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2021年10月31日 (日)

天皇賞当日の阪神で

昨日は府中、今日は仁川。JRAジョッキーのような週末を過ごしている。

入場門をくぐって何気なくパドックを覗けば、驚くことに武豊騎手の姿があるではないか。昨日は府中のパドックでその姿を見かけた。ということは私と同じように移動してきたわけだ。

言うまでもなく今日は府中で天皇賞(秋)が行われる。デビュー2年目の1989年に初出場で初優勝という離れ業を演じて以来32年間、秋の天皇賞の出馬表には必ず「武豊」の名前があった。今日彼が阪神で乗る姿を見るということは、すなわち32年間続いた偉大な記録が途絶えたことを目撃していることに他ならない。私自身、事情があって天皇賞(秋)を観ることができず、仕方なく阪神に来ているわけだが、そんなちっぽけなことでクヨクヨしていたことが恥ずかしくなった。

阪神9レースの古都Sは、例年なら京都芝2400mで行われる3勝クラスの条件特別。阪神で行われた今年も「古都」というレース名はそのまま使われたが、距離が大きく変更になった。一気に600mの延長である。つまり先週行われた菊花賞と同じ阪神芝3000m。条件戦で3000mは珍しい。かつての嵐山ステークスに思いを馳せたオールドファンもいたのではあるまいか。

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勝ったのはメロディーレーン。菊花賞馬タイトルホルダーの姉にして自身も菊花賞5着の実績がある。小柄な牝馬でいつも馬体重が話題になるが、今日は10キロ増の354キロとデビュー以来初めて350キロを超えてきた。そのおかげか直線の坂を脚取りもいつもより力強い。3000mも合うのであろう。ゴールの瞬間はスタンドから歓喜の拍手が沸き起こった。条件戦では珍しい。白毛馬以外では初めて見た光景だ。

武豊騎手が手綱を取ったキタサンバルカンは5番人気で8着。3000mなら騎手の技量がモノを言うとばかりに単勝を買い込んだが、それが仇になったか。そもそも走るのは馬である。今日の武豊騎手は阪神で9鞍に騎乗。すべて1~5番人気だったが、カシオペアSなどの3着が最高という成績に終わっている。私のように馬を見ずに単勝を買ったファンもいたのかもしれない。その気持ちは痛いほど分かる。

 

 

***** 2021/10/31 *****

 

 

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2021年10月30日 (土)

1年8か月目の変化

久しぶりの東京競馬場は人で埋め尽くされていた。いったいなんだ?  この人混みは?

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入場制限が解かれたわけではない。入場に際してはスマホのQRコードを読み取られて、身分証を提示して、リストバンドを付けてもらった。むろん座席も間隔を空けて使われている。なのにこの人の多さはどうしたことか。ラチ沿いでの観戦も許され、パドックを取り囲む人垣はスタンド上階まで続いているではないか。

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聞けば今日から入場人員が倍増されたらしい。ただ、倍と言っても4479人だったのが9362人になっただけ。1万人にも届いてない。なのにこれほどの「混雑感」を受けるとは思わなかった。コロナ前なら5万人も珍しくなかったはずだが、今となってはこの5倍もの人混みは想像し難い。良くも悪くも我々はすっかり人のいない競馬場に慣れてしまった。

客は増えたが場内の飲食店は8割方が休業中。5レースが終わっても、6レースが終わっても、7レースが終わった後ですら行列が途切れることがない。セブンイレブンを覗いたら、弁当、おにぎり、サンドイッチの棚は早々に空になっていた。明日の天皇賞を現地観戦される方は注意されたい。

スタンドでは「こんな賑やかな競馬場は何十年ぶりかなぁ」というベテランの声が聞こえてきた。いくらなんでも「何十年ぶり」ということはあるまい。正確には1年8か月ぶり。だが思わずそう呟いた感覚は理解できる。立錐の余地なきスタンドで10万の大観衆が地鳴りのごとき歓声を上げたコロナ前の競馬場は、遥か昔のことのようにしか思えない。

場内を歩いてみれば、内馬場や日吉が丘は相変わらず立ち入り禁止のまま。ウイナーズサークルにも近づけないようになっている。コロナの爪痕は残しつつ、人混みは少しずつ復活したといったところか。様々な変化に、もはや戸惑ってもいられない。少しずつ慣れていくしかないのである。

 

 

**** 2021/10/30 *****

 

 

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2021年10月29日 (金)

定量58キロ

天皇賞を読み解くキーワードといえば、春は3200mの距離、秋なら枠順の有利不利が一般的。さらに春秋共通のファクターとして、牡馬58キロ、牝馬56キロの負担重量があげられよう。写真は2014年秋の天皇賞を勝ったメイショウサムソン。種牡馬引退が報じられましたね。お疲れ様です。彼ももちろん58キロを背負っていた。

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一般に負担重量の仕組みは複雑だが、大ざっぱにいえば実績と負担重量は連動しており、勝てばそれだけ重くなる。とはいえ頂上決戦たるGⅠ競走に手加減は相応しくない。だからどの馬も基本的に同じ重量を背負う。

一方で近年は賞金と負担重量の関係は緩やかになり、極端な重量を背負う馬はいなくなった。先週の富士Sにワグネリアンが出ると聞いて、こりゃあいったい何キロ背負うんだ?と思ったら、57キロと聞いて拍子抜けした覚えがある。

20年くらい前まではGⅡでも59キロや60キロは珍しくなかった。1992年マイラーズカップでは60キロのダイタクヘリオスが5馬身差で独走しているし、今や伝説となった1998年の毎日王冠では59キロを背負ったサイレンススズカが57キロのエルコンドルパサー以下を完封している。

ゆえに以前は「天皇賞の58キロが前走より軽い」というケースが珍しくなかった。しかし、最近ではGⅡの重量規定が軽くなった上、有力馬ほど前哨戦を避ける傾向にあることから、毎日王冠や京都大賞典で59キロを見かけることはほとんどない。消耗を避ける意味合いが強いとされるが、重い斤量を背負いたくないという思惑もあろう。しかし、いざ海外挑戦となるとこれが文字通り足枷になることもある。

クロノジェネシスは凱旋門賞で58キロを背負って敗れた。日本国内で一線級の牝馬が58キロを背負う機会はまずない。ディープボンドは59.5キロを背負って馬群に沈んでいる。これを敗因に挙げる声もなくはない。JRAの矢作調教師は「凱旋門賞を勝つためには負担重量を1、2キロ増やさなきゃだめだ」と訴え続けるひとり。そう考えると、初経験となる60.5キロを背負ってあわやの3着に好走したハーツクライのキングジョージは、もっと評価されて良いような気がする。

昭和初期の女傑ヒサトモは、前走から15キロ少ない斤量を背負って1938年秋の天皇賞を制した。前走が71キロ、それが56キロになったのだから羽が生えたようなものか。大差勝ちも当然であろう。昨今の競馬ファンには信じられまい。ちなみに今回の天皇賞のメンバーで前走より負担重量が軽くなる馬はゼロ。人気の一角コントレイルが初めて58キロを背負うというのは、正直意外な気もする。

 

 

***** 2021/10/29 *****

 

 

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2021年10月28日 (木)

1枠白帽

天皇賞に出走するコントレイルが1枠1番を引いた。

GⅠの中でも、もっとも枠順が注目される一戦。人気にも少ならず影響を及ぼすに違いない。グランアレグリア、エフフォーリアを凌いで1番人気を背負うことになるのだろうか。

東京の芝2000mはスタートして100mほど走っただけで2コーナーを迎えるため「外枠不利」が定説となっている。外枠に先行馬が入った場合、騎手とすれば内側に進路を取らざるを得ない。その距離のロスが不利だというのである。ただし、もともと内側にいた馬も進路が狭くなったり、前後の馬と接触する可能性もある。しかもコーナーに入ったところでは、急速にペースが落ちるもの。渋滞を引き起こした馬群の中では、内も外も関係なくアクシデントが起きる。

