4日間でBC3勝の快挙
先日行われたばかりのJBCの正式名称は「ジャパン・ブリーディングファームズ・カップ」だが、もともとは米国のブリーダーズカップに倣って創設されたレース。よって当初は「ジャパン・ブリーダーズ・カップ」を謡っていた。名称使用に関して本家米国のブリーダーズカップ協会とひと悶着あったが、「生産者が主体となって運営するレース」というコンセプトは同じ。「1日に複数カテゴリのGⅠレース実施」や「開催場は持ち替わり」という特徴も日米で変わりはない。
金沢で行われた今年のJBCではオープニングカードのJBCレディスクラシックをテオレーマが、続くJBCスプリントをレッドルゼルが勝ったが、その手綱を取ったのはいずれも川田将雅騎手だった。
「川田祭りやな」
「次(クラシック)も勝つんちゃうか?」
「いや、次は乗らへんわ:
「ほなら次はアメリカのBCを勝つんちゃう?」
地方競馬の中でも屈指の難コースと言われる金沢で繰り出した見事な手綱さばきに、目の肥えた地元ファンもお手上げといった表情。しかもその予言は4日後に現実のものとなった。日本時間の早朝、「本場」のブリーダーズカップ・フィリー&メアターフを川田将雅騎手とラヴズオンリーユーが制したのである。日本調教馬によるブリーダーズカップ制覇は初めて。1996年タイキブリザードがクラシックに挑戦(13着)して以来延べ17頭目、四半世紀に及ぶ挑戦がついに結実した。
日本競馬にとって歴史的快挙であることは間違いない。だが、ラヴズオンリーユーの祖父サンデーサイレンスは1989年BCクラシックの覇者であり、母方を遡ればBCマイル連覇の名牝ミエスクが曾祖母に登場することを考えれば、米国競馬にとっても意味のある勝利であろう。
その後に行われたBCディスタフも日本のマルシュロレーヌが勝って、まさかのBC2勝まで達成された。JBCクラシックを勝った吉原寛人騎手の「こんな日がくるとは」というセリフを思い出す。まるで競馬にならずに遥か後方を追走するだけだったタイキブリザードの初挑戦を知る身としては隔世の感を禁じ得ない。
ただ、欧州、香港、ドバイでの日本馬の成績を思えば、日本馬がBCを勝つのは時間の問題だったように思う。今回も勝った2頭はノーザンファームの2頭だったわけだが、多数のオープン馬を抱えるノーザンファームは本格的に海外に狙いを定めている。競馬というスポーツがそもそも世界規模の競争であり、ちょっと油断しただけで国際的な地位を失うことを理解していることがその大きな理由。だが、溢れるオープン馬を効果的に活躍できる舞台が日本国内に整備されていないという切実な事情も無視できない。インディチャンプやサリオスのように、海外遠征をしているわけでもないのに年間3~4走しかしないGⅠ馬もいる。
私としては日本調教馬による初めてのBC制覇が日本人ジョッキーの手綱で達成されたことが嬉しくてならない。海外遠征では外国人のトップジョッキーを乗せるのが当然の時代。嬉し涙にむせぶ川田騎手を観て純粋な感動を覚えたのは、彼が日本人だからである。日米を股にかけて4日間でBC3勝は空前の記録。しかし絶後にはならぬよう祈る。
***** 2021/11/6 *****
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