と思える写真こそが一流なのである。ただ、そう思っていても、なかなかその領域に踏み込むことは難しい。冒頭に紹介した写真はそれ以前の問題。三流の誹りを免れまい。

実はこのレースの発走直前、園田競馬場は突然の激しい雨に襲われていた。いわゆるバケツをひっくり返したような豪雨。それで機材に何らかのトラブルが発生し、やむなく予備のデジカメで撮らざるを得なかった―――。

優しさを持って推し量れば、そういうことなのかもしれない。その状況下でなんとか出稿したのがこの写真だったという可能性もある。とはいえ仮にもプロが集まる大手スポーツ新聞社の仕事ではないか。しょせんタダで見られるネットだからと軽く考えているのかもしれぬが、万人が見ても分からぬ写真なら「敢えて載せない」という判断もできる。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9057f9e0893d539ba9422a7bf3d4ed138da9501d/images/000

そんなことを考えていたら、今日の新潟2レースを報じるネットニュースにもご覧のような写真が使われていることに気づいた。ゴールから遠く離れた記者席から撮ったと思われる。2億7000万もの高額馬はいったいどんな馬なのか、これではほとんど分からない。そもそもゴール写真にケツ撮りはNG。最近はそれを教えるベテランもいなくなったのか。ゴール前まで移動する手間さえも惜しんでいるようでは、新聞メディアは凋落するばかりだ。

 

 

***** 2022/8/13 *****

 

 

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2022年8月12日 (金)

重賞の重み

昨夜の「兵庫ジュベナイルカップ」は今年から始まった新しいレースだが、いずれ重賞に格上げされることが決まっている。特別戦でありながら重賞に匹敵する400万円もの1着賞金が設定されたのはそのため。レース名からしていかにも重賞っぽい。

しかし、重賞に相応しいメンバーだったかと問われれば疑問符が残る。出走メンバー12頭のうち7頭を未勝利馬が占めた。この時期の2歳戦では仕方ないとはいえ、出走馬の力量差が目立った感は否めない。驚くことに昨夜は5着と6着との着差が「大差」となった。すなわち半数以上の馬は競馬をしていないに等しい。今週はJRAでもコスモス賞やフェニックス賞が行われる。未勝利馬が勝つケースが多いことで知られるレースだが、それゆえの特別戦という見方もできよう。重賞は文字通り「重い」のである。

そういう意味では今宵の摂津盃はずっしり重いタイトルだ。半世紀以上いの歴史。ジンギに代表される過去の優勝馬。そして1000万円という賞金。いずれを取っても軽く扱えない。今年の1番人気は兵庫大賞典でそのジンギをクビ差まで追い詰めたシェダル。課されたハンデは58.5キロ。これもずっしり重い。

レースの前にバケツをひっくり返したような雨が降って馬場は稍重。そんなアクシデントも、もちろん58.5キロのトップハンデもものともせず、シェダルが危なげない走りで重賞初制覇を果たした。1馬身半差の2着は2番目にハンデの重いテーオーエナジーだから、「格」がそのまま結果に表れた格好。ハンデ戦だから荒れるとは限らない。

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ついにタイトルを手にしたシェダルが見据えるのは兵庫最強馬・ジンギへのリベンジであろう。次に行われる古馬中距離戦重賞は9月29日の姫山菊花賞。JBCクラシックへの指定競走でもある。昨年はジンギが制しているこの一戦で、両者が再び相まみえることを期待したい。

 

 

***** 2022/8/12 *****

 

 

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2022年8月11日 (木)

ウマを補給せよ

「ウマが足りない」と嘆いた2日後に園田に来ることができた。通常開催なら無理だったかもしれない。しかしありがたいことに今日は薄暮開催。普段より1時間半遅れでレースが進むおかげで、17時45分発走のメインレースに間に合った。久しぶりの競馬場で私の身体に不足している「ウマ」を補給しよう。

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大阪は今日も猛暑日だった。しかし、さすがにこの時間になると風が心地良く感じる。ラチにもたれて観戦するにはちょうど良い。伊丹空港を離発着する飛行機が普段より多いことに気付いた。お盆の祝日である。2、3年前までならお盆開催の大井で羽田空港を離発着する飛行機を眺めていたことを思い出す。大阪に来ても、やっていることはさして変わりない。