「外枠不利」は枯れた格言だが、これは下級条件も含めた話。「総じて」のエクスキューズを忘れてはならない。シンボリクリスエスは大外18番枠から連覇を成し遂げた。逆に1枠1番の優勝となると本日種牡馬引退が報じられたメイショウサムソンまで遡らなければならない。

とはいえ、コントレイルにはまた別の事情がある。

「ウチは白帽に縁がある。大丈夫」

私の隣に立っていた男性が呟いた独り言は今も忘れぬ。2013年の日本ダービーのパドックでのこと。その視線の先には1枠白帽を被った武豊騎手とキズナの姿があった。その男性はノースヒルズの関係者だった。

ノースヒルズの勝負服がGⅠを勝ったシーンを思い出すと、たしかに白帽であることが多い。

ノーリーズンの皐月賞に、

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ヘヴンリーロマンスの天皇賞(秋)に、

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そしてキズナの日本ダービー。

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さらにはアーネストリーの宝塚記念、ビリーヴの高松宮記念、ビートブラックの天皇賞(春)、そしてキズナのお姉さんファレノプシスがエリザベス女王杯を勝った時も1枠白帽だった。

逆に言えば、大のおとなが縁にすがり、ゲン担ぎに一喜一憂するほど、GⅠの舞台は厳しいということ。完璧の仕上げで、完璧なレースをしても、それだけでGⅠは勝てない。なぜか。ほかの馬も同じように死力を尽くすからである。だから「運」の出番となる。勝敗が運に左右されるのだとしたら、ほんのわずかでも運を味方につけたい。そういう意味でコントレイルは一歩リードだ。

 

 

*****2021/10/28 *****

 

 

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2021年10月26日 (火)

左回り始めました

大井競馬場初となる左回りのレースを11月19日に実施すると発表した。同競馬場では右回りだけでレースが行われてきたが、これにより大井競馬場は「右回りコース」から「左右両回りコース」に変貌を遂げることとなる。

左回りが実施されるのは当日の最終12レースに組まれた大井所属馬限定のB2・B3特別。距離は1650m。フルゲートは12頭と少ない。スタート地点は今の200mハロン棒付近で、出走人馬は4コーナーに向かってスタート。外回りコースを左回りに走り、3コーナー、向こう正面、2コーナー、1コーナーと通過。Lウイング前から直線の攻防が始まり、4号スタンド付近に設置された左回り専用のゴールを目指すことになる。つまり左回りレースのときはゴール板は移動。決勝審判もカメラマンもそれに合わせて移動することになる。検量室はこれまで通りだから、レースが終わってから皆ぞろぞろと検量室やウイナーズサークルに戻るのであろうか。現場にいた人間としてはちょっと面倒くさい。

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公式サイトには「現在において世界の競馬場の中で唯一の取組み」と下線付きで紹介されているが、「現在において」と断っているのにはわけがある。実は1983年までJRAにもスイッチコースは存在した。それがJRAの総本山たる東京競馬場だと聞けば驚く人も多いのではないか。

かつて東京競馬場の芝の1000m、1100m、1200m、およびダートの1000m、1100mは、右回りコースで行われていた。馬たちは向こう正面から2コーナーに向かってスタートを切り、1コーナーを右に回ってゴールを目指していたのである。

1962年のダービー馬・フェアーウインは東京コースで7戦して(4,1,2,0)と着外がない。これは典型的なサウスポーではないか―――と思ってよくよく見れば、そのうち3戦(1,1,1,0)は右回りコースでの成績だったりする。中山でも4勝を挙げていることを考えれば、むしろ得意なのは右回りだったのかもしれない。

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そう思うと、「大井が得意」と言ってもそれが右回りか左回りかで馬券作戦も変わってきそうだ。競馬専門紙の方には頭の痛い問題かもしれない。カメラマンの問題も含め、「まずはやってみて」という部分も多いようだ。そもそもコストメリットもはっきりしない。それを承知で取り組めるのも、ナイター競馬や帽色などの導入に先鞭を付けた大井ならではであろう。遠く離れた大阪からではあるが、温かい目で行方を見守りたい。

 

 

***** 2021/10/26 *****

 

 

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2021年10月25日 (月)

しんがりからの巻き返し

プロ野球ペナントレースはいよいよ大詰め。セ・リーグのヤクルト、パ・リーグのオリックス。今日の対戦を終えた時点で首位に立っているのはいずれも昨年最下位に沈んだチームだ。優勝するにせよしないにせよ、ペナントレースを盛り上げた時点でヤクルトとオリックスの貢献は賞賛されるべきであろう。両チームとも見事な変わり身としか言いようがない。

プロ野球では前年最下位からの大逆転優勝が7例あるそうだ。最近では2015年のヤクルトが達成。その前は2001年の近鉄。だが、両リーグ揃ってとなると過去に例がないという。今年は史上初の珍事が起きるかもしれない。

競馬でも前走しんがり負けからの巻き返しの例はある。あるにはあるが、やはり数は少ない。旧八大競走に限ればわずか5例に限られる。

1955年の桜花賞馬ヤシマベルは道悪が苦手だった。不良馬場の前走でしんがり負けを喫した直後の桜花賞は稍重馬場。それでもヒロイチ以下に完勝だから、調子さえ良ければ多少の馬場条件は克服できるるという好例であろう。前走しんがり負けながら3番人気に推したファンの眼力も鋭い。

同じオーナーの所有馬で1948年のオークスを制したヤシマヒメも、しんがり負けから戴冠を果たしている。もっとも最下位に敗れたと言っても3頭立ての3着。本番も6頭立てとなれば参考外か。

一方で1962年のオークスを制したオーハヤブサは12頭立ての最下位からの巻き返したった。ゲートに難があり、好走と凡走の振幅が激しいタイプだったとされる。

あとは天皇賞のカブトシローとプリティキャストの2頭。前者は希代のムラ馬として歴史に名を残す存在であり、後者も大逃げを得意としていたせいで、レースごとの明暗が分かれるタイプだった。

ただしプリティキャストに関して言えば、彼女が世界的名牝血統であったことは見逃せない。先に紹介したオーハヤブサも皐月賞馬のケゴンや、朝日杯3歳S馬を勝ったマツカゼオーを兄に持つ良血だった。しんがり負けからの巻き返し優勝に繋がるファクターのひとつとして、「良血の覚醒」をあげておきたい。

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今週の天皇賞に出走するラストドラフトは、前走の毎日王冠でしんがり負けを喫したが、母に桜花賞馬マルセリーナを持つ良血馬でもある。大混戦のプロ野球にあやかっての巻き返しは、果たしてあるだろうか。

 

 

***** 2021/10/25 *****

 

 

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2021年10月24日 (日)

セイウンスカイの再来

「セイウンスカイみたいだったな」

タイトルホルダーが後続を5馬身も引き離してゴールを果たし、ひと呼吸おいて繰り広げられた激しい2着争いを見届けた直後のことである。ステラヴェローチェの4着を確認して、がっくり肩を落とす私の背後からベテランファンの声が聞こえてきた。

京都競馬場と阪神競馬場の違いこそあれ、菊花賞を逃げ切ったのは1998年のセイウンスカイ以来のこと。横山典弘騎手の天才的な逃げ切りを23年ぶりに再現したのがその息子・武史騎手だったことは奇縁か、それとも必然か。いまになって思えば必然だったように思えてならない。それほどタイトルホルダーのレースぶりも、そしてその後のガッツポーズも、すべてが父・典弘騎手に重なって見えた。

両者の1000mごとのラップを比較してみるとこうなる。

セイウンスカイ  59秒6-64秒3-59秒3=3分3秒2
タイトルホルダー 60秒0-65秒4-59秒2=3分4秒6

武史騎手はセイウンスカイの菊花賞も参考にしていたと明かしたが、たとえ意識していたとしてもここまで酷似させることは簡単ではなかろう。セイウンスカイを上回る5馬身という着差は、中間の5ハロンに1秒以上のゆとりがあったせいか。レース中盤にラップが落ち着いたとき、他の有力馬が動かなかったのはなぜだろうか。阪神での菊花賞が42年ぶりであることはたしかだが、阪神3000mのレースが42年ぶりだったわけではない。なのにほかの騎手たちはまるで金縛りにでもあったかの如く動かなかった。そこが騎手のマジックなのである。今後は長距離戦での武史騎手から目が離せそうにない。

