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2017年7月18日 (火)

鞭を針に持ち替えて

勝負服の話の続き。

早いもので、夏の福島開催もあと1週を残すのみ。そんな福島競馬場に福島駅から向かう途中、国道4号の東側に並走する通りを競馬場に向かっていると、競馬場の手前500mほどの道路右手側に「河野テーラー」という看板が見えてくる。知る人ぞ知る有名店。なにせJRAや南関東で使われる勝負服の約半分をまかなっている。この店が仕立てた勝負服を着たことがないという騎手は、ほとんどいないのではないか。

Fukushima

先代社長の河野政平さんは元騎手という異色の経歴の持ち主。だが、56キロの体重から過酷な減量との戦いの日々を強いられた。そんなある日、乗馬ズボンを作ってもらったことがあった初代社長の河野正太郎さんから「うちに来ないか」と声をかけられたのだという。

鞭を針に持ち替えることを決意したのは22歳の時。以来、約半世紀に渡り勝負服ひと筋の職人人生を歩み、福島市が認定する技能功労者にも選ばれた。

勝負服に使える色や模様には様々な制約がある。だが、制約に縛られていては、体にフィットし、見た目にもバランスの良い服は仕上がらない。

勝負服は馬主の「顔」とも言える存在。1着2万円前後の製作費はむろん馬主持ち。それなのに、制約を言い訳に馬主が納得できないような服を作るようでは、仕立て屋のメンツが立たない。制約の趣旨は尊重しつつ、見た目に格好良く、なおかつ機能性に優れた勝負服に仕立て上げるのがプロの技。シェアナンバーワンの理由がここにある。

最近では当たり前になったメッシュ地の勝負服も、河野テーラーがその発祥。暑さ極まる夏開催を受け持つ福島ならではの発想だろう。

Jockey_2

政平さんは十数年前に他界したが、その妻・太子さんは昭和30年代の福島競馬の光景をしっかりと覚えている。当時は騎手や調教師の寮もなく、競馬の近所の一般家庭が競馬関係者の宿泊を受け入れていたそうだ。河野テーラーに寝泊まりしていたのは調教師。きっぷが良い人ばかりで、競馬のない日は子供たちを映画や食事に連れて行ってくれたという。

福島は日本でいちばん競馬と町の人が溶け込んでいる土地に違いあるまい。訪れるたびにそんな思いがなお強まる。それというのも、こうした家族ぐるみの付き合いが下地としてあったからであろう。

 

***** 2017/07/18 *****

 

 

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