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メインは2歳馬による兵庫ジュベナイルカップ。1戦1勝のアズグレーターが圧倒的な支持を集めている。逃げて7馬身差楽勝の新馬戦が評価されたか。新種牡馬グレーターロンドンの産駒であることも目新しさという点で人気に一役買っている。パドック周回時は一時的に単勝1.0倍の元返しになる瞬間もあった。最終的には1.4倍。それでも低い。

私の注目は5番人気のカレーパン。名前で選んだわけではない。どの馬も初めて見る中で、この馬の歩様が私の好みだった。それだけ。2歳戦はこういう買い方ができるから楽しい。ストロングリターンの産駒で新馬3着からの挑戦。デビュー2戦目の変わり身に期待しよう。

なんと1番人気アズグレーターがスタートで出遅れるハプニング。2歳戦はこれがあるから怖い。ともあれ波乱となればカレーパンにも浮上の目がある。

逃げたアルザードが先頭のまま4角へ。その外を捲ってアズグレーターが並びかけた。さらにその背後にカレーパン。しかし、内ラチ沿いを逃げるアルザードの脚は鈍ることがない。アズグレーターの追撃をクビ差凌いで2勝目をマークした。

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内外の距離のロスが無ければアズグレーターの方が勝っていたかもしれない。そう考えればアズグレーターの強さが際立ったレースとも見て取れる。しかし次回も出遅れないとも言い切れない。兵庫若駒賞、兵庫ジュニアグランプリ、兵庫ジュニアカップ。この先彼らが目指す重賞レースにはもっと強い相手が待っている。負けてなお人気になるようでは、馬券的には狙いにくくなる。

注目したカレーパンは4着。複勝勝負の立場としては切ない。向こう正目から追い通しだったことを思えばよく走っているが、もう少し距離があった方が良いだろうか。この先どこかで大穴を開けることを期待したい。馬券は負けても、久しぶりに競馬を観たおかげでおなかは膨れた気がする。カレーパンでも買って帰るとしよう。

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***** 2022/8/11 *****

 

 

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2022年8月10日 (水)

豚丼食ったらばんえい競馬

とある競馬フォトグラファーのSNSを見ていたら、ウチの近所に最近オープンしたばかりの豚丼専門店に来ているとあってひっくり返った。だって、その方が住んでいるのは神奈川ですからね。それが偶然とはいえウチから1分もかからない近所で食事していたのだと思えば、そりゃびっくりしますよ。

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ともあれ、そのSNSを見て店へ駆け込んだ。昨日も書いたように今の私にはウマも足りてないが、そもそも北海道が足りてない。美しく咲いたバラ肉の大輪に感動するよりも早く、一気呵成に掻き込んだ。

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北海道の食文化は、言ってみれば豚肉の食文化でもある。すき焼きといえば、豆腐・タマネギ・豚コマが定番。旭川名物の「塩ホルモン」は、塩だけで味付けした豚のモツ焼き。室蘭の「焼き鳥」に至っては、鶏肉を使わずに豚肉を焼いたものだ。

帯広豚丼のルーツについては、明治期に静岡から帯広に入植した開拓団が豚を飼っていたから―――という説がある。だが、実はこれはあまり関係がないようで、昭和初期に帯広市内の食堂が鰻丼をヒントに作り始めたのがきっかけらしい。

Panchou

帯広駅前の「ぱんちょう」(※上写真)は豚丼の元祖を名乗る有名店だが、実は帯広競馬場近くにも「日本一名物」の看板を掲げる「鶴橋」(※下写真)という豚丼専門店がある。炭焼きではなく、肉をフライパンで焼いて旨味ををタレに閉じこめるのが鶴橋流。見た目は真っ黒で、味もほのかに苦く、好き嫌いはハッキリするようだが、一度ハマったらやみつきになるという。残念ながら、私はまだ修行が足りない。

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「ぱんちょう」と「鶴橋」、いずれも90年もの伝統と味を守る豚丼の老舗だが、「互いに豚丼を名乗っているけど全く別物」と牽制し合う間柄で、地元のコアな豚丼ファンを二分したライバル関係が今も続いている。凄いですね。こうなると、立派な文化という気がする。

