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2019年3月24日 (日)

★ココログリニューアルに伴う休載のお知らせ★

ココログリニューアル後の不調で接続が不安定であるだけでなく、リニューアル後の仕様でこれまでのような形式での画像アップロードができなくなったようです。

これにより当面更新ができなくなることをご了承ください。

今後の対応が決まり次第こちらのサイトに掲載させていただきます。

店主敬白 m(_ _)m

 

3月24日

 

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2019年3月23日 (土)

2008 マーチS ナナヨーヒマワリ

ナナヨーヒマワリ(小原義之)

2008march 

JRAの年間開催日数はのべ288日。だから年間の総レース数は、1日12レース×288日=3456となる。ただし、ジャパンカップ当日の東京に限り11レースが最終レースだから、昨年行われたJRAの総レース数は3455だった。
では問題。その3455レースの中で、もっとも多く使われたコースはいったいどこか?
冬場を考えると、ダートの方が多く使われていそうなことは想像できる。ならば、もっとも開催日数が多かった東京のダート1600mあたりかと思えばそうでもない。実は中山のダート1800m。開催日数では東京(45日)はおろか、京都(44日)や阪神(42日)にも及ばぬ41日でありながら、中山のダート1800mは134回も使われたのである。
ともあれ中山のダート1800mというのは、JRAにおけるもっともメジャーなコース。マーチSは中山ダート1800m唯一の重賞として、メジャーの最高峰に位置する。昨年の覇者・センチュリオンは全8勝目が中山ダート1800mというスペシャリストだが、2008年の勝ち馬・ナナヨーヒマワリは、キャリア47戦目にしてこれが初めての中山ダート1800mだった。そういう年もある。

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***** 2019/03/23 *****

 

 

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2019年3月22日 (金)

2005 マーチS クーリンガー

クーリンガー(和田竜二)

2003march 

2001年から高松宮記念と同日実施になったおかげで、関東以外のファンには馴染みが薄いレースかもしれない。この年のマーチSを勝ったのは芦毛が眩しいクーリンガーだった。

通算で重賞を6勝したダートの猛者だが、JRAでの重賞勝利はこの1勝にとどまる。しかし、ユートピア、カフェオリンポス、ビッグウルフ、そしてスターキングマンといった錚々たるGⅠホースたちをまとめて下す快走だったことを思えば、この1勝がもたらしたものは決して小さくない。事実、クーリンガーの種牡馬入りに際しては、この勝利が大きな後押しとなった。

高松宮記念の締切直前の発走とあっては、正直マーチSどころではない気持ちも分かる。だが、優勝馬とその勝ちっぷりくらいは覚えておきたい。

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***** 2019/03/22 *****

 

 

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2019年3月21日 (木)

2001 日経賞 メイショウドトウ

メイショウドトウ(保田康彦)

2001nikkei 

ココログリニューアル後の障害により、これを書いているのは今年の日経賞が終わった土曜の夜。メイショウテッコンの鮮やかな勝利を見届けたところで、18年前の日経賞を思い出した。同じ勝負服に同じ白帽で2001年の日経賞を勝ったのはメイショウドトウ。その単勝オッズはなんと1.1倍。いくらテイエムオペラオー以外には負けてないとはいえ、「3連敗中」であることに変わりはない。

筆者の隣に座ったカメラマンは、その単勝に10万円を突っ込んでいた。結果的に馬券は的中したものの、興奮のあまり直線で叫んでしまいゴール写真を撮り逃すという失態を犯した。2着マチカネキンノホシとの着差はわずか半馬身。そりゃあ、声も出ますわ。

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***** 2019/03/21 *****

 

 

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2019年3月20日 (水)

2000 日経賞 レオリュウホウ

レオリュウホウ(菊沢隆徳)

Leo 

衆目一致の注目馬は有馬記念連覇を果たしたばかりのグラスワンダー。たとえ59キロでも、単勝1.3倍は仕方あるまい。

レースはレオリュウホウの逃げ。騎乗予定の横山義行騎手が前日の障害レースで落馬負傷したため、急きょ菊沢隆徳騎手に手綱が回ってきた。調教師の指示は「逃げろ」。そのひと言だったらしい。代打騎乗の気軽さもあったのだろうか。外枠から大胆にハナを奪うと、直線に入っても後続を寄せ付けることなく、あれよあれよと逃げ切ってしまった。

