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2022年5月25日 (水)

目黒競馬場の面影

目黒記念が創設されたのは1932年だからちょうど90年前のこと。東京優駿大競走と同じ年だが、月日まで比較すれば6日間だけとはいえ目黒記念の方が早い。

Opera

今でこそ大阪天満宮界隈を根城にしているが、実は小金井生まれの目黒育ちである。だから子供の頃から、近所に「元競馬場」というおかしな名前のバス停があることは気になっていた。むろん今なら言われなくてもわかる。第1回目の日本ダービー(東京優駿)が行われた由緒ある土地であり、ダービー当日の最終レース「目黒記念」にその名を残している。つまり今週日曜東京の最終レース。天皇賞(春)でカラ馬ながら「2着」に入線したシルヴァーソニックに注目する向きも少なくなかろう。

目黒競馬場の跡地は既に宅地化されおり、その痕跡はほとんど残されていない。競馬場の余韻を現代に伝えるのは、不自然にカーブした路地と「元競馬場前」のバス停だけだ。

Bus

まだ農村地帯だったこの地に、競馬場が姿を現したのは1907年のこと。コースは一周1600mの芝コースと、内馬場をクロスする障害コースがあるだけで、府中に比べるとかなり狭い。ちなみに府中とは逆回りの右回りコースだった。

Meguro

ダービーのスタートは向こう正面の右奥、3コーナー手前にあった。スタートして150mほどで3コーナーに飛び込むコース形態からすれば内枠の有利は動かぬであろう。第1回優勝のワカタカは最内1番枠からの逃げ切り勝ちであったという。

そのワカタカの父でもあるトウルヌソルの銅像を、現在の目黒通り元競馬場バス停の近くに見ることができる。6頭の日本ダービー優勝馬輩出は、ディープインパクトの7頭に次ぐ大記録だ。

Bronze

トウルヌソルの銅像から目黒通りを挟んだ反対側、大きな肉まんで有名な「目黒五十番」の向こうは、かつての厩舎があった地区。手狭なため、ここから2キロも離れた碑文谷に外厩を作ってどうにか凌いでいたが、関東大震災直後から周辺の宅地化が進むにつれ、悪臭や騒音の苦情が出るうようになった。また、競馬開催日には、港区魚藍坂から権之助坂を経て競馬場までびっしりと車列が連なり、鉄道もマヒしてしまうなど、競馬そのものが社会問題化し始める。競馬場の移転問題は急務とされていたようだ。このあたりから話は昨日からの続きとなる。

府中への移転後、その跡地は戦時中の食料確保のためジャガイモ畑に転用されたこともあったという。華やかな勝負服がファンを熱狂させた競馬風景から一転、真っ白なジャガイモの花が一面に咲き誇る光景はさぞや壮観であったことだろう。

 

 

***** 2022/5/25 *****

 

 

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コメント

毎日拝読してますが、久しぶりの書き込みです。

私、目黒五十番の元バイトです(笑)

投稿: tsuyoshi | 2022年5月26日 (木) 12時14分

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