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この夏急逝した父ドゥラメンテに捧げるGⅠ勝利―――。

それは間違いない。だが、タイトルホルダーの無尽蔵にも思えるスタミナを見せつけられると、どうしても母系の方にも目が行ってしまう。モティヴェーター、シャーリーハイツ、ビーマイゲスト。母系には欧州のスタミナ豊かな血脈が次々と注ぎ込まれている。鞍上さえも驚いた心肺機能の強さは母系に秘められているように思えてならない。

そういう意味では31日の阪神9レースに予定されている古都ステークスにも注目だ。芝3000mで行われる準オープンのハンデ戦。そこにあのメロディーレーンが登録してきた。母はタイトルホルダーと同じメーヴェ。菊花賞馬の姉として菊花賞と同じ舞台に挑む。注目しよう。

 

 

***** 2021/10/24 *****

 

 

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2021年10月23日 (土)

バゴの不思議

かつては事あるごとに「菊花賞不要論」みたいなことを書き連ねていたけど、最近は考えが変わってきた気がする。騎手の技量にも注目できるし、ゆったり流れる3000mは風情があるし、何より真剣に血統を考える稀少な一戦である。距離実績が白紙の状態で3000mを予想するとなれば、どうしても血統に頼らざるを得ない。そういうGⅠが年に一回くらいはあっても良いじゃないか。トシのせいか私も丸くなった。

今年で言えば、やはりバゴについて考えることになる。言わずと知れた2004年の凱旋門賞馬。日本で種牡馬入りしていきなり菊花賞馬ビッグウィークを出すと、グランプリ3連覇クロノジェネシスの父にもなった。そのせいかバゴ自身も長距離や力のいる馬場を得意にしていたかのような印象を持たれるかもしれないが、実はそうでもない。

全8勝中4勝までが1600m。あとは1800m、2000m、2100m,2400mが1勝ずつ。1800mのジャンプラ賞は稍重ながら1分46秒6の好時計で3馬身差の独走だった。成績だけ見れば「ある程度距離をこなすマイラー」という見方もできる。私としては凱旋門賞馬というより「凱旋門賞も勝った馬」という印象が強い。

その母系を見れば、母の父はスピード系のヌレイエフ。祖母クードジェニは種牡馬マキアヴェリアン(その父ミスタープロスペクター)の全妹になる。レコードで函館2歳Sを制したクリスマスや、ファルコンSを勝ったタガノアザガルに伝わったスピードの源はここにあろう。

しかし父系を見ればまた違った印象が沸いてくるから不思議だ。

父ナシュワンは1989年の英ダービー馬であり、さらにその父ブラッシンググルームは1985年の凱旋門賞馬レインボウクエストの父でもある。初めての3000mで覚醒したビッグウィークのスタミナも、稍重の宝塚記念を6馬身差で圧勝したクロノジェネシスの力強さも、こうした欧州父系の影響が強く出ているように思えてならない。おそらくステラヴェローチェもこちらの部類であろう。

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ビッグウィークにせよクロノジェネシスにせよ、大成したのは3歳の秋。バゴ自身も3歳秋に凱旋門賞を制した。ステラヴェローチェも同じであると信じたい。戴冠への障壁があるとすれば私が本命に推すこと。それだけだ。

 

 

***** 2021/10/23 *****

 

 

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2021年10月22日 (金)

そのきんナイターまもなく終了

ここのところ急に寒くなったと思ったら、金曜日に行われている園田のナイター開催も来週で終わりだという。しかも今宵のレースには、牝馬ながら今年の佐賀3冠を制したトゥルスウィーが出走。これはこの目で見届けなければなるまい。寒風をものともせず園田に向かった。

兵庫クイーンカップは西日本交流の古馬牝馬による一戦。なのに重賞5勝の地元ステラモナークが補欠で除外だという。このあたりのルールに園田初心者の私はまだ馴染めない。摂津盃を除外されたハナブサの件もしかり。園田の「格付け」はポイント制で頻繁に見直しが行われている。これはこれで実力伯仲の面白い番組を提供するための努力なのだが、必ずしも強さのランキングを反映しているわけではない。チャンピオン決定戦たる重賞レースに実力伯仲は不要であろう。ならばシンプルに強い馬が出るべき。トライアルの制度があっても良い。

フルゲート頭数が12頭と少ないところに多くの遠征馬を呼べば、ワリを食うのは地元馬である。そう思うのは園田の交流戦で地元馬の弱さが際立つから。兵庫サマークイーン賞、園田プリンセスカップ、兵庫ゴールドカップ。最近私が観戦した交流戦はみな遠征馬が勝った。せっかく園田をホームとする土地に移り住んだのに、地元馬が遠征馬に打ちのめされてばかりでは私としても切ない。

今日も佐賀から3頭、高知から1頭、名古屋から1頭の計5頭が遠征。レースでは、そのうちの名古屋の1頭シーフェアリーが4角先頭から押し切った。最後は詰め寄られたが、早め先頭から粘り込む作戦はいつも通り。同じ舞台で行われた兵庫サマークイーン賞に続く2つめの重賞タイトル。よほど園田1700mが合うのであろう。

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もともとはG1レーシングの勝負服でJRAデビューした素質馬である。ところがJRAでは15戦で未勝利に終わった。昨年2月の楽天サラブレッドオークションにて211万円で落札され名古屋へ。そこからわずか1年8か月で重賞2勝、獲得賞金1932万円の活躍は立派の一言に尽きよう。ただ、G1サラブレッドクラブの出資会員さんの心境は少々複雑かもしれない。

園田のナイター開催も来週金曜日を残すのみ。今日も屋外観戦は正直辛かった。先週は上着がいらない陽気だったのに、今日はコート姿のお客さんもちらほら。着実に冬が近づいている。

 

 

***** 2021/10/22 *****

 

 

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2021年10月21日 (木)

狐と狸の化かし合い

急な休みが転がり込んだ。

嬉しくはない。なぜか。明日以降11月3日まで休みがない。それに備えて休めるときに休んでおけ、ということ。ならば名古屋にでも行ってやれ。うまい具合に重賞・ゴールド争覇が行われる。えいやとばかりに新快速に飛び乗ったら、ほどなくしてメールの着信音が鳴った。

仕事場でトラブルが起きているという。「ならば上がろうか」と送ったら「そこまでではない」と返ってきた。「なら、このあとも上がる必要はないのか?」と聞くと「それは分からない」という。ふんじゃ、どうすりゃ良いのか。ラチが開かないので、結局京都で電車を降りた。とりあえず京都駅近辺をぶらぶらしていよう。いざとなれば新大阪までたったの15分だ。

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東寺は「新幹線の駅にもっとも近い世界遺産」ではなかろうか。いつも車窓から五重塔を眺めるだけで、境内に足を踏み入れたことはない。それでいざ行ってみたら、なんと縁日が行われていた。コロナ禍以降、こういう雰囲気を味わうのは久しぶり。だが油断は禁物だ。新型コロナは1週間もあれば我々の生活の様相を一変させてしまう。

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1週間で一変したのは陽気も同じ。先週貴船神社を訪れた日の京都の最高気温は28.2度の夏日。私の服装はデニムにTシャツ1枚で、日向に立つとくらくらするほど暑かった。あれから1週間も経たずして、今日の京都は17.3度だったという。夏から秋を飛ばして一気に冬に突入。年を追うごとに秋が短くなっている気がしてならない。競馬だけは「秋」を守ってくれるだろうか。

九条界隈を歩くうち「うどん」の暖簾を見つけた。

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いわゆる「昭和の食堂」の風貌。京都駅近くの路地裏で営業を続けているということは、味の裏打ちがあればこそであろう。席に着くなり、変わったメニューを見つけた。

「たぬきうどん」はうどんにたっぷりの天かす。東京で生まれ育った私とってはそれが常識だ。しかし大阪で「たぬき」と言えば、それは暖かいそばにお揚げが乗った一杯を指す。東京の「きつねそば」が大阪では「たぬき」。つまり大阪に「たぬきうどん」は存在しない。

