負担重量48キロ
今日付けの日刊スポーツを読んでいて「おや?」と思った。この記事についてである。
☆最軽量 負担重量48キロでの重賞勝利は、01年カブトヤマ記念のタフネススター、08年マーメイドSのトーホウシャインに続く3度目で最軽量タイ記録。
いや、ホッカイノーブルのステイヤーズSは48キロだったはず。野平祐二調教師の管理馬で、師が生前よくそのレースぶりを振り返っていた。ほかにもフジミツルが1955年の日経新春杯を、さらにダイニテンランが1966年の目黒記念をそれぞれ48キロで勝っている。「グレード制導入後としては」を書くスペースがなかったのかもしれないにせよ、この手の記録の扱いには細心の注意が欲しい。
ハンデ戦は負担重量を調整することにより能力差の均等化をはかり、レースを面白くするのが目的。ただし、弱い馬を軽くするといっても限界がある。テイエムスパーダの場合、それまで4戦連続で国分恭介騎手が手綱を取り2勝を挙げていたが、CBC賞で課されたハンデは48キロ。国分恭介騎手の体重は52キロだから乗ることができない。おけげで今村聖奈騎手に手綱が回ってきた。ハンデ戦は弱い馬ばかりでなく、若い騎手にとってもチャンスの場だ。
現在、JRAの規定ではオープン級が48キロ、条件級では50キロを下限としている。これは騎手に過度の減量負担をかけないための措置。だが例外もある。
2017年9月30日の中山6レースは平場の500万条件戦。芝2200m。むろんハンデ戦ではない。それでも藤田菜七子騎手を背に出走したカスタディーヴァの負担重量は47キロと、異例の軽さとなった。
なぜか。57キロの基本重量から、まず牝馬なので2キロ減、3歳馬がマイルを超える距離で古馬と対戦する際のアローワンスで3キロ減、さらに南半球産馬に対する特典で2キロ減、最後に見習記号▲の藤田菜七子騎手が乗れることでさらに3キロ減、都合10キロが減量されて47キロでの出走が可能となったのである。現代の騎手の体格事情を勘案すれば、下限ぎりぎりいっぱいであろう。
ただ昔はもっと軽いハンデもあった。サラブレッドに挑戦して45キロのハンデをもらったアングロアラブがいる。それが1964年のダイヤモンドSで7着だったリンドウ。騎乗したのは町田精生騎手と記録が残る。勝ったキクノヒカリとの差は1秒8だった。ハンデに助けられたとはいえ、3頭のサラブレッドに先着したのだから大健闘であろう。ちなみに、このレースにはガゼールターフも47キロで出走していた。騎乗した大崎昭一騎手は減量に苦労したに違いない。
藤田菜七子騎手はプロフィールに「45.6キロ」とあるから、47キロでも乗ることはできるよう。しかし、実際のレースでは逃げて10着に敗れた。勝ったストロングレヴィル54キロとの差は6馬身。斤量差については俗に「1キロ=1馬身」とも言われる。だから10キロなら10馬身かと言われれば、決してそうはならない。軽量化によって動きが変わるという一面は、確かにある。しかし勝ちきるのは難しい。48キロでの重賞勝利が過去に「6頭」しかいないことが、その事実を裏打ちしている。
《余談》
47キロの出走例として紹介したカスタディーヴァは、白毛で話題となったアオラキのお母さん。ご覧の通りお母さんも白毛でした。アオラキは新馬戦で4着に敗れたが、お母さんもデビュー戦は10着。初勝利は4戦目だった。長い目で見守りたい。
***** 2022/7/4 *****
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