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2017年12月 6日 (水)

握手とお辞儀

普段はほとんどやる機会はないのに、競馬場では頻繁に行う生活習慣がある。

断っておきますが、「頭を抱える」とか、「罵声を浴びせる」とか、「独りごとを言う」とかではありませんよ。まあ、だいたいがこれらは生活習慣とは呼べまい。

Akushu 

答えは「握手」。戦後、良くも悪くもアメリカ化した日本において、なぜか定着しなかったアメリカの作法である。日常的に握手を繰り返しているというのは、一部のビジネスパーソンや、政治家、芸能人、そして競馬関係者などごくわずかであろう。大半の日本人は、「お辞儀」という日本古来の挨拶様式を今も守っている。

握手もお辞儀も同じ挨拶行動だが、握手は手の中に武器を持っていないことを示す行為であり、すなわち友好の気持ちを表すもの。一方のお辞儀は、後頭部を相手に差し向けることによって、服従の意を示す行為である。

そういう意味では、握手は立場の高い人や祝福する側の人から手を差し出すのが基本。目下や祝福される側は、手を差し出されて初めて握り返すことができる。この辺の間合いは確かに難しいかもしれないが、握手が日本に定着しなかった一番の理由は、やはり衛生観念の問題に尽きるのではないか。

うがい、手洗い、マスクに象徴されるように、日本人ほど感染症を恐れる民族はほかにあるまい。それが高温多湿の国土で生活するために必要な習慣であるのだから、挨拶においても身体接触を避けるのは当然の成り行きであった。むろん、べっとり汗で湿った感触に対する生理的嫌悪感もこれに加わる。

今では挨拶時の握手も珍しくなくなった日本だが、ここでひとつの悲劇が起きる。握手をしようにも相手との距離感が掴めないから、手を伸ばしながらもなんとなく腰が引けてしまうのである。と同時に、日本人のDNAに染みついた習慣から、ついついお辞儀の姿勢を取ってしまうから、さらに腰が引けて卑屈きわまりない姿勢が生まれることになる。選挙の時に、候補者と有権者との間で繰り返される、あの姿勢を想像していただければ分かりやすいだろうか。日本人は総じて握手が苦手と言われる所以である。

そう言っている私も、握手しながらお辞儀してしまう癖がなかなか抜けない。検量前で、騎手や調教師にさりげなくスッと右手を差し出すオーナーさんたちを見て、「格好良いなぁ」とため息をつく日々である。

ところで、誤解しないでいただきたいのだが、お辞儀がダメだと言っているわけでは決してない。ようは、きちんと区別して、しかも自然に、できれば美しくこなせる大人になりたいということだ。

天覧競馬となった2005年秋の天皇賞。ヘヴンリーロマンスの馬上から、ヘルメットを脱いで、深々と両陛下にお辞儀をした松永幹夫騎手のあの美しさを覚えておいでだろうか。あのお辞儀は、日本のうるわしさが競馬場で具現されたという点で、生涯忘れ得ぬシーンである。

 

***** 2017/12/06 *****

 

 

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