しかしここ京都には「たぬきうどん」というメニューがある。ためしに頼んでみたら。こんな一杯が運ばれてきた。

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うどんに刻みの油揚げの甘煮、そして九条ネギの斜め切りを散らした上からトロリとしたあんをかけてある。麺は柔らかく細めの京風。大阪の「たぬき」とも、東京の「たぬき」とも違う。しかし、今日のような陽気の日に食べるにはもってこいであろう。

「たぬき」の名の由来は「きつねがドロンと化けた」から。つまり、揚げを載せたきつねうどんにドロンとしたあんをかけたからだという。祇園のお茶屋に夜食を運ぶ出前の習慣がこの「たぬき」を生んだという説もあるらしい。あんをかけることで底冷えする京都の冬でも冷めにくい。たかだかうどん一杯でも、京都にはいろいろな風説がはびこる。1200年の歴史の為せる業であろう。

結局、名古屋行きは諦めた。行けずじまいのゴールド争覇は高知のダノングッドが3馬身差の快勝。地元にはスペルマロンという目の上のたんこぶがいるだけに、遠征に対する力の入れ方も他の遠征馬とは違っていたか。そういう意味では私自身も名古屋遠征に対してあまり力を入れていなかったかもしれない。反省しよう。

 

 

***** 2021/10/21 *****

 

 

 

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2021年10月19日 (火)

危険な香り

「決めた! おれはソダシ買わん!」

先週土曜の夜。天満の居酒屋にひときわ大きな声が響いた。私を含めた競馬好き3名が集まっての小宴。当然ながら翌日に控えた秋華賞が話題の中心となる。

阪神で行われることのポイントは? トライアルのレベルは? 芝コースの状態は? なぜルメールはファインルージュを選んだのか?―――等々。喧喧囂囂の激論の末に最年長の参加者が叫んだのが冒頭のセリフである。しかも「でもキミはソダシ買いや」と言い出したりするから始末が悪い。

良くも悪くもソダシ中心の秋華賞だった。人気もソダシ。新聞の一面を飾るのもソダシ。ペースを握るのもソダシである。ただ、多くの穴党は「ソダシから人気薄を狙う」ではなく「ソダシを切る」という決断をしたのではないか。終わってみれば売れたのは単勝ばかりだったような気もする。

逃げたエイシンヒテンの1000m通過は61秒2のスローペース。ソダシは2番手を追走している。それを見た背後の客は「こりゃソダシのもんや」と呟いた。だが、いつもならそこから掛かり気味に先頭に並びかけるいつもの勢いがない。

4コーナーで吉田隼人騎手の手が激しく動く。異変を察した客がざわめく間もなくソダシは馬群に呑まれた。後半の1000mは1分ちょうどだから瞬発力勝負になったわけではない。実際エイシンヒテンは4着に粘っている。勝ったアカイトリノムスメも、2着ファインルージュも上がりは35秒台を要した。GⅠにしては極めて平凡な時計を思えば、ソダシは「失速した」のではなく「競馬をやめた」という表現の方が近い。

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見る者を虜にするその神秘的な馬体には、実はずっと前から危険な香りが漂っていた。この白毛一族はゲート難であることが珍しくない。思えばブチコの引退理由も「ゲート難」だった。秋華賞のゲートではソダシも先入れ。ただ、それ以前に待避所から動こうとしなかった。そのときからゲートを嫌がっていたのかもしれない。ゲートに入れられた時点で彼女の中で何かが切れてしまっていた可能性もある。

もちろん大本命馬が負ける理由はひとつとは限らない。あの日を境に急に冷え込んだ陽気も、吹きすさぶ六甲おろしも、パドックで自分だけに向けられるカメラのレンズも、どれも彼女にとっては気に入らなかったのかもしれない。馬に聞いてみなければ分からないことはたくさんある。むろんそこが競馬の面白さのひとつであることは言うまでもない。

それにしても冒頭で「ソダシ買わん!」と言い切った馬券師の慧眼は見事だ。ただし「アカイトリノムスメもいらん!」と続けてしまったのは余計。それでも楽しい酒だったことに違いはない。翌日にGⅠを控えた夜の競馬談義のなんと楽しいことか。それを久しぶりに実感した。大阪に来て10か月余り。翌日の馬券の結果はともかく、いちばん楽しい夜になったことは確かだ。酒の肴は競馬の話に限る。

 

 

***** 2021/10/19 *****

 

 

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2021年10月18日 (月)

貴船神社へ

過日、好天に誘われて貴船神社を訪ねてみた。

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目的は参拝だけではない。実は叡山電車に乗ってみたいのである。昨年7月に発生した土砂崩れの影響で長らく一部区間で不通となっていたのが、先月ようやく全線で運転再開の運びとなったらしい。紅葉シーズン前の今ならまだ空いているはずだ。

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出町柳から2両編成の電車に乗り込で、車内の路線図を眺めた。一乗寺、修学院、宝ケ池、八瀬、比叡、岩倉、貴船、鞍馬。知っている地名がたくさん並んでいる。訪れたことはない。それでも知っているのは、JRAのレース名で馴染みがあるから。全17駅でありながらこれほどの頻度でレース名に登場する叡山電車は凄い。田園都市線なんて、27駅のうち駅名がレース名に登場するのは「高津」のひとつだけですよ。それもJRAではなく川崎競馬の「高津オープン」でしかない。

修学院ステークスはエリザベス女王杯のひとつ前に行われる名物レース。宝ケ池特別はダイタクヤマトやエイシンデピュティが勝った出世レース。聞き覚えのある駅に停まるたび、レースの思い出がよみがえる。降り立ったのは貴船口。貴船ステークスと言えばサウスヴィグラスがダート1200mで後続を5馬身千切った2000年の一戦が忘れがたい。

Uma

貴船神社にも馬がいた。ただし銅像。元来「水の神様」をお祀りする貴船神社には、歴代の天皇が長雨をおさめたい時には白馬を、逆に雨乞いの時には黒馬を奉納して、祈願していた。時には生きた馬の代わりに板立馬が奉納されることもあり、それが現在の「絵馬」の原型になったと言われている。

Ema

境内を見渡せばたくさんの絵馬にたくさんの願い事が記されている。かつて和泉式部は別れた夫との復縁を、平実重は朝廷内での昇進を、源義経は源氏再興の願いを絵馬に託した。加茂競馬での必勝を祈願した大宮人もいたというから、私が愛馬の必勝を祈願してもおかしうはあるまい。ならば500円を奮発してブランディング号の桜花賞出走を願おう。いまは年明け1月のトライアルに向けて英気を養っている。神様、どうかよろしくお願いします。

 

 

***** 2021/10/18 *****

 

 

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2021年10月17日 (日)

馬主冥利に尽きるとは

今から19年前。ファンタジーSを控えた栗東トレセンに、見慣れない関東馬のゼッケンを付けた栗毛馬の姿があった。

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坂路を軽快に駆け上がっていたその2歳牝馬は、美浦・国枝厩舎所属の外国産馬ソルティビッド。オーナーは金子真人氏である。のちにすっかり普通の光景になる”栗東留学”だが、国枝厩舎では既にこの当時から積極的に行われていた。

ソルティビッドはファンタジーSでは5着に敗れてしまうものの、フェアリーSで2着したあと、年明けの菜の花賞で3勝目を挙げる。だが、当時は外国産馬が桜花賞に出走することは認められていなかった。同期の牝馬たちが桜戦線に向かうのを横目に見ながら、ソルティビッドは泣く泣く牡馬を相手にスプリント路線を歩むことを強いられる。その理不尽なルールにすっかりモチベーションが下がってしまったのだろう。その後はまったく精彩を欠いた走りを続け、4歳3月のオーシャンSで14着に敗れたのを最後に繁殖生活に入った。