帯広の文化と言えば、ばんえい競馬を忘れてはいけない。豚丼を食べたら無性に観に行きたくなった。豚丼食ったらばんえい競馬―――。身体がそのように記憶しているに違いない。豚丼のおかげで「北海道不足」は若干解消したけど、ウマの方はまだ足りないままだ。

 

 

***** 2022/8/10 *****

 

 

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2022年8月 9日 (火)

ウマが足りない

タイトルは少頭数を嘆いたわけではない。私の話。最近は競馬場に行く機会がめっきり減った。7月は名古屋に行った一度きり。6月も高知、佐賀、阪神をそれぞれ一回ずつ訪れたに過ぎない。DASH和歌山やエクセル博多で馬券は買ったが、そこに馬はいない。これほどの長きに渡って馬を見なかったのは久しぶり。そろそろ禁断症状が表れてきた。

つくづく思う。東京に比べて大阪は競馬が少ない。やはり南関東4場が毎日開催している首都圏のファンは幸せだと思う。平日は必ずどこかで競馬が開催されている。JRAがローカル開催にシフトすれば、土日にも開催を用意するという念の入れよう。しかも、4場のうち3場はナイター開催だから、平日でも気軽に足を運ぶことができる。

その点、関西の競馬ファンの頼りは園田しかない。しかも開催は週3日のみで、ナイターは金曜のみ。金曜日以外でたまに行われる薄暮開催にしても「実質的なナイター開催」との指摘を受け、近隣住民から苦情が上がっているらしい。そりゃあ困りましたね。私もひと様に迷惑をかけて競馬を観たいとまでは思わない。でも、私の生活に馬が足りないのも事実だ。

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JRA京都が開催していないことも大きい。京都5開催のうち1開催が阪神に割り振られただけで、残る4開催分は関西圏外の中京と小倉に流れた。関西での次のJRA開催が10月の京都大賞典だと思うと背筋が寒くなる。それまでに馬欠乏症に耐えられるだろうか。

「ウマが足りない!」

それだけの文面をメールで北海道の牧場主に伝えたら、集牧作業の様子を収めた動画を送ってきてくれたのである。嬉しい。楽しい。でもずっと眺めていたら、北海道に行きたくなって仕方なくなった。もう3年も行ってない。それはつまり「そば哲」にも「いずみ食堂」にも「プラドジュール イクタ」にも、そして何より「セコマ」にだって丸3年行ってないということだ。禁断症状は馬だけではないかもしれない。

 

 

***** 2022/8/9 *****

 

 

 

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2022年8月 8日 (月)

【訃報】ライブリマウント

1994年暮れから日本各地の重賞を6連勝し、1995年のJRA最優秀ダートホースやNARグランプリ特別表彰馬にも選出されたライブリマウントが亡くなった。31歳なら大往生であろう。まだダートグレード競走が整備される前、私が地方競馬の仕事に就いた当初の活躍馬だけに思い入れも深い。

地方所属馬に桜花賞や日本ダービーへの門戸が開かれ、「交流元年」とも呼ばれた1995年のクラシックに、いきなり地方から新しい風が吹き込まれた。笠松から参戦したライデンリーダーと安藤勝己のコンビが報知杯4歳牝馬特別を勝ち、さらに桜花賞、オークス、エリザベス女王杯に出走を果たすという快挙を成し遂げたのである。安藤勝己さんは引退に際し、「ライデンリーダーとの挑戦がJRA移籍の夢を抱くきっかけになった」とコメント。その言葉の通り、ライデンリーダー以降も地方所属馬との挑戦を続け、2003年ついにJRA移籍を果たした。

とはいえ、一方向の流れだけではそれを「交流」と呼ぶことはできない。ライデンリーダーが「地方→中央」の代表なら、「中央→地方」を担ったのはライブリマウントだ。

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JRA所属でありながら帝王賞、ブリーダーズゴールドカップ、南部杯マイルチャンピオンシップと日本全国を股にかけて転戦し、アマゾンオペラやトウケイニセイといった各地のチャンピオンを打ち負かした。さながら流浪の道場破り。これもライデンリーダーと同じく1995年の出来事である。今のようなダートグレードの体系が確立されていなかった当時、各地の交流重賞を渡り歩いた彼が、地方中央交流推進の一翼を担ったことは間違いない。