単勝193.9倍は驚きだが、成績を見ればそれも頷ける。年明けから3戦して、いずれも2桁着順。前走の川崎記念では南関東の馬たちにさえ歯が立たなかった。本来なら前週のオープン特別・東風Sに出走したかったのだが、そこを除外されてやむなく日経賞に回ってきた経緯がある。しかも相手は天下のグラスワンダー。有馬でスペシャルウィークやテイエムオペラオーを負かしたばかりの馬がいては、とても勝負にはならないと思われても仕方がない。

むしろ不可解なのはグラスワンダーの方であろう。追走するのが精一杯というレースぶりには、誰もが首をかしげた。「現役最強」の看板を背負う以上、GⅠ負け方というものがある。とはいえ、もともと不思議な負けや不思議な勝ちが多い馬でもあった。そこはダテに「Wonder」を名乗ってないということか。

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***** 2019/03/20 *****

 

 

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2019年3月19日 (火)

1999 日経賞 セイウンスカイ

セイウンスカイ(横山典弘)

2000nikkei 

調教師時代の野平祐二氏が愛した管理馬にスイートネイティブがいる。パーソロン産駒の牝馬。4歳時にヒザを骨折してクラシックこそ棒に振ったが、6歳の夏に秘めたる才能を開花させ、安田記念で1歳年下の桜花賞馬ブロケードを破ると、返す刀で七夕賞を制した。スイートネイティブの妹アンジュレスイートは、セイウンスカイの曾祖母でもある。セイウンスカイが日経賞を逃げ切った日、一緒に中山で観戦ていた野平祐二氏の喜びようは、今も忘れない。明日20日は91年目の野平氏生誕日だ。

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***** 2019/03/19 *****

 

 

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2019年3月18日 (月)

1992 日経賞 メジロライアン

メジロライアン(横山典弘)

1992nikkei 

宝塚記念など重賞4勝を挙げ、ダービーや有馬記念でも2着に好走した稀代の人気馬・メジロライアンのラストラン。翌1993年から種牡馬入りした。

しかし、当時は強い外国産馬が日本競馬を席巻していた時代。種付け料も初年度の150万円からわずか3年で60万円に下落してしまう。

ところがライアン産駒がデビューすると状況が変わった。産駒が走るのである。そのハイライトが1996年12月。メジロドーベルが阪神3歳牝馬Sを勝ってGⅠタイトルを手に入れると、メジロブライトもラジオたんぱ杯3歳Sを優勝。さらにホープフルSをエアガッツが勝ったことで、メジロライアンの種付け権は600万円にまで高騰した。

ここまで人気が沸騰した背景には、シチュエーションの後押しがあったことも見逃せない。メジロドーベルが阪神3歳で負かした相手は牡馬を含めた世代ナンバーワンの能力の持ち主と言われたシーキングザパール。NHKマイルCでそのシーキングザパールの2着に入ることになるブレーブテンダーも、ラジオたんぱ杯でメジロブライトに敗れ、さらにエアガッツのホープフルSにもスーパーナカヤマやグリーンスターボウといった評判の外国産馬が出走していた。

外国産馬に押され気味だった生産界にあって、ライアンの子が有力外国産馬を次々と打ち負かしてゆくそのレースぶりに、生産者の方が特別な感慨を抱いたとしても不思議ではあるまい。むろん、その想いは競馬ファンとて同じ。メジロライアンの引退式でヨコテンが流した涙をファンは忘れてはいない。たとえ競走馬を引退しても途切れることのない物語こそが、競馬の醍醐味である。

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***** 2019/03/18 *****

 

 

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2019年3月17日 (日)

アンガーマネジメント

昨年の大晦日に「競馬のことで怒らなくなった」と書いたが、最近は怒ってばかりいる。とはいえ競馬に対してではない。競馬とは別の仕事でのことだ。

競馬であればJRAだったり騎手や調教師に向かって怒ることが多いから、私が怒ったところで気まずくなることはまずない。だが、仕事における怒りの矛先はどうしても身近な人に向けられてしまいがち。だからある程度の我慢を強いられる。それがストレスになってさらにイライラが募る。そんな悪循環の繰り返し。それでハッと思い出した。私が急なめまいで倒れたのは、ちょうど1年前のことではなかったか。おかげで私は2018年2月の大半を寝て過ごす羽目になった。ひょっとしたらアレは季節モノかもしれぬ。そう思えば、ストレスを溜めるのはよくない。だが、だからと言って身近な人物に怒鳴り散らすわけにもいかぬ。

見かねた知人がアンガーマネジメントを勧めてくれた。

アンガーマネジメント―――?