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現役引退から3年後の2007年。ソルティビッドはキングカメハメハの牝馬を出産する。ハワイに生息する赤い鳥を意味する「アパパネ」と名付けられた彼女は、母と同じ金子真人氏の勝負服で、母と同じ国枝厩舎に所属し、そして、母と同じように栗東で調整を続けて牝馬3冠を制した。母の無念を思えばクラシック制覇の感慨はひとしおだったに違いない。さらに、金子氏にしてみれば、父キングカメハメハもかつての自己所有馬である。キングカメハメハ産駒初のクラシック制覇を自らの所有馬同士の配合で実現したのだから、馬主としてこれにまさる栄誉はあるまい。馬主冥利に尽きよう。

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その後、アパパネはヴィクトリアマイルでブエナビスタを破るなどして2012年の安田記念を最後に現役を引退。以後一貫してディープインパクトを配合され続け、2018年に自身初めてとなる牝馬を産んだ。もちろん国枝厩舎所属で金子オーナーの勝負服。それが今日の秋華賞を制したアカイトリノムスメである。

Akai

父ディープインパクト、母アパパネ、母の父キングカメハメハ、母の母ソルティビッド。アカイトリノムスメの血統表には金子オーナーの所有馬の名前が並ぶ。

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自己所有の牝馬に自己所有のダービー馬を配合して生まれた3冠牝馬に自己所有の3冠馬を配合。そこから誕生した産駒がまたGⅠを勝つ。ダビスタでも簡単には出現しないような出来事を現実にやってのけた金子オーナーの、なんと素晴らしいことか。

そもそも個人オーナーの秋華賞3頭出しだって相当な快挙である。ソダシが負けてもあっさり別の快挙を成し遂げてしまった。その凄さを形容する言葉も見つからない。「馬主冥利に尽きる」という言葉は、本来はこれくらいのことを言うときに使うべきなのだろうか。だとしたら、私は今までずいぶんと間違った使い方をしてきたのかもしれない。

 

 

***** 2021/10/17 *****

 

 

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2021年10月16日 (土)

ゴミ馬券

大阪は秋晴れ。ただし予報は夏日。しかも夜は雨だという。ならば散歩は早い方が良い。自宅前の堺町筋を道頓堀目指して歩く。難波橋を渡って、北浜を通り抜け、堺筋本町で朝から営業しているうどん屋さんを見つけた。

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「Udon Kyutaro (うどん・キュータロー)」は讃岐の名店で修行した店主が4年前にこの地に開店。一見してうどん屋に見えない外見も、朝営業というスタイルも、コシとエッジの麺の打ち方も、どれも大阪のうどん文化とは大きく異なる。それでも店内は満席。しっかり受け入れられている証拠であろう。

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と、ここで意外なカミングアウトをするが、今日10月16日は筆者の誕生日だったりする。今日で53歳。ならば多少の贅沢は許されよう。それで天ぷらを3つも取ってしまった。米ナス、高知産ししとう、香川産のちくわ。彩りも良く1個100円均一。これくらいの贅沢なら許されよう。どれも出色の美味さ。もちろんうどんも美味い。

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店を出てさらに歩く。道頓堀を渡って、たどり着いた先はこちら。

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まあ、いつものことですわ。

ただし、買う馬券はいつもと異なる。誕生日にJRA開催があるのも何かの縁であろうから、年齢にちなむ馬券を買いたい。ならば全レースの馬単5→3を買ってやろう。でも裏目で悔しい思いをしたくないから馬連3-5にしようか。いや、いっそのことワイドか。いやいや、そもそもこういうケントク買いの基本は枠連だよなぁ。などとしょうもないことで悩んだりしたが、まあ結局は馬単にしました。それにしても36枚のマークカードを塗る作業というのはたいへんですね。ようやく塗り終えて券売機に入れたら、読み取りの途中で「いったん投票券を受け取りください」とか言って、競馬粋から馬券の束が吐き出された。こんなの初めて。53年生きてても知らないことはまだたくさんある。

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帰宅してグリーンチャンネルを観る。阪神8レースで⑤ニューフロンティアが逃げて、③チェックメイトが2番手のまま残り1ハロンまで粘った時は思わず声が出た。当たり前の話だが、そんなに都合よく5→3にはならない。「あ~、73歳だったら当たってたぁ」なんて呟くうち、目の前に並べた馬単5→3馬券は、次々と「ゴミ(53)馬券」へと姿を変えていく。

3番と5番が上位人気だと「おっ! これは期待できるかな?」と思ったりするけど、よく考えたら堅い馬券が当たったところで意味はないのである。人気薄でこその企画なのに、「当たりたい」という気持ちが勝るようではダメ。53歳になるというのに、そういうところの成長がない。

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「中村屋」で仕入れた1個80円のコロッケをかじりながら、10分おきに発走するレースをのんびり眺める。予想に追われる競馬も楽しいが、こういうのんびりした競馬も良いですね。最終的に36枚の馬券は文字通り「ゴミ馬券」と化した。しかし、こういうささやな幸せを噛みしめる一日というのも誕生日としては悪くない。

夜は関西在住の競馬仲間が私の誕生日を祝ってくれるという。―――というのは冗談で明日の秋華賞大予想会。果たしてソダシ1強の構図は正しいのか。私はスルーセブンシーズとアナザーリリックが気になって仕方ない。ではこれより私の生誕祭会場に向かうことにする。

 

 

***** 2021/10/16 *****

 

 

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2021年10月15日 (金)

競馬場の声

1番人気のコパノフィーリングがスタートで躓くと場内から驚きと悲鳴が入り混じったような大きな声が上がった。

場内での飲食は解禁されたが、大声を出しての観戦は相変わらず控えるよう呼びかけられている。それでも9月に比べると、明らかな叫び声も聞こえるようになってきた。今日発表された大阪府の新型コロナ新規感染者数は65人。日曜、月曜以外で2桁に収まったのは久しぶりだ。ともあれ、許されるか許されないかは別として、競馬場に徐々に「声」が戻っていることは感覚的に間違いない。感染状況が観戦スタイルをも変えている。

躓いて出遅れたコパノフィーリングだが、そこからが速い。50mも走らぬ間に2番手から先頭をうかがう勢いの愛馬を鞍上は必死になだめている。それでも3コーナーの手前で勝利を確信したかのように先頭へ。そのままゴールまで押し切った。2着との着差は3馬身半。スプリント戦では「大差」と言っていい。力の違いを見せつけて、習志野きらっとスプリントに次ぐ2つめの重賞制覇を果たした。

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帰りのバスは空いていた。先月までと異なり、最終レースまでの滞在が認められているせいか。これはこれで助かる。

「今のレース2着何やった?」

私の隣に座った見知らぬおじさんが話しかけてきた。

「んーと……①ですね」

「なんや、リーディングやないか。あかんなぁ。おもろくもなんもないやんか」

言われて気づいた。1着コパノフィーリングの森泰斗騎手は全国リーディング1位、2着メイプルグレイト吉村智洋騎手は兵庫リーディング1位で全国リーディングは森騎手に次ぐ2位につけている。なるほど、それで馬単1360円なら悪くない。それにしても、こんなおじさんでもちゃんと森泰斗騎手のことを知っていることに驚いた。

「昨日も2つ勝っとったやろ。それがわざわざ来るんやから、勝つわけや。もう、かなわんな」

おじさんの話は園田駅まで止まらなかった。園田のバスで話しかけられたのは初めて。これもマインドの変化の現れか。あるいはこれまでがたまたまだったのか。来週の兵庫クイーンカップでも検証を続けよう。園田での定点観測は続く。

 

 

***** 2021/10/15 *****

 

 

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2021年10月12日 (火)

仁淀ブルー

「ニヨドブルー」という言葉を初めて聞いたとき、それを馬の名前と勘違いしたことを思い出した。場所が東京競馬場だったせいもあろう。とあるオーナーが「高知に行ったら仁淀ブルーを見なきゃダメだよ」とおっしゃった。それをてっきり「高知競馬ではニヨドブルーという馬が活躍している」と解釈してしまったのである。もう10年近く昔の話だ。

