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2017年8月 5日 (土)

モンキースタイルの異端児

仲間内で小倉サマージャンプの話で盛り上がっていたら、モンキースタイルの話題が出た。直線鋭く追い込んだソロルの西谷騎手の騎乗姿勢が、障害には珍しい極端なモンキースタイルだったのである。

鐙を短くし、腰を浮かせ、前傾姿勢を取る騎乗スタイルを、その姿から「モンキースタイル」とか「モンキー乗り」と呼ぶ。馬への負担や風の抵抗が少なく、スピードを出すのに適している。考案者とされるのが、米国人のトッド・スローン。19世紀末、本場の英国競馬に挑んだスローンは、この腰を浮かせたフォームで大活躍し、競馬の本家の関係者に衝撃を与えた。

Moncky 

今でこそ大半の騎手がこのスタイルで馬に乗っている。だが、昔は違った。乗馬と同じように、鞍に座ったまま馬を追っていたのである。俗に「天神乗り」と呼ばれるこの騎乗法は、欧米でモンキースタイルが浸透したあとも、我が国では主流であり続けた。鐙を長くし、背筋をピンと伸ばして馬に跨り、踵で思いっ切り馬の腹を蹴り続ける―――。それが馬をもっとも効率的に動かす技術であると、頑なに信じられていたからにほかならない。「馬のドテッ腹に風穴をあけてこい!」。パドックではこんな言葉が普通に飛び交っていたという。

モンキースタイルを日本で最初に取り入れたのは、野平祐二とも保田隆芳とも言われる。だが、それを野平氏はやんわりと否定していた。

「実は日本人騎手の中に、早くからモンキースタイルを取り入れていた人がいたのです。赤石孔さんです。赤石さんはオーストラリアでの騎乗経験がありました。そこで会得されたのかは分かりませんが、鐙を短くした独特の乗り方をされ、“赤石モンキー”なんて呼ばれてました」

調教師としての晩年、野平氏は管理馬を全国各地の地方競馬のレースに出走させ、自身も頻繁に地方に足を運ばれた。地方競馬活性化の一助になればとの思いからである。その遠征に私もカバン持ち持ちとして同行させていただいていた。1996~97年頃だから、今から20年ほど前の話である。

現地に着くと、主催者が挨拶のために野平氏の元にやってくる。するとたいてい「先生が日本で初めてモンキー乗りをされたんですよね」とか「モンキー乗りを日本に広められたのですよね」という話題になった。その都度、野平氏は「初めて乗ったのは赤石さん、広めたのは保田さん」と訂正していたものだ。

だが、野平氏も戦前からモンキースタイルを取り入れていたことには間違いない。そういう意味では先駆者と言える。だが、すぐには成功を得なかった。理由のひとつは周囲の理解不足。「馬を動かすには力が必要」「鐙を短くして腰を浮かせてしまっては肝心の力が伝わらない」「あんな変な乗り方をする野平はもう乗せるな」―――という具合だ。

「あの頃の私は異端児でしたから。今もそうですけど(笑)」

そういって野平氏は笑った。だが、それでも映画館に行っては、海外のニュース映画で紹介されるケンタッキーダービーの映像を食い入るように見つめ、見よう見まねながら独自のモンキースタイルを追い求めたという。その努力を傍らで見ていた保田氏だからこそ、米国に遠征して本場のモンキースタイルを体得しようという気持ちが沸いたのであろう。

そこまでしてモンキースタイルを追い求めた理由を野平氏に聞くと、「そりゃあ、カッコ良いからに決まってるでしょう」と答えられるのが常。もちろんそれもあろう。なにせオシャレでキザな祐ちゃんのことである。だが、それだけではあるまい。それが別の私の問いに対する答えに現れているような気がする。

JRA史上初めてデビューを果たした女性騎手たちの成績が上がらず苦労していることについて、「やはり男性に比べて力が弱いからでしょうか?」と聞いたことがある。氏のそれに対する答えはこうだった。

「馬は力で御すもんじゃありませんよ」

そうおっしゃったあと、しばらく間を置いてさらに続けられたのである。

「馬は本来自由闊達な動物なんです。自由に気持ち良く走らせるにはどうすればいいのか。それが私のフォームの下敷き」

ドテッ腹に風穴を開けるような騎乗法が、馬にとって「自由で気持ち良い」はずがない。それに我慢がならなかったのだろう。そんなことを思いつつ今年も8月6日がやってくる。明日は祐ちゃんの17回忌だ。

 

***** 2017/08/05 *****

 

 

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