馬の名前ではないらしい。ストレスや怒りをコントロールするための心理教育で、怒りの原因や傾向と向き合うことで衝動的な怒りを抑え、人間関係を円滑にすることができるという。

しかし結果から言えば、ますますストレスが溜まる結果となった。一番大事だという「6秒ルール」についてけない。アンガーマネジメントの理論では、人間の怒りは6秒でピークを越えるらしい。それで深呼吸しながら6つ数えると怒りは収まるというのだが、私が日々直面しているのは、たったそれだけで収まるほど薄っぺらい怒りではない。実際、後日実践してみたけど、何の効果もないですよ。つまり「人による」ということ。6秒深呼吸している間、さらに「降りやまなかった雨はない」などの呪文を唱えると効果的だと言われたが、怒りを抑えながらぶつぶつ独り言を言っている自分の姿を想像すると、ちと怖い。だいたいが、その呪文のセンスにもイラつく。

調教師は決して馬を怒ったりしない。馬は厩舎のいちばん偉い人が誰であるかを、ちゃんと知っている。そのトップに怒られると、萎縮して走れなくなる。だから、馬に対して怒りたいときは、その怒りを人間にぶつけるという調教師もいたほど。これはたまったもんじゃありませんね。もちろん冗談……だと思う。ただ、馬を叩いたり、馬に声を荒げたりするスタッフには容赦なく怒る。しかしその怒り方にも注意が必要だ。なにせトレセンでも「パワハラに注意しましょう」なんて啓発がされる時代。昔なら珍しくなかったスタッフへの鉄拳制裁も、今それをやれば調教師の立場も危うい。「師匠」などと呼ばれつつも、置かれた状況は企業の管理職にも似る。

Dirt 

大井の藤田厩舎にグランピーという3歳牝馬がいる。黒毛のロージズインメイ産駒で、デビューから2着、2着と好走を続けている。そのかわいらしい名前が気になっていたのだが、聞けば「怒りん坊」という意味らしい。その名の通り馬房では壁をガンガン蹴り飛ばし、調教でもすぐに機嫌を損ねてしまう怒りん坊なんだとか。それでもスタッフは馬に怒ったりはできない。特に牝馬は繊細で、一度嫌気が指したら気持ちが前に向くまで時間がかかる。人も馬も同じですね。とにかく怒りとはうまく付き合うしかない。

 

***** 2019/03/17 *****

 

 

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2019年3月16日 (土)

2005 スプリングS ダンスインザモア

ダンスインザモア(蛯名正義)

2005spring2 

馬場が荒れることの多いこの時季に行われるスプリングSで、1分48秒を切って勝った馬は過去に3頭。タニノギムレットは1分46秒9、ロゴタイプ1分47秒8。いずれも春のクラシックを制している。1分47秒3で快勝したダンスインモアにも、きっとその力は備わっていたと思いたいが、生まれた年が悪かったとしか言いようがない。

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***** 2019/03/16 *****

 

 

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2019年3月15日 (金)

2003 スプリングS ネオユニヴァース

ネオユニヴァース(M.デムーロ)

2003spring 

写真は2003年スプリングS。実はこのレースが、ミルコ・デムーロとネオユニヴァースのファーストコンタクトだった。

もともとネオユニヴァースの主戦は福永祐一騎手である。だが彼は来たるべきべきクラシックで、朝日杯を勝ったエイシンチャンプの手綱を取ることが決まっていた。ネオユニヴァースにしてみれば、少なくとも皐月賞から先は誰か別の騎手に依頼しなければならない。ならば、いっそ早めにトライアルから乗ってもらえる騎手を探そう―――。

それでこのレースからデムーロ騎手に乗り替わった。その後のこのコンビの活躍については、皆様ご存じのとおり。

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***** 2019/03/15 *****

 

 

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2019年3月14日 (木)

2000 阪神大賞典 ナリタトップロード

ナリタトップロード(渡辺薫彦)

2000hanshin 

2000年の暮れ、5歳(現表記では4歳)のナリタトップロードはステイヤーズSに出走してきた。いつものように渡辺薫彦騎手の手綱。菊花賞馬の看板を思えば、単勝1.3倍の一本被りも仕方あるまい。しかし、あろうことか4着に敗れた。大一番の有馬記念を前に、沖調教師はついに乗り替わりを決断する。指名されたのは有馬記念2連勝中の的場均騎手だ。

当時、渡辺騎手は中山コースで一度しか勝ったことがなかった。それがナリタトップロードで勝った前年の弥生賞にほかならない。一方の的場均騎手は関東のトップジョッキーのひとり。当然、中山のコースは熟知している。それでも当時はこの乗り替わりに驚く人が少なくなかった。ミルコ・デムーロ騎手でさえGⅠを前に普通に降ろされる現在のご時世からすれば、ちょっと想像が難しい。