アンパンマン号に揺られて高知を訪れた先日、ようやくオーナーの言葉を実践することができた。訪れたのは高知市のお隣「いの町」。私の世代なら春の選抜で旋風を巻き起こした伊野商業で有名。眼鏡のエース・渡辺智男投手とPL清原和博との対決は忘れがたい。最近は映画「竜とそばかすの姫」の舞台であろう。町内のあちらこちらに映画のポスターが貼ってある。

仁淀川は西日本最高峰・石鎚山に端を発し、124キロを旅して太平洋に注ぐ。その水は驚くべき清らかさであり、水量は驚くほど豊富だ。車窓から川面を見た瞬間、私は思わず息をのんだ。

車で沈下橋を渡る。「竜とそばかすの姫」にも重要なシーンとして沈下橋が登場するが、ここはそのモデルとなった橋ではない。仁淀川最下流に架かる「名越屋沈下橋」という橋。仁淀川の沈下橋では最も長い全長191mを誇るとのこと。なるほど長い。欄干がないから、ハンドル操作をひとつ間違えれば車ごとドボン。そんな想像が頭から離れない。ハンドルを握る手から汗が吹き出る。

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河原に降りると川はまた表情を変えた。川底まで見える透明な水に、ときおり魚影がキラリと光る。聞こえてくるのは水の流れる音だけ。しばし時を忘れる。

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「仁淀ブルー」の名付け親は、写真家の高橋宣之さんという方らしい。さすがは光を切り取る専門家だ。実際にこの川を見れば、その「青」が特別な存在であることを痛感する。澄んだ青空と周囲の山々の緑を映し出す仁淀ブルーは、なるほど他の「青」とは明らかに一線を画す。

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仁淀川のような美しい川は、かつて全国各地にあったに違いない。だが、そのほとんどは人類の歴史と共に失われた。だからこそ我々はこうした清流に懐かしさや安らぎを覚える。私もすっかり邪念が洗い流されたようだ。ではこれより、失われた邪念を取り戻すべく、高知競馬場に向かうとしよう。仁淀ブルーも準重賞・仁淀川特別も、私としてはどちらも大事にしていきたい。

 

 

***** 2021/10/12 *****

 

 

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2021年10月10日 (日)

GⅠ馬の日

阪神競馬場で京都大賞典の発走を待っていたら、東京競馬場の中継モニタからGⅠレースの本馬場入場曲「グレート・エクウス・マーチ」が聞こえてきてひっくり勝った。

今週はGⅠは行われない。京都大賞典と毎日王冠というGⅡの中でも格上のレースが行われる日として、むしろ「GⅡの日」という意識を強く持っている。そこにGⅠの入場曲が流れてくれば驚くのも無理はなかろう。もちろんJRAが選曲を間違ったわけではない。先日亡くなった作曲家すぎやまこういちさんを偲ぶJRAの粋な演出。しかし私は馬券のことしか考えぬ不届きものであるから、「グレート・エクウス・マーチ」を聞きながらこう思った。

「今日はGⅠ馬が勝つってコトだ」

結果的にその読みは間違っていなかった。だが、そのひらめきを毎日王冠だけに適用した私はまだまだ甘い。シュネルマイスターとダノンキングリーの単勝馬券を買っただけで満足してしまったのである。ああ、オレのバカバカ。

席に戻って「はっ!」と気づいたが、時すでに遅し。毎日王冠を勝ったシュネルマイスターの単勝配当は260円。対して目の前で京都大賞典を勝ったマカヒキは3210円である。ダービー優勝後の単勝配当としては、過去最高額ではあるまいか。逃した魚はデカい。劇的な勝利を挙げたマカヒキを賞賛する拍手が鳴りやまぬ中、私は机に突っ伏してシクシク泣いていた。

一部にはダービー馬が8歳秋になってなお現役を続けていることへの賛否があるようだが、現役続行も現役引退するのも陣営が決めること。外からとやかく言うものではない。今日の勝利はそういった声に一石を投じたのではないか。そもそも年齢は重ねていいるとはいえ、ダービー以降の出走回数は今日の京都大賞典を含めて19戦に留まる。6歳3月に引退したウオッカはダービー後に20戦を積み重ねていた。年齢だけで物事を図るのは良くない。トシを取ると切実にそう思うようになる。

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そういう意味ではマカヒキの単勝に3210円という配当を付けてしまった多くの競馬ファンは、反省の余地があろう。むろん私もそのひとり。マカヒキのGⅡ出走はおととしの京都記念以来。そのときはクビ+クビ差の3着だったからたいして負けてない。ダービー馬ともなれば自ずと使えるレースも限られるものだが、今日のレースを含め芝2400mに限れば①①⑭④④⑨①着。大きく負けたのは凱旋門賞⑭着と半年の休み明けだった昨年のジャパンカップ⑨着だけ。4年連続の出走となるであろう来月のジャパンカップが、今から楽しみだ。

 

 

***** 2021/10/10 *****

 

 

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2021年10月 9日 (土)

1億円ホース誕生

まさかの屈辱である。

高知に向かうため岡山駅で新幹線から在来線に乗り換えた。特急「南風3号」。土曜の朝なので混んでいるかもしれない。その程度の心配はしていた。だからしっかりと指定席を確保。高知までの2時間半は爆睡してやろう。そんな目論見はこの車両を目にした途端、脆くも崩れた。

なぬ?  コレに乗れと?

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どうかホームで戸惑う52歳の姿を想像して欲しい。スーツにネクタイの出張スタイルの中年オヤジが今からコレに乗るのである。周りは家族連れだらけ。車内アナウンスはもちろんアンパンマンの声。駅に近づく度に戸田恵子さんの声に起こされ、駅に止まる度にホームからカメラを向けられる始末。とても寝られる状況ではない。しかしそのおかげで、土讃線の美しい車窓の景色をしっかりと目に焼き付けることができた。

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高知でスペルマロンが出走する。重賞11勝で6連勝中の高知最強馬。それが1着賞金たかだか400万の重賞でもないレースに出てくる。なぜそれが注目なのか?

スペルマロンは高知移籍後前走まで高知ばかりで28戦。その獲得賞金は96,345,000円に達した。あと3,655,000円で高知での獲得賞金が1億円の大台に達する。高知だけでの1億円ホース誕生となれば初の快挙。400万の1着賞金は絶妙なのである。

裏を返せば、高知競馬の賞金がそれだけ増額されているということ。大晦日に行われる高知県知事賞で言えば2019年800万→20年1200万→21年1600万。その他の重賞レースの賞金も軒並み倍増している。スペルマロンはその流れに乗っかったに過ぎない。それでも勝つのは立派。賞金がアップすれば、そのぶんJRAや他場からの移籍馬のレベルは上がるからだ。

今日のレースに限れば見所はもうひとつある。今年のクラシック2冠を制したハルノインパクトが初めて古馬に挑戦する。今年の3歳馬のレベルはどうか?  ひょっとしたらスペルマロンより強いのかもしれない。どうしてもお金の話に目が向きがちだが、実はもっと大事なテーマが隠れていたりする。

しかし終わってみれば力の差は歴然としていた。敢然とハナを奪ってペースを握ったハルノインパクトに3コーナーでスペルマロンが並びかけると、直線では突き放す一方。5馬身差で1億円の大台到達に華を添えた。

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賞金増額のペースに歩調を合わせるかなように、スペルマロン自身も強くなってやいないか。かつてはゆったり流れるマイル以上を得意としていたのに、最近では1300m~1400mのスピード勝負にも対応できるようになってきた。7歳にしては珍しいが、高知の環境が彼の新たな能力を引き出したのかもしれない。そう考えれば獲得賞金1億円は誇るべき大記録であろう。この勢いでもっともっと稼いでもらいたい。

 

 

***** 2021/10/9 *****

 

 

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2021年10月 7日 (木)

【追悼抄】すぎやまこういちさんを偲ぶ

先日行われたスプリンターズSでのこと。

スターターが台上で赤旗を振ると、いつものGⅠのファンファーレが鳴り響いた。その音色にすぐ反応したのはは上の娘。「ナマじゃない?」という。その声に呼応するかのようにTV画面がウイナーズサークルの吹奏楽団を映し出した。日本ダービーや有馬記念ならいざ知らず、スプリンターズSでファンファーレの生演奏は珍しい。コロナ禍ならではの特別な計らいだろうか。その時はその程度にしか感じなかった。

