「クロノゼネシス」か「エフホーリア」か
土曜日に「日本人のおなまえ」が再放送されて仕事場でも競走馬のネーミングが話題になった。競馬を知らない人がビックリシタナモーとかオジサンオジサンとかモグモグパクパクなどという馬名を聞くと、やはり新鮮に聞こえるらしい。我々はもはや驚きもしませんけどね。さすがNHK。影響力が違う。
1文字馬名の「ヤ」にも驚く人が多かったようだ。ほかにもいるのか?と聞かれたが、残念ながら記録に残る限り1文字馬名は「ヤ」号をおいてほかにない。ヤは1934年4月14日の京都競馬、アラブ系抽選新馬でデビュー戦を迎えた。ところが単勝は1票も売れなかったという。券面に馬名が印刷される現代なら、記念にと購入するファンが窓口に列を為したかもしれない。だが結果は8着に敗れている。
番組の中で杉本清さんがおっしゃっていた通り、馬名にはいくつかの制約がある。まず使用できるのはカタカナだけ。それも9文字以内に限られる。
驚くことに記号もカタカナ1文字として扱っていた時期があった。有名なところでは「ラ・フウドル」という馬が知られている。「ホウシュウ」や「ブゼン」の冠名で知られた上田清次郎氏の所有馬。1954年5月26日の京都で障害戦を勝っている。
馬名がカタカナに統一されたのは1928年に帝国競馬協会が規定を作って以来、また字数の制限は1937年に始まった。したがって、1928年以前の出馬表には漢字馬名が含まれていることになる。血統表には漢字の馬名は珍しくはない。
月日は流れて1968年になると中央競馬(JRA)において、促音、拗音の馬名使用が認める。ただし地方競馬ではこの承認が大きく遅れた。そのタイムラグが、地方から中央に移籍して有馬記念を制した「ヒカリデユール」の違和感を生む。中央移籍に際して馬名変更は認めらない。「ユ」⇒「ュ」のような些細な変更でも同じことだ。
さらに「ヴ」「ァ」「ィ」「ゥ」「ェ」「ォ」の使用は1991年まで待たなければならなかった。つまり最近のことである。昔の馬名が総じて短く感じるのはそのせいであろう。9文字制限緩和論は馬名の外国語化と原音主義の産物だと思える。
クロノゼネシス
エフホーリア
シヤドウデーバ
ステラベローテ
世が世なら、そんな名前の馬たちによる有馬記念が繰り広げられることになっていたのかもしれない。NHK「日本人のおなまえ」でビックリ競走馬ネームSP第二弾が放映される暁には、そのあたりまで深堀りしてもらえないだろうか。
***** 2021/12/20 *****
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