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2017年2月 6日 (月)

択捉競馬場

明日2月7日は「北方領土の日」。日露和親条約が結ばれたのが1855年2月7日だったことにちなむ。その条文に「今より後、日本国とロシア国との境、エトロフ島とウルップ島との間にあるべし。エトロフ全島は日本に属し……」と初めて定められた。

かつて根室管内で開かれた草競馬大会「馬事協議会大会」は、トロッター競馬が見られる珍しいイベントだった。残念ながら3年前の大会を最後に行われてはいないようだが、サラブレッドやドサンコ、ポニーなど様々な種類の馬たちが、騎乗競馬、ばんえい競馬、そしてトロッター競馬などで熱戦を繰り広げていたという。

実は、この大会にはひとつの大きなスローガンが掲げられていた。そう、「北方領土返還実現」である。大地を駆ける馬たちの姿に声援を送りながら、北方四島への想いを募らせていた人もいたに違いない。

ゴルバチョフ氏がロシアの大統領だった当時だから、もう四半世紀前のことになる。某新聞社のソ連に関する部署でバイトをしていた私は、たまたまかつて択捉島に住んでいた方のお話を聞く機会を得た。その中で、「択捉島には競馬場があった」と聞いて、いたく驚いた記憶がある。

戦時中の記憶を辿りながら「学校」「病院」「飛行場」……、という具合にかつてあった施設の場所を思い起こしていく中にあって、意外に早く「あそこには競馬場があった」と答えていたのが意外だった。農耕馬を集めた草競馬レベルだったようだが、国後島にも同じような競馬場があったらしい。そこはやはり北海道なのであろう。開拓者たちは馬と共に生活し、当然の帰着として競馬をも楽しんだのかもしれない。

Uma 

北方領土ではないが、かつての樺太豊原市(現ユジノサハリンスク)にも競馬場があった。

こちらは草競馬などではなく、立派なスタンドを誇る本格的な競馬場。現在でも陸上競技場として施設が使われていると聞く。以前、樺太で生まれたという方からも当時のお話を伺うことができたが、その方もやはり競馬場の話に触れたのである。幼少時であるはずだから、よもや馬券に目を血走らせていたはずもなかろうが、競馬場というオブジェクトはそこにあるだけで何か大きな印象を与えるものなのだろう。

日露和親条約締結から162年が経つ。が、その条約の定めた位置に現実の国境はない。

 

***** 2017/02/06 *****

 

 

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