人気ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽で知られる作曲家のすぎやまこういちさんの訃報が届いた。90歳。東京五輪開会式の選手入場曲に「序曲:ロトのテーマ」が使用されたことは記憶に新しい。亡くなったのは9月30日だという。ということは、あのスプリンターズS当日には既に天に召されていたことになる。

競馬ファンなら誰もが知る関東地区のGⅠファンファーレ。つまりスプリンターズSの発走直前に光ウィンドオーケストラが奏でたあの曲は、実はすぎやまこういちさんが手がけた曲だ。今にして思えば、いつもと違う響き方をしたような気がする。

すぎやまさんと競馬の関りはファンファーレだけではない。90年代の競馬場内にはミニFM局があって、オリジナル番組「ターフ・サウンズ・ステーション」を放送していた。「TSS」と言った方が通りがよいだろうか。懐かしいですね。

ともあれ、すぎやまさんはその番組のキャスターを務められていたことがある。メジロパーマー、サイレンススズカ、セイウンスカイ。すぎやまさんはとにかく逃げ馬に肩入れすることが多かった。その姿に自身の生き方を投影されていたと聞く。

すぎやまさんは社台レースホースの会員でもあった。その縁で何度かお会いしたことがある。恐れ多いことに私の個展にもおいでくださった。たしかミズカガミをお持ちだったはず。会場でそんな話をした記憶がある。松山康久厩舎のトニービン牝馬。あらためて成績を調べてみると芝で3つも勝っている。ただ、氏が愛し続けた逃げ馬というわけではなかったようだ。

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次に関東でGⅠのファンファーレが流れるのは月末の天皇賞。すぎやまさんが愛してやまなかったサイレンススズカにとっては因縁深い一戦でもある。普段にもましてファンファーレに耳を傾けることにしよう。

 

 

***** 2021/10/7 *****

 

 

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2021年10月 6日 (水)

父子4代の奇跡

スプリンターズSの優勝馬ピクシーナイトが12月の香港スプリントに登録すると音無秀孝調教師から発表があった。晴れて出走の暁となれば香港のファンはどのように迎え入れてくれるのだろうか。生産を伴わず、ほとんどの出走馬がセン馬で占められる香港競馬に馴染んだファンであったとしても、彼の地でGⅠを3勝したモーリスの初年度産駒となればさすがに興味を抱かずにはいられまい。競馬の本質でもある「血」の部分にも注目が集まりそうだ。

その「血」には私も一目置いている。グラスワンダー、スクリーンヒーロー、モーリスの父系は必ずしも日本の主流血脈ではない。それが4代続けてGⅠ制覇の偉業を成し遂げたのだから凄い。

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長い歴史の中でも父系血脈の持続が至難であることに説明の必要はなかろう。一時代を築いた人気の主流父系も、長くて3代ぐらい経つと活力を失い、勢いを得た別のラインに屈し姿を消していく。ヒンドスタン、ネヴァービート、パーソロン、ノーザンテースト。天下無双に思えたサンデーサイレンスから続く父系とて例外ではいられない。

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中でもテスコボーイからサクラユタカオー、サクラバクシンオーと続いて、ショウナンカンプやグランプリボスへと流れゆく父系は貴重だ。1972年の皐月賞馬ランドプリンスに始まり、この夏の小倉記念を勝ったモズナガレボシまでなんと40年間も重賞勝ち馬を送り続けているのである。日本が誇るこのサイアーラインは、ある意味で奇跡的。大事にしたい。

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同じことがグラスワンダー、スクリーンヒーロー、モーリスへと続くサイアーラインにも言えるかもしれない。グラスワンダーは有馬記念連覇のイメージが強いが、実は1400mのGⅡを2勝し朝日杯3歳Sをレコードで優勝したスピード馬。その豊かなスピード能力はスクリーンヒーローを経てマイルGⅠ4勝のモーリスへと受け継がれ、ピクシーナイトに余すところなく伝えられたのであろう。

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香港スプリントは2002年にGⅠに昇格してから今年で19回目となるが、これまで3歳馬の優勝はゼロ。そもそも3歳馬の出走自体が少ない。それも香港競馬の特色のひとつ。ピクシーナイトの挑戦は、そういう意味でも香港のファンに大きな興味の的となるに違いない。

 

 

***** 2021/10/6 *****

 

 

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2021年10月 5日 (火)

ノーベル賞と私

私がノーベル賞をもらったみたいなタイトルを付けてしまったが、もちろん私ごときが選ばれるはずがない。選ばれたのはプリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎さん。日本のノーベル物理学賞受賞は2015年の梶田隆章さん以来6年ぶりになる。真鍋さんはコンピュータによるシミュレーション・モデルを用いた地球気候研究の創始者。二酸化炭素の増加こそが温暖化要因であると予測した人物だ。

競馬ばかりで、ノーベル賞とかシミュレーションなんぞに興味はないやろ!

周囲からはそう思われているかもしれないが、決してそんなことはない。1990年頃、私はノーベル賞関連のフォーラムを取り扱う事務局で働いていたことがある。その数年後には競走馬シミュレーションゲームにどハマりした。ノーベル賞とシミュレーションの日々。私が真鍋さんの快挙に興奮する理由をお分かりいただけるだろうか。今度は「シミュレーション・ゲームとシミュレーション・モデルを一緒にするな」というお叱りが来るかもしれないが、2015年物理学賞の梶田さんが私の学部の先輩であったことも手伝って、最近になってもノーベル賞への興味が薄れることはない。

競馬との関わりで言うなら、梶田さんと同じ2015年に生理学医学賞を受賞した大村智さんであろう。大村さんがゴルフ場で発見した微生物から開発したイベルメクチンは、今年になって新型コロナの特効薬としてにわかに注目を集めたが、もともとは動物用の寄生虫病薬として1979年に発表されたもの。ウマを含む多くの動物に劇的な効果を発揮し、今も馬を扱う多くの現場でイベルメクチンが投与されている。嫌がる馬の口を押さえて無理やり薬を飲み込ませるのは、牧場や乗馬クラブで年に数回行われる一大イベントだ。

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とはいえ、大村さんにしても始めからウマをターゲットにしていたわけではない。人間に使う抗生物質探しは製薬会社が大々的に行っていて競争が激しい。それならと、大村さんは動物向けの薬に目を付けた。そこがミソ。当時、動物薬は人間の使い古しの抗生物質ばかりで、オリジナルな研究はほとんどなかった。いずれ人間にも応用できる。そういう思いがあったであろうことは想像に難くない。

ウマの腸内には回線虫などの寄生虫が生息し、これが原因で疝痛や腸破裂を引き起こし、時に死に至ることもある。そんな症例が近年激減したのはイベルメクチンのおかげ。私などはその業績だけでノーベル賞を差し上げたい。

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明日は化学賞、そして明後日は毎年盛り上がりを見せる文学賞の発表が控える。ブックメーカーのオッズで村上春樹さんが上位人気に推されるのも毎年のこと。凱旋門賞と並び、すっかり10月上旬の恒例イベントになった。

 

 

***** 2021/10/5 *****

 

 

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2021年10月 3日 (日)

予言

「惜しかったのはピクシーナイトである。ラスト50mの爆発的な脚に、極めて高いスプリント能力の片鱗を見た思いがする。内容的には勝ったレシステンシアと互角かそれ以上であろう。福永騎手は「来年はすごい馬になる」と予言したそうだが、その予言は案外早めに現実のものになるかもしれない。」(9月13日付「スプリント戦未勝利馬のワンツーで」より)

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「福永騎手の予言が現実になる」という私の予言が現実になった。今日行われたスプリンターズSでピクシーナイトが優勝。スプリンターズSが秋に行われるようになってから、3歳馬の優勝は過去に一度しかない。ピクシーナイト自身1200m戦では未勝利。意外なことに福永騎手もスプリンターズSは勝ったことがなかった。それでもピクシーナイトを3番人気に推したファンの慧眼は素晴らしい。コッソリ単勝を買い込んでいた私は、家族に「今夜は寿司だぞ!」と宣言した直後に、配当を聞いて愕然とした。とはいえ、家族は既に出かける準備をしている。いまさら「思ったより配当が……」などと言い出せる状況ではない。

