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2017年7月11日 (火)

繰り返す歴史

昨日付「未成年お断り」の続き。ギャンブル依存症対策の名のもとに、首をかしげたくなるようなギャンブル制限論が幅を利かせ始めているという話。

近年の流れはむしろ逆だった。それまで馬券購入が禁止されていた「学生・生徒」でも、20歳以上であれば購入が可能となったのは、2005年の競馬法改正でのこと。そもそも学生の購入制限は、戦前に施行された旧競馬法に規程された、まさに黴の生えた条項だった。80年代後半の「オグリキャップブーム」を支えたのは、非合法であるはずの大学生たちである。そんな事情を踏まえれば、ようやく時代に法律が追い付いたということであろう。

それでも私が学生の頃は、大人に頼んだり、なるべく老け顔の同級生に買ってきてもらったりと、馬券購入にはそれなりに気を使ったものだ。かつてのウインズ警備員の眼は鋭く、学生が疑われる来場者を見つけては、年齢、生年月日、職業など次々と質問を浴びせたのである。それらの攻撃を上手くやり過ごしたとしても、安心するのはまだ早い。最後に「干支は?」という想定外の一撃が飛んでくる。この質問をクリアできずに購入を断念した貴兄もすくなくあるまい。

なのに、最近では堂々と馬券を買う子供をやたらと目にする。JRAでも地方でも同じ。それも場外ではなく、圧倒的に競馬場に多い。自分でマークカードを塗り、自分の財布から札を出して、やおら券売機に向かう姿は、いっぱしの馬券師のようだ。それを見ている警備員も特に咎める様子はない。馬券発売が手売りだった昔なら、窓口オバちゃんが注意しただろう。だが、自動券売機は相手が誰であろうが関係なくマークカードと札を飲み込み、黙って馬券を吐き出す。

Child 

子供の馬券購入が目立つようになったのが場外ではなく競馬場であるのは、急激に増えた競馬場の子供連れ客と無関係ではあるまい。しかもれっきとした違法行為であるにも関わらず、かつてのような無慈悲な取締りが行われないのは、お客様第一主義がもたらした弊害であろうか。私自身、馬券購入の年齢制限にはネガティブだが、お上たる主催者が違法行為を野放しにしている現状は看過できない。それではいざという時に反論もできないではないか。民進党の主張が、まさかの「正論」になってしまう恐れもある。

ところでWIN5が発売されたのは2011年のこと。当時は「夢の新馬券」と謳われ、今なお強い人気を博している。

複数のレースの1着馬を当てる「重勝式」馬券が認められたのも、2005年の競馬法改正のおかげなのだが、実は遥か昔にも重勝式が発売されていたのをご存知だろうか。それを廃止に追いやったのが、1961年の“長沼答申”。公営ギャンブルの過熱が社会問題化する中で、総理大臣の諮問機関として設立された「公営競技調査会」(長沼弘毅会長)が、「投票の的中率を高くして射幸心の過熱を避けるため、重賞式を廃止して連勝複式を採用、単勝、複勝式を中心にするべき」と答申したのである。

私があれこれ心配するのは、半世紀も昔の長沼答申と現状の議論とが、どことなく似通っているようにも思えるからだ。つい昨日も、警察庁がパチンコの出玉規制を検討しているとの報道があった。競馬でも射幸心を煽り過ぎる馬券を廃止すべき―――。もしそんな議論が湧きあがれば、WIN5もまた消えて無くなる運命かもしれない。このタイミングでWIN5の窓口発売化が発表されたのは果たして偶然か。不穏な空気を感じたJRAが先手を打ったようにも思える。

さらにおかしなことに、ギャンブルの監督強化を旗印に競馬関係者の馬券購入制限の適用範囲を広げてはどうかという声まで聞こえてきた。厩舎関係者や主催者のみならず、競馬記者などのマスコミ関係者はもちろん、牧場関係者にも、むろん馬主にも、果てはクラブ会員にまで火の粉が及ぶ可能性すらある。仮にそんなことになれば、日本の競馬は一気に萎んでしまうに違いない。

政治が競馬を良くすることなどない。歴史的に見てもそれは明らかであろう。政治家は自分の都合しか考えていない。その政治家が法律を握っている。そして、その法律なしに競馬は存在できない―――。

刑法の適用例外という危うい立場に置かれた日本競馬の悲哀がここにある。競馬ファンにできることは、議論の行方から目を離さぬこと。今後も注目を続けていきたい。

(この項終わり)

 

***** 2017/07/11 *****

 

 

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