しかし、沖師は渡辺騎手を完全に見捨てたわけではなかった。的場騎手は、既に調教師試験に合格しており、翌年2月での騎手引退が決まっている。いわば期間限定の乗り替わり。このまま渡辺騎手が手綱を取り続けても同じことの繰り返しだろうから、一度離れたところからトップロードのレースを見届けさせようという作戦だった。

ナリタトップロードは的場騎手の手綱で有馬記念9着。続く京都記念でも3着と勝つことはできなかったが、渡辺騎手に手綱が戻った阪神大賞典(※写真)では後続に8馬身差をつける圧倒的なレースで優勝を果たしている。3分2秒5は当時の世界レコード。調教師となった渡辺師は、この阪神大賞典こそが「ベストレース」と言って胸を張る。そんなパフォーマンスを生み出したのも、沖調教師が下した苦渋の決断のおかげかもしれない。

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***** 2019/03/14 *****

 

 

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2019年3月13日 (水)

2005 フラワーC シーザリオ

シーザリオ(福永祐一)

2005flower 

西の3歳牝馬にしては珍しい。

フラワーカップが行われるまでのシーザリオに対すら印象は、正直そんなものだった。

デビュー戦を快勝した直後、いきなり中山に遠征して、牡馬相手の2000mの寒竹賞に出走。のちに若葉Sを制するアドマイヤフジやスプリングSを勝つことになるダンスインザモアら一線級牡馬を破ってみせる。

続く3戦目も再び中山に遠征してフラワーCへ。上がり3ハロンを34秒4でまとめ、レースレコード・タイの1分49秒0で乗り切った。ちなみにこのレースレコードが生まれたのは1988年のこと。中山競馬場改修のため東京競馬場で行われたフラワーカップでのことだから、実質的にはシーザリオの時計がレースレコードだと言っても差し支えない。

ともあれ、関西馬でありながら3月までに関東に遠征すること二回。しかも距離は2000mと1800mである。とても桜花賞を展望するレース選びとは思えない。むろんオークス向きという判断もあったったに違いないが、同じオーナーで同厩舎・ディアデラノビアとの使い分けという側面が強かったように思える。ディアデラノビアの募集価格は3400万円。一方のシーザリオは1400万円。優先すべきがどちらかは自明であろう。しかし、晴れて桜花賞の舞台に立つことができたのはシーザリオの方。しかしクラブ所属馬ではよくある話だ。

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***** 2019/03/13 *****

 

 

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2019年3月12日 (火)

2008 ダイオライト記念 フリオーソ

フリオーソ(戸崎圭太)

2008dioright 

通算39戦11勝。うちGⅠを6勝。南関東の一時代を築いたフリオーソには、間もなく引退する石崎隆之騎手や内田博幸騎手、今野忠成騎手、川島正太郎騎手、さらにミルコ・デムーロ騎手、意外なところでは中舘英二騎手も跨っているのだが、やはりベストパートナーと言えば戸崎圭太騎手をおいて他にいまい。

「この馬がいなければ今の僕はない。僕を成長させてくれた一頭」

フリオーソ引退に際し、戸崎騎手がそう語ったほどの固い絆は、この2008年ダイオライト記念に始まった。ボンネビルレコード以下を5馬身後方に置き去りにしたパフォーマンスは圧巻のひと言に尽きる。この一戦を皮切りに24戦でコンビを組み重賞7勝をマーク。戸崎騎手のJRA移籍がフリオーソの現役引退の2ヵ月後であったことも、けだし奇縁と言えよう。

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***** 2019/03/12 *****

 

 

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2019年3月11日 (月)

あれから8年

朝イチの便に乗れずに困り果てたが、じたばたしても仕方ないので、次の便までのわずかな空き時間を突いて長浜のラーメン店『元祖長浜屋』にやってきた。こういうとき早朝営業はありがたい。

Nagahama 

大阪『千とせ』の「肉吸い」は肉うどんからうどんを抜いた代物。この店の常連だったコメディアンの花紀京さんが、二日酔いで食欲がなく、「うどんなしの肉うどん作って」と注文して生まれたという伝説が残っている。

また、札幌のご当地ラーメンとして知られる味噌ラーメンも、実は客の注文から生まれたものだ。『味の三平』の主人が、「豚汁にラーメンの麺を入れてほしい」という注文からそのアイディアを得たとされる。

