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2017年4月25日 (火)

写真の流儀

商売柄他人の撮った写真にケチをつけるような真似は謹しむようにしている。むろんそれを、それをいちいちブログに取り上げることもすべきではない。だが、それにしても限度と言うものがある。

News 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170422-00000108-sph-horse.view-000

土曜東京9レースの新緑賞の結果を伝えるネットニュースを見て絶句した。

勝ったのはビービーガウディ。しかし、その写真は被写体ブレが激しくゼッケンも判読不可能。しかも、ゴール写真においてあってはならぬ「ケツ撮り」である。

写真撮影の流儀というものは様々で、10人いれば10通りの作法が存在すると言っても差し支えない。私はと言えば、若い時分に新聞流のやり方を叩き込まれたこともあり、首尾一貫「分かるように撮る」を仕事上の眼目としているつもりである。

そも“写真”とは何か―――?

哲学的な話を始めたらキリがないが、私はごくシンプルに「情報伝達のためのいち手段」という考えを第一義に置いている。したがってそれが何を表しているのかが一見して分からないようでは身も蓋もない。すなわち、良い写真というものは誰が見ても分かりやすいのである。

中には写真芸術論を引っ張り出してきて「分かる奴にだけ分かればよい」というような主張を唱える輩もいるが、これは大きな間違いで、完全なる自己満足の世界にほかならない。古今東西、絵画、彫刻、小説から映画に至るまで「名作」と呼ばれるものに理解しづらい作品など存在せず、どんなに高度な技術を注ぎ込んだとしても、見る人が理解できなければそこには何も生まれない。結果、過大な自己満足に終わるのみとなる。

話がデカくなってしまったが、馬の写真にたとえると、見た人が「あぁ、これは良い写真だな」と思う写真は二流で、「あぁ、これは良い馬だな」と思える写真こそが一流なのである。ただ、そう思っていても、なかなかその領域に踏み込むことは難しい。冒頭に紹介した写真はそれ以前の問題。三流の誹りを免れまい。

実はこのレースの発走直前、東京競馬場は突然の激しい雨に襲われていた。それで芝コース脇のカメラマンに何らかのトラブルが発生し、やむなくスタンドにいた別のスタッフが撮った―――。

私はそんな可能性を疑っている。角度からしてゴール手前50m付近、おそらくスタンド8階の記者席からスマホか何かで撮ったものを、可能な限り画像処理したのであろう。いずれにせよカメラマンが使う機材で撮ったものではない。とはいえ仮にも大手のスポーツ新聞のしたことである。なぜそんな写真を載せたのか? ネットだからと軽く見ていたのかもしれぬが、見ても分からぬ写真なら載せないという判断もあった。

 

***** 2017/04/25 *****

 

 

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