« 南京錠が結ぶ絆 | トップページ | 競馬場の村上春樹 »

2017年3月 6日 (月)

先生

JRAサイトの騎手名鑑から「武幸四郎」と「田中博康」の名前が消えていた。あらためて引退を実感する。代わりに掲載された先は調教師名鑑。つまり「先生」と呼ばれるようになったわけだ。いやあ、馴染めませんな(笑)。

Koshiro 

ふと、先日の調教師免許試験で合格した7名の年齢が気になって調べてみた。するとなんと7人全員が30代ではないか。こんなことは過去にあったのだろうか。若い調教師が増えている実感はあったが、30代の若い調教師が一気に7人も合格したことは、少なくとも私の記憶にはない。

田中博康 31歳
安田翔伍 34歳
武英智 35歳
和田勇介 36歳
林徹 37歳
武幸四郎 38歳
高柳大輔 39歳

ひと昔前まで、私が抱く「調教師」のイメージは「おじいさん」だった。むろん私自身が若かったせいもある。だが定年制導入前は、70歳を超えてなお厩舎を切り盛りする調教師は珍しくなかった。弟子として所属騎手も多く抱えていたから、そういう意味では「先生」だったに違いない。

だが、昨今は事情が異なる。31歳はサークル内全体でも若いほうだろう。柴田善臣、横山典弘、武豊、蛯名正義、内田博幸といった一線級の騎手たちは、ひと回り以上も年上の存在となる。それで「先生」はさすがにマズくないか。

よくよく考えると「先生」と言う表現は意味深長である。一般的には「学校の教師」「学徳のすぐれた人物」として使われるが、字義からすれば「先に生まれる」、あるいは「先を取っている」ということであろう。だが、世間では「偉いから先生」だと思われているフシがある。これは間違いであることを意識している人は多くはあるまい。だから、飲み屋のお姉さんは客を「先生」と呼ぶ。呼ばれたほうも喜ぶ。だが、もともとは「先生だから偉い」のである。しかし現代はそれが成り立たなくなった。教師は生徒を殴れないし、うっかりすると父母に怒鳴り込まれる。余計なことをしない、失点を出さない教師が優れた教師。それなら子守りとなんら変わりはないではないか。こうなると「先生」は偉くもなんともない。

実際、調教師の中には「先生」と呼ばれることを嫌う人がいる。共同記者会見でインタビュアーが「それでは××先生にお話を伺います」と切り出すと、「先生と呼ぶな! はい、やり直し」なんて具合に一蹴されることも。それは場を和ませるための冗談でもあるわけだが、若い調教師から「先生ではなく調教師と呼んでください」とお願いされることも最近は多くなった。

私はかつて予備校で講師のバイトをしていたことがある。そのときは「先生」と呼ばれた。真剣に教員になろうかと考えたこともないではない。なんだかんだで教員免許も取得した。しかし結果的に、私が「先生」と呼ばれたのはその時だけ。つい先日、そのときの教え子が市議会議員になったと聞いた。かつての教え子はいまや「先生」である。なんだか不思議な感覚だ。

 

***** 2017/03/06 *****

 

 

|

« 南京錠が結ぶ絆 | トップページ | 競馬場の村上春樹 »

競馬」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 南京錠が結ぶ絆 | トップページ | 競馬場の村上春樹 »