彼らが明けた小さな風穴はやがて道となり、内田博幸騎手や戸崎騎手はそこを通ってJRAへの移籍を果たした。先週土曜の新潟・ダリア賞には大井所属のシテイタイケツが出走していたが、地方所属馬がJRAのレースに出走することをいちいち驚くファンも、もはやいまい。その先駆けとなったのがライデンリーダーであり、そしてライブリマウントであった。

引退後は種牡馬となりダイオライト記念を制したミツアキタービンを輩出。乗用馬となってからは初心者のお客さんを乗せたり、映画「のぼうの城」に出演するなどマルチに活躍した。記念すべき第1回ドバイワールドカップに出走を果たしたことも忘れないでおきたい。シガー、ペンタイア、ホーリングといった世界のチャンピオンホースを相手に6着。負けはしたが、世界の競馬史にその名はしっかり刻まれた。ライブリマウントに夢を見させてもらった人は少なくあるまい。私もそんな一人。名馬の冥福を祈る。

 

 

***** 2022/8/8 *****

 

 

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2022年8月 7日 (日)

レパードSの不思議

レパードSは21世紀に入ってから生まれた新しい重賞。そのせいかレース名に未だ馴染めぬ向きもあるようだ。

JRAのレース名決定には一応の基準がある。2歳や3歳の限定戦は季節の草花の名が、また古馬のレースには季節にちなむ名称や競馬場周辺の地名、河川、湖沼、海洋、山岳名、誕生石、月名、星座名が使われるのが原則。花鳥風月、季節感に富んだ日本特有の競馬シーンを演出するのに、こうしたレース名が果たす役割は小さくない。

―――であるはずのに、なぜか「レパード」ときた。すなわちヒョウ。実在する動物の名がそのままレース名に使われるとは珍しい。ひょっとしたらこのまま、「キリンステークス」とか「カバ記念」とか「アフリカゾウ特別」なんてレースが氾濫するのではないか?

そんな不安を抱きつつ迎えた記念すべき第1回目のレパードSは、トランセンドが3馬身差で圧勝。そのとき思ったのである。「トラがヒョウを制した」と。

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あれから13年。今度はライオンがヒョウに挑む日がやってきた。そう、レパードSで6枠11番に入ったギャラクシーナイトのオーナーはライオンレースホース(株)。トラが勝てる相手ならライオンだって勝てるはず。これで勝たないようなら、この違和感満載のレース名の説明がつかない。それが10番人気とは不思議だ。ここは単複。

不思議はまだある。このレパードS、なぜか他の3歳限定GⅢより賞金が高く設定されていた。ダート重賞は芝に比べて賞金が低いのが普通。それなのにレパードSの創設時の1着賞金は4500万円に設定された。2012年に4000万円に減額されたが、それでも歴史と伝統を誇る共同通信杯やきさらぎ賞より高い状態が続いたのである。

ボレアスが勝った2011年はジャパンダートダービーの賞金が4000万円に減額されたため、同じ3歳ダート中距離路線でありながら、GⅠよりもGⅢの方が賞金が高いという逆転現象が起きた。ボレアスはジャパンダートダービーでグレープブランデーに敗れて2着だったが、実質的な実入りはレパードSの方が良い。しかもGⅠを勝ったわけではないから、別定重量を加増される心配もなくなる。グレープブランデーにしてみれば納得のいかぬ話であろう。

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さて今年のレパードSであるが、期待したギャラクシーナイトは大差のしんがり負け。向こう正面からまったくついて行くことができなかった。私の本命がそういう負け方をすることは珍しくない。しかし今回はそんな馬がほかにもいたから驚く。勝ったカフジオクタゴンに6秒以上の差を付けられた馬は5頭にも及んだ。バタバタになった馬が歩くように一頭、また一頭とゴール入線するさまは重賞には似つかわしくない。レパードSは不思議なことだらけだ。

 

 

***** 2022/8/7 *****

 

 

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2022年8月 6日 (土)