長浜ラーメンの名物「替え玉」も、そうした客の注文から生まれたヒットメニューのひとつ。とあるお客がラーメンを食べ終えた。だが、一杯では物足りず、丼の中にはスープがなみなみ残っている。思わず「麺だけおかわりできんと?」と聞いてみたら、店の大将は気持ちよく「よかバイ」と応じてくれた。それが「替え玉」の嚆矢。このユニークなサービス形態がウケて、「長浜ラーメン」の名前はたちまち全国に知れ渡った。

その発祥の地でもある『元祖長浜屋』には、今朝も地元客と観光客が押し寄せ続けている。替え玉を50円から100円に値上げすることが、一般ニュースとして全国紙の社会面を飾るラーメン屋などほかにあるまい。

もともと魚市場で忙しく働く作業員や仲買人のために、工夫されたラーメンである。ということは、その成り立ちは築地の『吉野家』にも似る。競馬場で『吉野家』があれだけ人気を集めているのは、同じように忙しい競馬ファンのニーズにマッチするからだ。となれば、競馬場にも本物の長浜ラーメンのお店が欲しい。「本物の」と敢えて強調するのは、東京では「長浜ラーメン」と「博多ラーメン」がごっちゃになってしまっているから。本来両者は違うものですよね。だいたいが、長浜地区は福岡市博多区ではない。

世にご当地ラーメンは数あれど、札幌、喜多方、佐野、和歌山、熊本など市区町村単位のネーミングがほとんど。いち町域名に過ぎない「長浜」の名が冠された「長浜ラーメン」は極めて希少なケースであろう。そんなことに思いを馳せつつ、替え玉の茹で上がりを待っていたら、今日が3月11日であることに気が付いた。あれから8年。私は早いと感じるが、そうでない人もいる。そんな人たちの立場を思えば、一番機を逃して帰京が2時間遅れたことをクヨクヨしている自分がバカみたいに思えてきた。このラーメンもありがたく頂くことにしよう。

 

***** 2019/03/11 *****

 

 

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2019年3月10日 (日)

葉隠

ふと思い立って佐賀にやって来た。

とはいえ佐賀競馬場ではない。競馬場のある鳥栖市から西へクルマで30分。佐賀市北部の金立山の麓。そこに苔むした石段がまっすぐ延びている。五十段ほどの階段を息を切らしながら上り切ると、「常朝先生垂訓碑」と刻まれた石碑が待ち受けていた。江戸時代の書物「葉隠」の発祥の地だ。

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「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」で有名な「葉隠」は、若き侍の田代陣基がこの地に住む山本常朝を訪れ、教えを請うたことがきっかけで生まれた。戦乱の世が終わり、武士の関心が金や損得、色恋に向けられたそんな風潮を憂う常朝は、生き方を模索していた陣基に、武士の本分について忌憚なく語ったという。口述と筆録の結晶が「葉隠」全11巻。幕末の佐賀藩士に精神的な影響を与えた書として注目されており、この地を訪れる幕末ファンは今日も絶えない。実際、雨だというのに私以外にも観光客の姿がある。

石碑の裏には常朝と陣基が初めて出会った時に交わしたという俳句が刻まれていた。

憂世から何里あろうか山桜———

近くの金比羅神社をお参りする。なんでも1200年以上の歴史を誇り、神社の境内からは佐賀平野を一望できるらしい。憂世を遠く離れた感のある境内に、そっと足を踏み入れる。すると突然、「博打の木」なる看板が目に飛び込んで、ひっくり返った。

いきなりの場面転換。だが、もとよりこちらは憂世に生きる俗物である。「葉隠」のことはいったん置いて、ただひたすらにバクチ必勝を祈願。クルマに取って返し、急ぎ佐賀競馬場へと向かった。

なにを隠そう今日のメインは「はがくれ大賞典」である。

もはや私の行動を説明する必要などあるまい。昨年の覇者、兵庫のエイシンニシパが今年も参戦。迎え撃つ佐賀勢は今ひとつのメンバーだが、だからこそスーパーノヴァに注目したい。タイニーダンサーの兄にして、あのヒガシウィルウィンの叔父。血統ならナンバーワンであろう。このあと福岡で知人と会うことが今回の来訪の目的。しかし今の私には「葉隠」と「博打の木」のご加護がある。夜は水炊きの予定だが、ここはドカンと儲けてクエ鍋に変更だ。

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……なんて上手い具合にコトが運ぶワケがない。まあ、私の単勝馬券ですからね。案の定スーパーノヴァは2着。7馬身先にはエイシンニシパがいた。その強さに脱帽。こうなったら、はがくれ大賞典3連覇を目指して欲しいが、それは佐賀勢も許せまい。

