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2021年12月21日 (火)

冬至

古来より冬至の日はことさら重要視された。それは、冬至が太陽の観測に一番適していたから。冬至を特定するには、物の影が一番長くなる日を見つければよい。しかもこの季節は晴天が多いから、観測条件も整っている。ために我が国の季節感に今なお残る二十四節気は、冬至をスタートとして定められた。すなわち季節の「原点」でもある。

だがしかし。暦の上では大事な日であっても、屋外で、動くものを、照明も使わずに撮らねばならないカメラマンにとっては、決して嬉しい日とは言えない。正直、冬至近くの中山開催はなんとなく気が滅入った。有馬記念とて例外ではない。メインレースが近づく頃には、芝コースを照らしていた陽の光は背後のスタンドに遮られ、表彰式の頃になるとあたりはすっかり夕闇に包まれてしまうのだから。

同じことを生前の野平祐二氏もおっしゃっていた。ただし騎手の視点である。有馬記念というと、どうも暗いイメージがある。ゴールを照らす灯りを除けば、あとは真っ暗闇。スタンドも暗かったし、空はいつも曇っていた。そんな印象が強いのだという。「レース中に蹄鉄と蹄鉄がガチンとぶつかって火花が飛ぶんです。周りが暗いから、その光が余計目に焼き付いてしまってね」。そんなこともおっしゃっていた。

たしかに昔の有馬記念は、今よりもっと暗い中で行われていたイメージがある。発走時刻が今より遅かったのだろうか? そう思って調べてみた。スピードシンボリが名手・野平祐二騎手の手綱で有馬記念史上初となる連覇を果たした1970年の発走時刻は、あろうことか15時10分。なんと、今より15分も早いではないか。それでも皆が暗いと感じたのは、競馬自体がそういう暗鬱さを拭い切れぬ時代だったということか。

暗かったのはスタンドのせいかもしれない。現在のスタンドが竣工する前は、名物の大屋根が威容を誇っていた時代。それが空を覆い、わずかな西日をも遮っていた。今のようなガラス張りになる前のスタンドは照明も乏しく、帰途にふと振り返って見たそれはまるで漆黒の貨物船のようであったと記憶する。さらに、馬場の色味も見逃せない。今のように真冬でも緑色に輝く芝生が導入される前は、茶枯れた芝の合間から土が剥き出しになった黒い馬場で有馬記念は行われていた。

1994

そんな中山競馬場では、冬至ステークスとか冬至特別といった「冬至」にちなんだレースも数多く行わてきた。アンバーシャダイが1980年に勝ったのは冬至特別。サクラローレルが94年に勝ったのは冬至ステークス。マツリダゴッホも2006年の冬至ステークスで2着と好走している。競馬の世界における冬至は、のちの有馬記念馬たちの「原点」だったのかもしれない。それを思うと、近年の番組表から「冬至」の名が消えてしまっていたことが少しばかりさびしい思いと感じていたのだが、今年は久しぶりに「冬至特別」として帰ってくる。明日は冬至だ。

 

 

***** 2021/12/21 *****

 

 

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