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2017年2月27日 (月)

コーシロー引退

1997年3月2日、15時40分。中山競馬場。弥生賞。

出走14頭がゲートに入る。一瞬の静寂―――。次の瞬間、なんと5枠8番のサイレンススズカがゲートの下をくぐろうとして膠着してしまったではないか。黄旗が振られ、スターターが台から降りる。この発走遅れのおかげで、阪神で行われる予定の読売マイラーズカップは、弥生賞のあとにVTR放映となるという。

5分遅れで行われたレースは、武豊騎手のランニングゲイルが、まさかの3角まくりで快勝。思わぬ展開に中山のファンは沸いた。だが、直後に放映されたマイラーズCのVTRがゴールにさしかかると、先ほどの弥生賞以上にスタンドはどよめいたのである。

「何ぃ? オースミタイクーン?」

「まさか!」

「ユタカの弟か?」

重賞初騎乗で初勝利。重賞史上最速勝利。重賞最年少勝利―――。武幸四郎騎手の初勝利は記録づくめの出来事として知られる。だが、あくまで私の記憶での話だが、東西のレースはおそらくほとんど同じ時刻に発走していたはず。厳密な意味での「同時」東西重賞兄弟制覇こそ、空前にしておそらく絶後の記録に違いない。

あれから20年。武幸四郎騎手が、昨日の阪神12レースの騎乗を最後に騎手を引退した。同僚から胴上げされる彼が身にまとっていた勝負服は、長年お世話になった松本オーナーの服色である。

Manbo 

メイショウマンボで勝ったオークスは今なお忘れがたい。引き上げてきた彼の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。オークスへのクラシック登録がなかったメイショウマンボのオーナーに対し、それでも「オークスに行きたい」と申し出たのは、ほかならぬ武幸四郎騎手である。結果200万の追加登録料を払ってオークスに出走。涙の理由は、ひとえにオーナーへの感謝の気持ちであろう。

最後の騎乗馬となったメイショウオオゾラを管理するのは、南井克己調教師。20年前の読売マイラーズCでは騎手としてロイヤルスズカの手綱を取り、オースミタイクーンにクビ差の2着にまで迫っていた。もしあのまま差し切っていれば……。競馬に「たら」「れば」は禁句だが、武幸四郎の騎手人生は、大きく変わったものになっていたかもしれない。

Tycoon 

なにせオースミタイクーンは11番人気の大穴だった。むろんテン乗り。武幸四郎騎手というと人気薄の馬で激走する「穴男」のイメージが強いかもしれないが、実は初騎乗の馬で重賞を8勝もしている。騎乗経験がない馬の良さを引き出す能力は折り紙付き。そのせいかここ一番での代打騎乗も少なくなかった。むろんマイラーズCの鮮烈な勝利が寄与した部分も少なくあるまい。それで20年やってこれたのだとしたら、やはりあのクビ差は大きかった。

記録といえば、もうひとつ。彼の身長177センチはJRAのジョッキーではもっとも高い。それほどの身長を抱えながら大活躍する騎手がいる事実に勇気づけられたという人も、きっといたのではないか。むろん幸四郎騎手だって相応の努力を払っている。小学生の時から身長が伸び始め、給食を食べずにポケットに入れて持ち帰っていたのは象徴的なエピソード。そのポケットはハンバーグやコロッケで油まみれになって、お母さんを困らせたそうだ。万一、身長制限に引っかかるようなことがあれば、アイルランドで騎手になると心に決めていたという。

なんという少年であろう。わが身を省みて恥ずかしいことこの上ない。そんな彼のことであれば、間違いなく調教師としても成功するはず。第二のキャリアを遠巻きながら応援させていただきたい。

 

***** 2017/02/27 *****

 

 

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コメント

店主様
今晩は。幸四郎騎手の開業が今から楽しみでなりませんね。私はブロードアピールでの騎乗が記憶に鮮明です。そして昨日の中山12R菅原先生の管理馬ダンディレイの人馬の気迫に感動したのも週末の思い出です。
私ごとですが、コジマさん行って参りました。食材の味わいを生かしながらもスパイスたっぷり…まさに「エピセアローム」なお料理でした。心も身体も満足でした。食後に乗馬施設を見学させて頂きウ◯ンバリ◯シ◯ンの兄貴様にもお会いしたり施設の方とお話ししたり至福のひとときでした。ご紹介に感謝でございますm(_ _)m

投稿: すかどん | 2017年2月27日 (月) 23時22分

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