ゴール板撮ってんじゃない
昨日付で某スポーツ紙のカレンダー写真に文句を書いてしまったが、商売柄他人の撮った写真にケチを付けるような真似はしないように心掛けているつもり。それでも「他人のチョイス」に異議を感じることはなくもない。
つまり昨日のネタは「よりによってその一枚を使わんでも…」ということを言いたかった。撮る側と使う側は別の立場であることが多いから、時として拭い切れぬ軋轢が生じることもある。でも、たいていはカメラマンの方が納得を強いられるのだけれど……。
カメラマンは高速連写で何枚もの写真を撮る。おそらく前後のカットには、四肢が美しくターフを蹴り、そのつぶらな瞳がパッチリ写っているカットがあったに違いない。それでも編集者がこの一枚を選んだのには、それなりに理由があるはずだ。
写真のチョイスでは、ゼッケンがきちんと写っているかや騎手のポーズなんかもそれなりに重視されているようだが、経験的に「ゴール板が写っていること」を最優先とする編集者は少なくないように思う。
何より重要なのはわかりやすさであることは言うまでもない。そのためにはゼッケンをフレームの真ん中に置きたいし、騎手の表情が読み取れないのも困る。それは分かる。だが、ゴール板ってどれほど重要なの?と昔からモヤモヤしながら撮り続けているのも事実なのである。
実際、そうした疑問を直接編集者にぶつけたこともある。いや、あくまでやんわりとね。で、返ってきた答えは「そりゃ“ゴール写真”なんだから、ゴール板は必要だろ」というもの。
ふーむ むむ……。さも当たり前に言われた以上、それを理解できないという私は、きっとまだ修行が足らんのですな。大井の猫も「これがそんなに大事なのかニャン」と言ってる……ような気がする。
でもとにかく、必死に走って勝利を掴み取ったその馬の脚の形や表情を、少しでも優先してもらえないかと思えてならないのである。
***** 2022/4/7 *****
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コメント
あら。
その通りかもしれません(笑
投稿: 店主 | 2022年4月16日 (土) 10時28分
この写真みんなに見せたかっただけじゃないのか?
ええ写真や。
投稿: suzuki | 2022年4月 8日 (金) 13時05分