恩馬、フクリュウ

今日8月6日は広島原爆記念日として知られるが、故・野平祐二氏の命日でもある。祐ちゃん先生が亡くなってもう21年ですか。まさに聚散十春、光陰流転の思いがひとしお。ともあれ、今年も祐ちゃんバナシにお付き合いいただきたい。

Abumi 

「先生が乗った馬で、いちばん思い出に残る馬は?」

生前の野平祐二氏に、そんな質問をしてみたことがある。

当然スピードシンボリという返答が返って来るものと思っていた。こちらとしては、それをきっかけにスピードシンボリの話を伺おうという魂胆である。ところが―――

「フクリュウですね」

祐ちゃんは間髪入れずにそう答えた。

「フクリュウ……ですか?」

「知らない? 日経賞を大差で逃げ切ってみせたんですよ」

「いえ、てっきり、スピードシンボリかと……」

「彼はどちらかと言えば“戦友”ですね。でも、フクリュウがいなかったら、私はもっと早く騎手を辞めてたはずですよ。“恩人”ならぬ“恩馬”なわけ。わかる? 彼女の名前を最初に出さなきゃバチがあたりますよ」

若かりし頃の祐ちゃんは、競馬サークル内でも決して目立つ存在ではなかったそうだ。当時まだ珍しかった長手綱にアブミを極端に短くした騎乗フォームこそ話題になっていたものの、それが肝心の成績につながってこない。周囲からはフォーム自体に欠陥があるのだと指摘され、「あんな乗り方をする野平は乗せるな」という声さえ上がっていたのだという。

だが祐ちゃんは信念を曲げなかった。そしてフクリュウと出会う。

「フクリュウは人が乗ると顔色を変えるんです。信じられないかもしれないけど紫色にね」

フクリュウはいわゆる癖馬だった。自分が気に入らないことがあれば暴れたり、逆に押しても引いても動こうとしなくなる。名手と謳われた保田隆芳騎手が乗ってもまともなスタートが切れず、出走停止処分を受けた。一流騎手に依頼しても迷惑をかけるだけということで、祐ちゃんに手綱が回ってきたのである。

「もしかすると、なにかをきっかけに人間との信頼関係が崩れてしまい、人間不信に陥っていたのかも知れませんね。それからはフクリュウと心を通わせようと、あらゆる手だてを講じました」

フクリュウとのレースでは馬と会話することに全神経を注いだ。結果は、鮮やかな逃げ切り勝ち。後年、若い騎手たちに「馬は力で御すもんじゃない。大事なのはリズム」と唱え続けたその原体験は、実はここにある。祐ちゃんはこの年72勝をあげて開眼した。1958年にはその後19年間も破られなかった年間121勝をマーク。独自の騎乗スタイルが正しいことを、自らの成績で証明してみせた。

「それがのちのスピードシンボリ、そして私のヨーロッパ遠征へと繋がっていくんです」

騎乗技術の理想を追い求め、信念を曲げることなく、ただひたすら技術を磨き続けた努力の日々。「ミスター競馬」というこれ以上のない称号は、決して天与の才能だけで掴み取ったものではなかったのである。

私は祐ちゃんの騎乗したレースをライブで見た経験を持たぬが、のちに郷原洋行氏から聞かされた「(祐ちゃんは)風のように見えなかった」というフレーズが忘れられない。まさしく人馬一体の極致の姿が、そこにはあったのであろう。

 

 

***** 2022/8/6 *****

 

 

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2022年8月 5日 (金)

重賞の壁を越えろ

前走の報知杯大雪ハンデキャップを勝って地方在籍時代からの連勝を「8」に伸ばしたブラッティーキッドがエルムSで重賞に初挑戦する。

8連勝といってもすべて条件戦。うち5勝が園田・姫路の下級条件戦だから、「8」という数字にとらわれ過ぎてもいけない。条件戦を連勝してきながらオープンの壁を越えられなかった馬を私たちは何頭も見てきている。とはいえ、どんなレースであれ負けるリスクはあるのは事実。勝ちを続けていること自体は素晴らしい。前走からは中1週となるが、3歳4月のJRAデビューからわずか4か月半の間に12戦の連戦に耐えたという実績もある。この間のレース間隔を平均すると中10日。ヤクルトスワローズ奥川投手の昨シーズンの登板間隔に近い。