馬券は散々。別のレースでも応援している馬が1番人気で2着に敗れ、雨は容赦なく降り続いた。それでもなんとも言えぬ充実感に浸っていられるのは、久しぶりの競馬場だったからに違いない。思えば元日の川崎以来3か月ぶり。今年2回目の競馬場が佐賀とはどういうことか。ブログ通常営業再開の日は、まだまだ先になりそうだ。

 

***** 2019/03/10 *****

 

 

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2019年3月 9日 (土)

2018 東風S ミュゼエイリアン

ミュゼエイリアン(F.ミナリク)

2018kochi 

かつて、日本の馬は欧米の馬に比べて極めて華奢だった。ワールド・スーパー・ジョッキー・シリーズ(WSJS)で来日した外国人騎手が、母国に帰国して「日本で鹿に乗ってきた」と言い放ったという。それこそ「馬鹿」にされたわけだ。

しかし、今では日本の競馬をバカにする外国人騎手などほとんどいまい。昨シーズンから短期免許で参戦しているフィリップ・ミナリク騎手にとっては、ミュゼエイリアンで勝った昨年の東風Sが日本でのもっとも大きなタイトル。重賞は20回騎乗して2着すらない。バーデン大賞4勝の名手も日本では苦労している。

漢字で「馬鹿」と書くのは当て字に過ぎない。馬はバカを代表するような愚かな動物ではないことを、我々競馬に携わる人間は肌で知っている。まず、馬は人を見ることができる。下手な乗り手が手綱を取ったところで、決して思うように動いてはくれない。馬が人間をバカにすることもあると思えば、人が馬を一方的にバカ呼ばわりするのは本末転倒だ。

李白の詩の中に「馬耳東風」という言葉が出てくる。馬には春を告げる東風の有り難みが理解できないという意味だが、転じて他人の意見に耳を傾けないことの喩えとなった。現代でも使われる言葉として生き残っていることを思えば、馬を見下した李白の責任は重い。

もちろん馬もちゃんと人の言うことは聞いている。入厩してきたばかりの外国産馬に、厩務員が日本語で馬に命令しても言うことを聞かないのに、英語で話しかけたらサッと指示通り動いたなんて話は列挙に暇がない。

逆に私たち人間は馬の声をちゃんと聞けているのだろうか?

ミュゼエイリアンは連覇を目指して今年も東風Sに出走してくる。去年は7番人気、単勝26倍の伏兵だった。馬はしゃべれない代わりに感情を耳で伝えてくれる。馬耳に気を配って穴馬券を的中させたい。でないと馬にバカにされてしまう。

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***** 2019/03/09 *****

 

 

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2019年3月 8日 (金)

2003 東風S ミッドタウン

ミッドタウン(横山典弘)

2003kochi 

ノーザンファームと提携する前のキャロットファームといえば、ケイズドリーム、ソウシュン、バーガンディレッドといった外国産馬が活躍した印象が残る。

このミッドタウンも愛国産のデインヒル産駒。1番人気におされた東風Sではスタートからグングン飛ばして、1200m通過1分8秒3、1400m通過が1分20秒1と、当時のレコードに匹敵するような猛ラップで逃げ切った。

その破天荒な逃げっぷりにサイレンススズカの再来を期待する声も高まったが、さすがにゴール前は脚が上がっていたようで、手綱を取った横山典弘騎手も「さすがに暴走気味だね」と苦笑い。

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***** 2019/03/08 *****

 

 

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2019年3月 7日 (木)

2012 中山牝馬S レディアルバローザ

レディアルバローザ(福永祐一)

2012hinba 

中山記念はリピーター続出だと書いたが、同じ中山芝1800mで行われる中山牝馬Sはこの年まで9頭が連覇に挑みながら達成はゼロ。1989年1着、翌年2着のリキアイノーザンがもっとも惜しかった。

中山牝馬S史上10頭目の挑戦で、初めて連覇を達成したのが、この年のレディアルバローザ。ただし、中山芝1800mでの連覇ではない。前年の同レースは、東日本大震災の影響で4月の阪神で行われていた。阪神芝1800mを豪快に差し切った翌年は、中山芝1800mで余裕の逃げ切り。ただの連覇よりも価値があるように思えてならない。

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***** 2019/03/07 *****

 

 

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2019年3月 6日 (水)

2003 房総特別 ハレルヤサンデー

ハレルヤサンデー(武豊)

