« ミストを浴びながら | トップページ | あれから25年 »

2016年9月 9日 (金)

ナポうどんと池上競馬

東急池上線の蓮沼駅は池上線の中でも利用客がもっとも少ない駅だという。私自身、子供の頃から池上線にはお世話なっているが、利用したことは無かった。「蓮沼」の言葉が示す通り、昔は蓮の浮かぶ沼があちこちに点在していたらしい。

Hiroe 

駅のすぐそばに一軒のお蕎麦屋さんが暖簾を掲げている。屋号は『広栄屋』。一見どこの町にもありそうな、ごく普通の蕎麦屋だが、実はこんなメニューが一部のうどんマニアの話題を集めているのである。その名も「ナポリタンうどん定食」。

Menu 

そんで運ばれてきたのがこちら。

Napo 

その味は決して想像の域を超えるものではない。うどんでナポリタンを真似たらこうなるだろうな、という味。しかも「定食」というからには、ごはんと味噌汁がセットになってついてくるのである。名古屋の味噌煮込みうどんならまだしも、ナポリタンですよこれ。―――なんて文句を言いつつもしっかり完食した。だってこれを食べるためにわざわざ電車に乗ってやってきたんですからね。有体に言えばヒマなのである。

ヒマついでに店を出てぶらぶらと歩く。この周辺はかつてヌマもあったがウマもいた。店を出て5分も歩けば旧池上競馬場の跡地に出る。1906年(明治39年)に開設されながら、わずか3年で閉鎖された幻の競馬場だ。

かつてこの一帯は、500坪もの広さを誇る広大な競馬場の敷地だった。北側(現在の池上駅方面)に建設されたスタンドには貴賓席が設けられ、明治天皇の名代として臨場した伏見宮殿下が見守る中、現在の天皇賞の前身ともいえる帝室御賞典競走も行われている。

開催日には新橋から大森までの競馬臨時列車が運行したという。当時、池上線はまだ開通していない。そこで大森駅からは人力車の出番となった。大森駅からの道路が人力車で埋め尽くされたとの記録も残る。しかし、その熱狂があだとなり、やがて閉鎖に追い込まれるのだから、その運命はなんとも皮肉と言うほかはない。

池上競馬の成功は、全国各地への競馬場乱立という思わぬ事態を招く。中には見よう見まねの主催者もあったことだろう。そんな一部の粗悪な競馬場では、払い戻しの不正や八百長騒ぎが後を絶たず、暴動や犯罪の温床と化していった。やがて競馬に対する反対運動が高まると、政府は競馬場の数を制限するよう命じる。

池上も例外ではいられなかった。他の3つの競馬場と合併して、目黒への移転を余儀なくされたのである。熱狂の時代は瞬く間に過ぎ去った。今となっては当時の面影を残すものほとんどない。ただひとつ、住宅街に佇む小さな公園に据えられたこのレリーフのみだ。

Monument 

池上競馬は、日本人の手によって行われた初めての馬券発売を伴う洋式競馬である。主催する東京馬主会の会長は子爵・加納久宜。その補佐役を務めたのが「安田記念」にその名を残す安田伊左衛門。彼らの崇高な理念に基づく競馬は、まさにその後の日本競馬の模範たるものであった。そういう意味では、わずか3年間の命だったとはいえ、池上競馬の誕生は日本競馬史において期を画する出来事だったに違いない。

一方で、ナポリタンも日本人の手によって日本人の味覚に合わせて考案された洋式メニューである。ただ、さきほど私が食べたのは池上競馬の如き正統派のスパゲティ・ナポリタンとは言えまい。むしろ「見よう見まね」の方であったような気もする。でもまあ、その味を知っておいても、とりたてて損はなかろう。なぜか懐かしさを覚える味であった。

 

***** 2016/09/09 *****

 

 

|

« ミストを浴びながら | トップページ | あれから25年 »

グルメ・クッキング」カテゴリの記事

競馬」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ミストを浴びながら | トップページ | あれから25年 »