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2022年5月24日 (火)

安田伊左衛門生誕150周年

今年の安田記念は「安田伊左衛門生誕150周年記念」として実施されるらしい。競馬法の制定や日本ダービーの創設などに尽力し、「日本競馬の父」と称される安田伊左衛門氏の生誕150周年に当たることから記念競走として実施されることになった。そも安田記念が東京競馬場で行われていることにだって、もちろん理由はある。この地に東洋一の競馬場を生み出したのも安田氏の功績に他ならない。

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第1回日本ダービーが行われた目黒競馬場は、その敷地わずか1万坪。しかも、その大部分は借地であり、返却の期限が迫っていた。加えて地元からは「競馬場が町の発展を妨げている」として、競馬場排除論が沸き起こる有り様。ダービー創設の当時、競馬場の移転は急務の課題であった。だが、それが一躍「24万坪の大競馬場構想」へと飛躍したのは、安田氏の「サラブレッドは大きな馬場で自由闊達に走らせたい」との理念の現れにほかならない。

移転先選定に先立ち、安田は新競馬場の要件として次の6点を掲げた。

 ・土地の広大なこと
 ・交通の便利なこと
 ・良質の草が採草できること
 ・水質の良好なること
 ・物資の供給を受けられること
 ・警察署並びに役所の所在地なること

これに手を挙げた候補地は実に百箇所以上。そこから数十箇所を選定し、実地調査を行った。特に暴風雨や出水の時を選んで出掛けたのも、氏の理想に適う競馬場を造りたい一心からであろう。候補地を他人に悟られないために、家人にも行き先を明かさず、尾行にも常に気を配っていたというから、苦労のあとが偲ばれる。

その結果、東京府下北多摩群府中町・大國魂神社下の24万坪を候補地として選定した。多摩川に近く、その水質は競走馬の飲料水に最適であり、また多摩川の土手には青草が豊富に生えているなど好条件に恵まれていた。

ところが、競馬場が完成してついに競馬開催にこぎ着けると、馬場が広大過ぎて双眼鏡がないとレースが見えないと非難が起きる。むろん、安田としてもファンの気持ちが分からないでもなかったが、それ以上に競走本位の理念を貫いた。その思いが通じたのであろう。次第に沸き上がる賛美の声に、些細な非難はかき消されることとなる。

その東京競馬場がもっとも熱く盛り上がる日が、まもなく今年もやって来る。檜舞台を見ることができるファンは幸せを噛み締めよう。その舞台の建設に心血を注いだ安田伊左衛門は、今もパドック脇から出走馬たちをそっと見守っている。

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***** 2022/5/24 *****

 

 

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