2003boso 

今でこそ海外の名牝が日本に輸入されることは珍しくなくなったが、ひと昔前は米GⅠ勝ち牝馬の産駒となればそれだけで注目の的だった。

ハレルヤサンデーもそんな一頭。母のターンバックジアラーム(父・ダーンザットアラーム)は、1992年の北米3歳牝馬の3冠シリーズで、エイコーンCこそ3着に敗れたものの、CCAオークスとマザーグースSに優勝。すなわち2冠牝馬である。

さらに古馬となった翌年には、ゴーフォーワンドS、シュヴィーH、ヘンプステッドHと3つのG1を制覇。そのGⅠ5勝の名牝に天下のサンデーサイレンスを配合されて生まれたのが、ハレルヤサンデーである。この房総特別への出走に際しては、岡部幸雄騎手が追い切り、レースでは武豊騎手が跨った。血統が人を選ぶということもある。

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***** 2019/03/06 *****

 

 

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2019年3月 5日 (火)

2014 フジノウェーブ記念 ジェネラルグラント

ジェネラルグラント(石崎駿)

2014fujino 

「東京スプリング盃」改め、この年から「フジノウェーブ記念」。フジノウェーブ以外の馬で初めてこのレースを制したのは、前年の南関東クラシック戦線を盛り上げたジェネラルグラントだった。レース創設5年目にして4歳馬が勝ったのも初めて。―――って、そりゃ当然ですね。

フジノウェーブの4連覇は素晴らしい記録だが、それはすなわち若い世代が伸び悩んでいたことの裏返しでもある。ジェネラルグラントにしても、フジノウェーブが最初にこのレースを勝った2010年3月4日には、まだ生まれてもいなかった。この時点でフジノウェーブが生きていれば14歳だったわけだから、一気に10歳も世代交代が進んだことになる。若き後継者の誕生を天国のフジノウェーブもきっと喜んだことだろう。

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***** 2019/03/05 *****

 

 

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2019年3月 4日 (月)

2010 東京スプリング盃 フジノウェーブ

フジノウェーブ(戸崎圭太)

2010fujino 

現在のレース名の由来となった名馬。地方所属馬として初めてJBCのタイトル(2007年JBCスプリント)を獲得した一頭でもある。

写真は2010年、創設初年度のこのレースを勝ったフジノウェーブ。当時は「東京スプリング盃」の名で行われていた。ちなみにこの前年から、それまでの東京シティ盃が「東京スプリント」に改名。東京スプリング盃と東京スプリント―――。どちらも同じ春シーズンに同じ大井で行われる短距離戦ということで、「東京スプリント盃」とか「東京スプリング」などと混同されるケースが相次いだことも思い出す。

閑話休題。ともあれ、フジノウェーブは東京スプリング盃の創設からから2013年まで4連覇。つまりこの時点で、この重賞はフジノウェーブしか勝ってない。その年の同馬の急逝で、このレースが「フジノウェーブ記念」と改められたのは、当然の成り行きであろう。おかげで東京スプリントと混同されるケースもなくなった。

あの高橋三郎氏をして「思い出の馬はハイセイコーとフジノウェーブ」と言わしめた一頭。大井競馬場で行われる数多くの重賞レースのうち、馬名がそのまま使われているのも、ハイセイコーとフジノウェーブの2頭だけだ。

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***** 2019/03/04 *****

 

 

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2019年3月 3日 (日)

将棋界の一番長い日

おととい3月1日は、将棋のA級順位戦最終局が行われる日。名人への挑戦者とB級1組への降級者が同時に決定するいわゆる「将棋界の一番長い日」であった。いや、でもホント長い。結果が出たのは日付が変わった昨日のことですよ。

将棋の棋士には競馬ファンが多いことをご存知だろうか。

たまにJRAの競馬場でゲストにプロ棋士が呼ばれて、将棋の講師とか表彰プレゼンターを務めたりするシーンを見かけるけど、そういう仕事を抜きにプライベートで来場している棋士も結構いるようだ。

中でもいちばんの競馬好きは、そのスポーツ紙にも予想を披露するほどの競馬通で知られる渡辺明二冠で異論はあるまい。なんせ、2008年竜王戦第1局のパリ対局の前日にサンクルー競馬場へと走り、馬券をベタ買いしていたというツワモノである。そんな大一番の前日に良いのか?!と突っ込みたくもなるが、「オンとオフの切り替えがすぐ出来る」と意に介さない。