JRAで12戦未勝利だった馬が化けたことについてはいろいろ理由があろうが、JRA復帰後の3戦を見る限りでは、実力を付けてきたと言うよりは、なんらかの不安が解消したと考えたくなる。つまりようやくの能力全開。だとしたら、オープンの壁をあっさりクリアしてもおかしくはない。

個人的にこの馬には思い入れがある。お母さんのデザートレジーナは南関東で14勝もした活躍馬。不思議と重賞開催日のレースに出走することが多く、彼女の走りは何度となく見た。2009年には重賞・しらさぎ賞も勝っている。6歳にして、これが彼女にとって初めての重賞挑戦だった。それをあっさり勝ったことを思えば、子のブラッティーキッドに同じことを期待してもおかしくはない。

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折しも最近は騎手の「重賞初勝利」のニュースが相次いでいる。この1か月半だけを列記してみても、

 東京ジャンプS・上野翔(19年目)
 CBC賞・今村聖奈(1年目)
 新潟ジャンプS・黒岩悠(21年目)
 アイビスサマーダッシュ・杉原誠人(12年目)

と4人が初めて重賞を勝った。話題性では今村騎手がダントツだが、こうして書き並べてみると中堅騎手が目に留まる。13年目の水口優也騎手もまだ重賞タイトルは手にしていないがこの流れに乗れるだろうか。5年前のCBC賞、同じ勝負服のセカンドテーブルに騎乗してハナ差惜敗の悔しさを晴らすなら今回しかない。

 

 

***** 2022/8/5 *****

 

 

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2022年8月 4日 (木)

夏の新潟と言えば

おととい昨日は長岡花火大会。そのテレビ中継に観入ってしまった。花火大会をテレビで観て楽しいか?と公言していた私が、である。これもコロナ禍の余波かもしれない。余計な演出は相変わらずだが、長岡花火のスケールはそれを補って余りある。現場にいれば腹の底まで響くであろう破裂音を聞いて、むかし川崎競馬場のすぐ隣で花火大会が始まってしまい、人気を背負って負けた某騎手が「花火のせいだ!」とキレまくったことを思い出した。

「最近は関屋記念にも行ってません」

我が家に届いた暑中見舞いにそんな一文が添えてあった。その知人はかつて、長岡の花火大会に合せて毎年のように新潟に足を運び、その流れで関屋記念を観戦するのが夏の慣わしとしていた。ところが、数年前の番組改編に伴って、関屋記念がそれまでより一週遅れとなってしまい、花火大会と組み合わせることが難しくなったのである。この日程変更が痛かったのは私にしても同じ。新幹線であれ高速道路であれ、お盆のド真ん中に帰省ラッシュの海を泳ぎ切る自信はとてもない。夏の新潟といえばアイビスサマーダッシュではなく、誰が何と言おうと関屋記念。そう信じて疑わない私だが、この先関屋記念をナマで観戦する機会は、もう訪れないかもしれない。

Magu

周囲に聞いてみても、花火大会に合わせて新潟競馬場を訪れる競馬ファンは存外多かった。花火は観光客にとって夏の大イベントであり、関屋記念は競馬ファンにとって夏の一大イベントである。その片方が無くなってしまえば、新潟に足を運ぶモチベーションも下がりかねない。件の知人は北海道に矛先を変えたそうだ。エルムS当日に札幌で花火大会があるのだという。

思い返せば、私が初めて新潟競馬場を訪れたのも、長岡花火大会を見てから関屋記念観戦に向かったのだった。

出雲崎の海岸に遊び、寺泊で飯を食べ、弥彦山に登ってお参りを済ませ、長岡へ戻って信濃川の土手に陣取ると、缶ビールを片手にのんびり花火を眺めた。フィナーレの正三尺玉が空中で破裂した瞬間の、あのビリビリと痺れるような衝撃波は今も忘れぬ。

一日挟んだ翌々日は新潟競馬場。2レースの人気薄に跨った増沢騎手が絶妙に逃げて、いきなり7千円の大穴が空いた。枠連しかなかった当時のことゆえ、7千円の衝撃は小さくない。「またまた三尺玉炸裂だぁ!」と騒いだ記憶がある。メインの関屋記念も、その増沢騎手マキバサイクロンの優勝だった。

