2度目の引退
JRAは宝塚記念で上半期の競馬を終えたが、ダート界は今宵の帝王賞が上半期の締め括り。だが、宝塚記念が18頭のフルゲートで盛り上がったのとは対照的に、帝王賞はその半分の9頭に留まった。これはいったいどうしたことか。
9頭のうち7頭はJRA所属馬。残る2頭にしても、JRAでデビューを果たし、ある程度活躍してから大井に移籍してきたことを思えば、実質的には「JRA所属馬9頭」と言っても差し支えない。文字通りの馬場貸し。せめてJRAから大井所属になった2頭のどちらかが上位争いをしてくれないものか。でなければ交流GⅠの看板が泣く。
2007年の帝王賞を優勝したボンネビルレコードは、JRA所属での勝利だったが、もとをたどれば大井所属馬。2004年10月の大井新馬戦でデビューを果たし、羽田盃5着、東京ダービー4着、ジャパンダートダービー3着とクラシックを好走。黒潮盃や金盃など4つの南関東重賞タイトルを獲得すると、5歳春にJRAへと移籍した。
南関東でもS2は勝てるがS1となると勝ちきれない。交流重賞でも勝ち負けに持ち込むまでいかない。もう一段階上がって真のチャンピオンとなるにはどうしたらよいか。考え抜いたオーナーの結論は「美浦の坂路で鍛えるしかない」というものだった。その信念が移籍4戦目で早くも実を結ぶ。先頭に立った1番人気ブルーコンコルドと内ラチの隙間を狙ったのは5番人気のボンネビルレコード。大井在籍時の主戦・的場文男騎手の豪快なアクションに応えて突き抜けた。割れんばかりの大歓声は地元大井の人馬への喝采を叫ぶ声だ。大井のファンはよく分かっている。
引退後は大井競馬場の誘導馬として活躍を続けてきた。「誘導馬」と聞くと、種牡馬になれぬ馬の引き取り先みたいなイメージを持たれる方もいるようだが、実際にはそう簡単に務まるものではない。彼らも厳選されたエリートだ。まず、牡でなければならない。毛色も限定される。さらにゆったり堂々と歩けることこれだけでも、大半の馬がふるい落とされる。これらの条件をクリアしても誘導馬になれるとは限らない。もっとも肝心なポイントは馬の気性にある。
なにせ、つい最近まで速く走ることだけを徹底して教え込まれてきたのである。かつての習性でファンファーレを聞いてイレ込むケースが少なくない。出走馬がすぐ隣をすり抜けていけば、負けじと走り出そうとするのも、競走馬としての性(さが)であろう。
それをクリアするには長い訓練を経なければならない。早くて1年、遅い馬は3年と言われる。それを彼は引退から半年でクリアしてみせた。馬の頑張りとともに、調教関係者の熱意の賜物に違いあるまい。その後も暇さえあればひとり練習を繰り返していた姿が印象に残る。
誘導馬生活も丸9年。そんなボンネビルレコードも今日を最後に誘導馬を引退するという。そこで帝王賞終了後の最終レースに「たくさんの感動をありがとう!ボンネビルレコード賞」が組まれた。先日の宝塚記念当日の最終レースが柴田未崎騎手のラストライドだったように、こういう演出があるのも「締め括り」ならでは。思えば未崎騎手もボンネビルレコードも2度目の引退。こうなるとある意味9頭立ての帝王賞より興味深い。大勢のファンが残ってボンネビルレコードを見送っていた光景は忘れないでおこう。
***** 2022/6/29 *****
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