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2016年9月 4日 (日)

ヒサヨシのオークス

昨日の続き。

1939年のオークスで大差の1位入線を果たしたヒサヨシは、驚くことにこのレースが初出走だった。

だがしかし、レース後の薬物検査でアルコールの反応が出てしまう。ヒサヨシは失格。大差2着のホシホマレが繰り上がりで優勝を拾った。ちなみに、この2頭はいずれも名義上は大久保房松調教師の管理馬であるが、実際に調教を課していたのはシンザンでお馴染みの武田文吾調教師である。武田師はこの裁定に納得しなかった。当時の薬物検査が、現在のように完璧なものではなかったせいもある。

もちろん日本競馬会(現JRA)が武田師の抗議を認めるはずがない。当時の検査方法は帝国大学の田中博士が提唱したもので、「田中式」と呼ばれていた。競馬会は「田中式では興奮剤(アルコール)を使っていない馬からの反応はありえない」の一点張りである。その田中式による検査は、なんとこの秋の開催だけで19頭もの1着馬を「失格」と断罪していた。昨日書いた北京五輪ドーピング再検査による失格続出どころの騒ぎではない。

田中式そのものに疑問を抱いていた武田師は、ヒサヨシの名誉回復のために執念を燃やす。自ら大阪大学薬理学教室の今泉助手らの指導を受け、田中式の非合理性を証明する実験に成功。実験結果を農林省馬政局に提出した。

馬政局は渋々検証実験を行う。1か月間厳重に隔離した競走馬20頭で模擬レースを行い、しかるのち田中式による薬物検査を行った。するとあろうことか、数頭が陽性反応を示したのである。この馬たちがアルコールを投与される機会などあり得なかったはず。おかしい。いったいどういうことだ? 実は、田中式では馬房の汚れや正常な飼い葉に対しても反応を示してしまうことが、のちに明らかになる。

ヒサヨシのオークスから2年が経った1941年、農林省馬政局と日本競馬会は田中式の撤廃を発表。武田師の執念はついに実った。だが、それでヒサヨシのオークスの失格が取り消されたわけではない。

Turf 

古馬となってからのヒサヨシは、屈腱炎を抱えながら7戦するも2着が精一杯だった。記録上は「未勝利」のまま競走生活に別れを告げている。オークスでの失格が、彼女の運命を狂わせてしまったことは間違いなかろう。デビュー戦でクラシック楽勝という大記録が埋もれてしまったのは、現代では再現が不可能だけに、残念というほかはない。

 

***** 2016/09/04 *****

 

 

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