そんな夏の思い出も、変更されたレース日程では生まれにくくなりそうだ。サマーマイルシリーズの「一環」という位置付けにしても、関屋記念の価値を下げるように思えてどうにも腑に落ちない。慣れてしまえばそんなことも気にならなくなるよと言われそうだが、サマーシリーズに「オータム」という名のレースが含まれていることへの違和感さえ、まだ拭い切れていないのである。

 

 

***** 2022/8/4 *****

 

 

 

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2022年8月 3日 (水)

平安のハンデキャッパー

今日は水曜だが南関東で重賞は行われない。道営、名古屋、笠松、園田、高知でも今週は重賞の谷間。この季節、オープン馬たちは激戦の疲れを癒している真っ最中だから仕方ないとはいえ、番組も夏枯れの感は否めない。

ちなみに「番組」とは、レース日程とその日に行われるレースごとの条件を定めたもの。おとといはJRAの9月から12月の番組が発表になった。調教師たちはこの番組表とにらめっこしながら、どの馬をどこで使おうかと頭を悩ますわけである。

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この「番組」の語源は意外にも古くに遡る。

近代競馬の発祥は英国だが、実は日本においても平安の昔から競馬は行われていた。いわゆる「古式競馬」(こしきくらべうま)。今も京都上賀茂神社において年に一度行われているから、ご覧になったことがあるという方もいらっしゃると思う。

相撲、柔道、剣道など日本古来の武術同様、競馬も「武術」のひとつとして発展した。基本的にはふた組の人馬による一騎打ちなのだが、単に馬を速く走らせて先にゴールするだけの勝負ではない。武術である以上、騎乗者同士の妨害行為も認められていたのである。いくさ場においては、相手を馬から引きずり落としても「勝者」なわけだ。

競馬の施行に先立って、出場する馬と騎手との組み合わせを決める判定会議が行われる。あまりに人馬の実力が違い過ぎては、勝負にならないからである。平安の競馬界にも“ハンディキャッパー”は存在した。

レースを数えるのに当時は「番」という言葉を使ったのだが、例えば「十番」の競馬、すなわち一日に行われるレース数が10ならば、20頭の馬と20人の騎手が集められる。馬齢や過去の成績、馬の状態、騎手の技量などから判断して、番(レース)ごとの組(出走人馬)を決めていくのである。これが「番組」の語源となった。

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当時の競馬は神事であり、天皇や公家の臨席もあると思えば、組み合わせ決定には相当な神経を要したことであろう。いつの世も、「ハンデキャパーは辛いよ」ということになる。

 

 

***** 2022/8/3 *****

 

 

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2022年8月 2日 (火)

カレーうどんの日

今日8月2日は「カレーうどんの日」。皆さん、知ってました?

制定されたのは2010年。カレーうどんが日本の食卓に浸透してから100年となる節目だのこの年に、「カレーうどん100年革新プロジェクト」によって制定された。8月2日が選ばれたのは、かつて6月2日が「横浜・カレー記念日」であったことに加え、7月2日が「うどんの日」であることから、その流れで決まったらしい。おかげでとてつもなく暑い季節にカレーうどんを食べに行く羽目になった。来年あたりから冬場に変えてもらえんだろか。

こちらは梅田に暖簾を掲げる「今雪」のカレーうどん。

大阪でも屈指の讃岐の名店と呼ばれる店で、カレーうどんを注文するのは「もったいない」と考えるタチである。麺の香りもダシの味もすべてカレーに持って行かれてしまう。シンプルに「かけ」で味わいたい。そんな気持ちをグッと抑え、勇気を出してメニューの隅にある「カレーうどん」を注文。分かりにくい喩えで恐縮だが、サンデーサラブレッドクラブ募集のどの馬でも選べる立場にありながら、わざわざ社台スタリオンの種牡馬を避けて、よその種牡馬の産駒を選択する感覚に似やしないかーーー。う~む、やっぱ分かりにくいな。