向かった先は八雲の「すし独楽」。30年来の付き合いとなる主人に、大阪ではコンビニ弁当三昧だと言ったら「ウソでしょう?」と言われた。嘘ではない。朝と昼はおにぎり2個とコーヒー。夜はお弁当。1日3食はさすがに飽きる。飽きるのだが、新型コロナで店が開いてないのだから仕方ない。驚くことにそれを1か月も続けたら慣れてしまった。慣れると食欲そのものが失せる。こうなると破滅も近い。自分でもヤバいと思っていた。

そういう意味では、ピクシーナイトが勝っていなかったと思うとゾッとする。久しぶりの鮨屋で目が覚めた。しばらくコンビニ弁当の世話にはなるまい。これは予言ではなく決意。

「この先、短距離界を引っ張っていく存在になる馬ですし、国内のみならず、色んな選択肢を考えられる馬だと思います」

福永騎手は新たな予言を披露した。レース直後にジョッキーから海外を示唆する言葉が出るのは珍しい。自身の想像を超える成長を遂げたピクシーナイトへの驚きの念と、とはいえ想像が間違っていなかったことに対する自信が入り混じっている。秋のスプリンターズSで2馬身以上の差を付けて勝ったのは、昨年のグランアレグリアと2006年のテイクオーバーターゲットのみ。この2頭を引き合いに出せば、海外を意識してもおかしくはない。

視線の先にあるのは沙田か、あるいはメイダンか。その前に今夜はパリ・ロンシャンで盛り上がろう。発走まであと5分だ。

 

 

***** 2021/10/3 *****

 

 

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2021年10月 2日 (土)

豆腐の味と馬券の味

俗に通ぶる人ほど講釈を垂れたがる傾向が強い。競馬場においても、パドックの踏み込みがどうとか、血統がこうとか、聞かれもしないのにアレコレ薀蓄を並べたがる手合いの筋がいるが、本当の通はそういうことを他人にひけらかしたりはしないものである。

食事においても然り。特に歳を重ねてから食道楽にハマるのはタチが悪く、ワインの年代やらマグロの産地やら、どうでも良いことをベラベラと喋りたがる。まあ、若干自戒の念も込めつつ筆を進めるが、こういう人物にカウンターの隣に座られたりしたら、もう最悪だ。

ずいぶん昔のことだが、鮨屋のカウンターで(幸い隣ではなかった)、店主に向かってこんな話をしている客に出くわしたことがある。

「実は豆腐というのは昔は“納豆”と呼ばれていて、納豆が“豆腐”って呼ばれてたんだよ。だって、豆を腐らせたら納豆になるし、豆を型に納めたら豆腐になるじゃない。だから、歴史のどこかで言葉そのものが入れ替わったんだよ」 

ちなみに今日10月2日は「豆腐の日」らしい。それでこのエピソードを思い出したというワケ。若い店主は「へぇ、そうなんですか」などと相槌を打っていたのだが、その客が帰ってから「さっきの豆腐の話なんだけどさぁ……」と私が水を向けると、「はい、出鱈目です。同じような話をかれこれ五回くらい聞かされましたけど」と笑っていた。いわゆる都市伝説。魯山人の弟子を名乗る人物が書いた書物にもそのように書かれているので、食通を自認する人ほど真に受ける人が多いのだそうだ。

「腐」の字には元来「ぶよぶよしたもの」という意味がある。だから豆腐。豆を藁に「納」めて作る納豆に説明の必要はあるまい。そもそも腐敗と発酵は明確に異なる。それにしても料理のプロに対面して臆面もなく講釈を垂れる勇気には、ただ敬服するばかりだ。

そもそも、豆腐の文字の由来を知っているかどうかではなく、豆腐の味が分かるかどうかが食通の本分であろう。私が子供の当時は、世の中から美味い豆腐が消えかけたが、志ある職人のおかげで昨今はまともな豆腐を味わうことができるようになった。

豆腐の味は微妙で繊細だ。某グルメ漫画の第1話に登場するのはダテではない。ただ、そうは言っても、昔は誰でもその味を分かって食べていた。日本人の食生活が欧米化されるにつれ、我々はソースやスパイスといった味付けのハーモニーを楽しむことができるようになった一方、それと引き替えに素材そのものの味の奥行きを堪能する感覚が失われてしまったように思える。

対策として、“調味料断ち”をしてみるのが面白い。化学調味料はもちろん、醤油も味噌もスパイスもソース・ドレッシングの類も一切使わず、味付けは塩のみの食事を続けるのである。

すると、徐々に「日本人の舌」を取り戻せるようになってくる。豆腐の豆の香りや、米の銘柄の違いなどが、薄々ながらも感じ取れるようになって、食事の楽しみもグッと広がる。もともと日本人にはそういう舌が備わっているのだから。

競馬においても然り。3連単ばかりに目を奪われていると、「勝ち馬を探す」という競馬本来の目的を見失ってしまうことに繋がりかねない。そういうときは、1日ずっと単勝だけを買って過ごしてみるというのも良策。明日はこれを実践してみようか。忘れかけていた競馬本来の味を、思い出すことができるかもしれない。

 

 

***** 2021/10/2 *****

 

 

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2021年10月 1日 (金)

競馬と値上げ

値上げの話の続き。

今日から小麦、コーヒー、牛丼も値上げになった。小麦については、もはや半期ごとの恒例行事と化した感もあるが、うどんとコーヒーと牛丼で生活している私のような人間にはまさしく痛手。仮にお店の努力で値上げ分を吸収してくれたとしても、心が痛むという点では「痛手」であることに違いない。

そう考えれば競馬絡みに「値上げ」を聞くことは少ない気がする。今どき「入場料100円」を謳う施設など珍しい。東京、中山、京都、阪神、中京の五大競馬場の入場料が100円から200円に、地方競馬を含めたその他の競馬場が50円から100円に倍増されたは1975年9月のこと。以来半世紀近くも料金据え置きなのだからありがたい。

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1975年当時の後楽園球場の最低料金は外野スタンド(自由席)の100円だったと思う。私は子供料金の50円で入場していた。それが今では1200円。東京ドームに変わったとはいえ、12倍ものの値上げを横目に競馬場のなんと良心的なことか。まあ、そのぶん馬券で吸い取られていることの裏返しでもある。

そうえいばクラシックレースの特別登録料がいきなり前年の40倍の40万円にハネ上がったことがあった。1992年のことだ。

戦前の日本ダービーの1着賞金は1万円。登録料はその2%に当たる200円と規定された。その慣習はクラシック全レースに適用されて1991年まで続く。同年のダービー1着賞金は1億2000万円だから、1万円の登録料は0.008%でしかない。そこで遅まきながら値上げになったというワケ。しかし、それ以降登録料の変動はない。一方、ダービーの1着賞金は2倍近くにまで高騰している。

追加登録制度が開始されたのもこの年から。未登録の馬でも一定の資格を得て200万円を払えば、クラシックに出られることになった。今年、スプリングSで2着したアサマノイタズラが、追加登録料を支払って皐月賞に出走したことは記憶に新しい。セントライト記念を制し、有力馬として菊花賞に臨むことができるのも、この制度のおかげと言える。1991年以前は未登録馬に対する救済制度はなかった。

レースに出るために「200万」と聞くと高いと思われるかもしれない。しかし、たとえ10着でも菊花賞ならば284万円が手に入る計算。そういう意味では欧米の追加登録料はよりシビアだ。1998年のBCクラシックに挑戦したジェントルメンの馬主は、賞金総額の5分の1に相当する80万ドル(約9600万円)を払った。結果、鼻出血による競走中止である。私が馬主なら正気を失うに違いない。

ともあれ、何かと割安感が漂うのが日本の競馬である。ただ、それが配当にまで及ぶことはぜひとも避けてもらいたい。

 

 

***** 2021/10/1 *****

 

 

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