国内の競馬場に行く時も、他場も含めて少なくとも20レース分は買うというし、2006年12月24日には、日の暮れた中山競馬場に残り、ディープインパクトの最後の雄姿を見届けたほどの熱の入れよう。最近も競馬場でその姿をよくお見かけする。自らの対局を振り返る際に、競馬に喩えて答えてくれるのも、競馬ファンにしてみれば楽しい。

Deep 

他にも競馬好きを公言する棋士の方はたくさんいる。将棋と競馬には、相通ずる何かがあるのだろうか。

「C級1組」とか「B級2組」とかいう階級別の戦いを勝ち上がり、頂上のタイトルを目指すという構造は競馬のそれに酷似しているし、そういうクラス分けとは別に、個々の棋士の強さを数値かした「レーティング」まで存在している。だいたいが、将棋でも競馬でもすべては「駒」次第の勝負事。そういう意味で近しいものを感じるのかもしれない―――。

などと、勝手な想像を膨らませてみたくもなるのだが、どうやらそんな単純な話でもないようだ。

「将棋と馬券は似ているんじゃないかとよく聞かれますが、これは全く違います。推理するまでは同じでも、将棋は人が直接携わるもの。馬券は馬や騎手まかせで、結果は神様が決めるものですから」

そう語ったのは、日本将棋連盟の会長職も務められた故・米長邦雄永世棋聖。あくまでも競馬はストレス発散や気分転換の一手段だという。そうえいば渡辺明二冠も同じようなことを言っていた。「気分転換」という一見何でもない行為も、実は棋士の皆さんにとっては我々が思うよりはるかに重要な作業であることの裏返しであろう。

 

***** 2019/03/03 *****

 

 

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2019年3月 2日 (土)

2007 弥生賞 アドマイヤオーラ

アドマイヤオーラ(武豊)

2007yayoi 

この年の弥生賞を制したのはビワハイジの子・アドマイヤオーラ。2年前のこのレースでディープインパクトの2着に惜敗した兄・アドマイヤジャパンの雪辱を果たした。

弥生賞以外の重賞では、シンザン記念と翌年の京都記念を勝っているが、そこで負かしたのが、ダイワスカーレットとウオッカであることは、彼の名誉のために強調しておきたい。2004年生まれの牡馬は、総じて肩身の狭い思いを強いられたが、その中にあってウオッカとダイワスカーレットの女傑2頭相手に重賞を勝利した唯一の牡馬がアドマイヤオーラ。誇りに思っていい。

ところでアドマイヤオーラが勝ったこの弥生賞は別の側面でも意味を持つ。期せずしてこのレースが、武豊騎手がこの勝負服を着て勝利した最後のJRA重賞となった。当時は見飽きた感さえあったこうした光景を、我々が目にすることがなくなって久しい。この春を境に、JRAにおける騎手事情は劇的な変化を遂げてゆくことになる。

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***** 2019/03/02 *****

 

 

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2019年3月 1日 (金)

2005 弥生賞 ディープインパクト

ディープインパクト(武豊)

2005yayoi 

早いもので今年も3月。そして今週は弥生賞。かつての私は、この弥生賞を年の「開幕戦」と定め、12月~2月を事実上のオフシーズンとして過ごしてきた。

皐月賞で、弥生賞馬の成績が振るわないことは知られている。1ヶ月半程度の間隔をおいて同じコースで行われるのだから、もっと連動してよさそうなものだが、必ずしもそうならないところが競馬の奥深さである。

ところが、ダービーでの弥生賞馬の成績は(15,4,5,16)、連対率475、複勝率600。皐月賞よりも高いアベレージを残している。

しかも驚くのは半年以上も先に行われる菊花賞での成績で、(7,6,2,13)、連対率464、複勝率535。ダービーと遜色ないのである。新星の出現や夏の上がり馬の台頭を受けつつ、それでもトップグループの一翼を担い続けることができる素質が、弥生賞馬には求められる。弥生賞がほかのGⅡに比べて格上とされる所以である。

なぜか。理由ははっきりしている。皐月賞までの3歳クラシック戦線は勝ち抜きのトーナメントで、その後はリーグ戦の様相を呈してくる。したがって、世代のトップが最初に対戦する弥生賞が、いわゆる「事実上の決勝戦」になってしまう可能性が高いからだ。

弥生賞は、その時点の完成度で上回るとか、展開面の有利不利など、目先の小さな要素にとらわれるレースではない。ここでスケールで上回る馬を見つけることこそ、秋まで続く3歳牡馬クラシック戦線を楽しむことに繋がる。半世紀近くにも及ぶ弥生賞の歴史が、それを教えてくれている。

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***** 2019/03/01 *****

 

 

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