ともあれカレーうどん。

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今雪のカレーうどんは辛くはない。その代わりダシの風味が際立つ。カレー好きの方はモノ足りなさを感じるかもしれないが、うどん好きなら受け入れられよう。ランチには特製玉子かけご飯が付いてくる。それだけで食べても美味いのだが、カレーうどんの場合に限って食べ方を変えよう。カレーうどんを食べる途中で玉子を投入して味変。さらに、うどんを食べ終えたら残ったスープに白飯を投入するのである。まあ、カレーうどんとしてはオーソドックスな食べ方だけど、やはりこれがいちばん美味い。いつもの鶏天だってカレーに浸せばまるで違う一品になる。

結局はカレーうどんも正解なのである。「カレーうどんの日」以外でも注文する勇気を持とう。そも、ここまでうどんが美味ければ、カレーのレベルが相当高くも驚かない。社台&サンデーのラインナップからバゴやブライアンズタイムを選ぶことで巡り合える名馬がいるのも事実。つまりは根底にあるのは牧場のチカラなのである。カレーうどんと一緒にするな!と叱られそうだけど。

 

 

***** 2022/8/2 *****

 

 

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2022年8月 1日 (月)

エルムの思い出

今日の昼は仕事場の近所の「上等カレー」で。暑いとカレーが食べたくなるのはなぜでしょうね。

Joutou

もともとカレーは好きで、贔屓のプロ野球チームの優勝を祈願して「ペナントレース開幕から優勝決定まで毎日昼メシはカレー」という無謀かつ無意味な願掛け行為に出たことは以前本稿にも書いた。その反動か知らんが、東京にいたときはあまり外でカレーライスを食べることはしなかったが、大阪はやたらスパイスカレーのお店が多いので自然と食べる機会が増えた。ただ個人的には神保町の「ボンディ」のような欧風カレーが好み。なにより、付け添えで出てくるジャガイモが美味い。

カレーライスを日本に定着させたとされる店は、東京や大阪などあちこちに見かけるが、「少年よ大志を抱け」でお馴染みのクラーク博士が日本にカレーを広めるのに一役買ったという説があるのをご存じだろうか。

当時の貧弱な学生の身体を気遣った博士は、米食を禁止してパン食を強く推し進めた。だが「カレーライスだけはその限りにはあらず」としてこれを認め、その具材として北海道で身近に収穫される玉ネギ、ジャガイモ、ニンジン、そして豚肉を推奨したと言われる。典型的な「日本のカレー」はこうして誕生した―――というわけだ。

Sapporo

ここで話は16年前に遡る。2006年のホッカイドウ競馬の最終日を見るために札幌競馬場に向かう途中、ちょいと北大に寄り道してみた。道営競馬の存廃論議が高まっていた11月で、その日はひどく寒く、しかも道営競馬の将来を暗示するかのような暗鬱な雨が容赦なく馬場を叩きつけていた。「ひょっとしたら今日が道営最後の日かもしれない」と思えば、気持ちの整理も必要となる。そこで回り道をして、心の準備を整えつつ、ゆっくりと競馬場に向かったのである。

そのとき、北大構内にあるレストラン「エルム」で「クラークカレー」を食べた。白飯の上に肉やニンジンやジャガイモやカボチャといった具材が丁寧に敷き詰められたカレーは見た目にも美しく、カレーの深い香りと、新鮮な野菜の歯応え、そして肉の柔らかさは今も強く印象に残る。クラーク博士の当時のものとはまるで違うものであろうけど、それでもその味にクラーク博士の深い智慮を賜った思いがしたものだ。

Clark

機会があればまた食べたいと思って、その後も札幌に行くことも度々あったのだけど、土日が定休日の「エルム」は、JRAの札幌開催とはどうしても相容れない。道営競馬が札幌競馬場で開催されることもなくなった。そうこうするうち、おととし「エルム」自体が閉店してしまったらしい。残念。その一言に尽きる。

もう、あの美しいカレーを目にすることはないのか―――。

昨日は札幌競馬場で行われているクイーンSの中継を見ながら、頭の中ではエルムでカレーを食べていた。今日の昼にカレーが食べたくなったのはそのせいかもしれない。今週の札幌競馬場メインはダートの重賞・エルムS。

 

 

***** 2022/8/1 *****

 

 

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