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2016年11月22日 (火)

愛宕山階段上りに挑む

ジャパンカップ絡みの野暮用でテレビ東京までやってきた。仕事ではない。知り合いの英国人コーディネータをテレビ東京まで案内してあげただけ。そのついでに、愛宕神社に立ち寄ってみた。

Atago 

愛宕神社のある愛宕山は港区随一の“山”。標高25.7mを示す三角点もちゃんと存在する。国土地理院発行の地形図でも「山」として表記されているその頂きからは、かつては房総半島が広く見渡せたというが、今では立ち並ぶ高層ビル群がそれを遮る。

神社正面には男坂という急階段がある。その段数86。

Kaidan 

階段は極めて急峻。むろん途中に踊り場などない。そびえ立つように立ち上がる階段の前に立てば、誰もがその威圧感に圧倒されよう。もともと愛宕山は火の神を祭る信仰の山。神聖な空間と俗世を結ぶに相応しい威厳を保ち続けている。階段を上る途中で背後を振り返れば、真っ逆さまに転落してしまいそうな、そんな錯覚にも苛まれる。

Kaidan1 

この階段を馬で登り、梅の枝を手折って再び馬で階段を下りてきたという江戸時代の講談『愛宕山誉れの石段』をご存じだろうか。

たまたま愛宕神社の前を通りかかった将軍家光が、誰か馬で石段を登ってあの梅を折ってこれるものはいないかと家臣に問う。お供の者は顔を見合わせて皆尻込みし、それでも何人かの腕に覚えのある馬術の達人が果敢にチャレンジを試みるが、誰も成功するものはいない。あまりの不甲斐なさに家光が機嫌を損ねたところに間垣平九郎盛澄なる人物が登場する。間垣は、その場で五回ほど輪乗りをして馬の気持ちを静めたのち、一気に石段を駆け上りる。さらに梅の枝を手折ると、上りよりも難しいとされる下りさえも馬でこなし、家光公の賞賛を浴びるというストーリーである。

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この逸話の真偽や、そもそも間垣平九郎という人物が実在したかどうかも実は不明確で、実話である可能性は低いとされるが、逸話を自らの手で具現させようとこの急階段に馬で挑んだ人物が少なくとも10人いる。(※一般に「3人」とされているが、認知度の差だと思われる)

 一森彦三郎広有
 進藤重之丞延秋
 小松忠蔵
 佐脇大学
 四戸三平
 石川清馬(1881年)
 岩木利夫(1925年)
 里見国啓(1936年)
 須田福延(1939年)
 渡辺隆(1982年)

このうち、1925年11月8日の岩木利夫の挑戦では、その年に愛宕神社の隣りでラジオ放送を始めたばかりのJOAK(現在のNHK)が馬での階段上りの模様を生中継している。上りが成功したところで、下りもあることを臨時ニュースで知らせたところ、大勢の見物客が殺到したと言うから、かなりのイベントだったのだろう。ちなみに、これが我が国における生中継の嚆矢。日本初の実況生中継は、なんと馬の“階段上り”だった。

岩木利夫は陸軍参謀本部の馬丁の職にあった人物。当時自分がかわいがっていた8歳のサラブレッド「平形」が廃馬にされてしまうということを耳にして、「この馬の真価を天下に知らせたい」と石段上りを決行したと言われている。

この話は美談として参謀総長から昭和天皇にも伝えられた。結果、平形は廃用を免れ、騎兵学校の将校用乗馬に転用され天寿を全うしたと伝えられている。自らの職務上の立場のみならず、命をも賭して階段上りに挑んだ岩木の思いはここに実を結ぶこととなった。

Kaidan2 

それにしても、この階段を駆け上がった馬が10頭もいるという事実にあらためて驚く。実際に自分の脚で上ってみたら、見物に集まった野次馬たちの気持ちが分かったような気がした。

 

***** 2016/11/22 *****

 

 

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