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2016年8月 5日 (金)

恩馬フクリュウ

明日8月6日は広島原爆記念日として知られるが、故・野平祐二氏の命日でもある。祐ちゃんが亡くなって早や15年。アッと言う間でしたねぇ(しみじみ)。ともあれ、今年も祐ちゃんバナシにお付き合いいただきたい。

Abumi 

「先生が乗った馬で、いちばん思い出に残る馬は?」

生前の野平祐二氏に、そんな質問をしてみたことがある。

当然、スピードシンボリという返答が返って来るものと思っていた。こちらとしては、それをきっかけにスピードシンボリの話を伺おうという魂胆である。ところが―――

「フクリュウですね」

祐ちゃんは間髪入れずにそう答えた。

「フクリュウ……ですか?」

「知らない? 日経賞を大差で逃げ切ってみせたんですよ」

「いえ、てっきり、スピードシンボリかと……」

「彼はどちらかと言えば“戦友”ですね。でも、フクリュウがいなかったら、私はもっと早く騎手を辞めてたはずですよ。“恩人”ならぬ“恩馬”なわけ。わかる? 彼女の名前を最初に出さなきゃバチがあたりますよ」

若かりし頃の祐ちゃんは、競馬サークル内でも決して目立つ存在ではなかったそうだ。当時まだ珍しかった長手綱にアブミを極端に短くした騎乗フォームこそ話題になっていたものの、それが肝心の成績につながってこない。周囲からはフォーム自体に欠陥があるのだと指摘され、「あんな乗り方をする野平は乗せるな」という声さえ上がっていたのだという。

だが祐ちゃんは信念を曲げなかった。そしてフクリュウと出会う。

「フクリュウは人が乗ると顔色を変えるんです。信じられないかもしれないけど紫色にね」

フクリュウはいわゆる難しい馬だった。自分が気に入らないことがあれば暴れたり、逆に押しても引いても動こうとしなくなる。名手と謳われた保田隆芳騎手が乗ってもまともなスタートが切れず、出走停止処分を受けた。一流騎手に依頼しても迷惑をかけるだけということで、祐ちゃんに手綱が回ってきたのである。

「もしかすると、なにかをきっかけに人間との信頼関係が崩れてしまい、人間不信に陥っていたのかも知れませんね。それからはフクリュウと心を通わせようと、調教であらゆる手だてを講じました」

フクリュウとのレースでは馬と会話することに全神経を注いだ。結果は、鮮やかな逃げ切り勝ち。後年、若い騎手たちに「馬は力で御すもんじゃない。大事なのはリズム」と唱え続けたその原体験は、実はここにある。祐ちゃんはこの年72勝をあげて開眼した。1958年にはその後19年間も破られなかった年間121勝をマーク。独自の騎乗スタイルが正しいことを、自らの成績で証明してみせた。

「それがのちのスピードシンボリ、そして私のヨーロッパ遠征へと繋がっていくんです」

騎乗技術の理想を追い求め、信念を曲げることなく、ただひたすら技術を磨き続けた努力の日々。「ミスター競馬」というこれ以上のない称号は、決して天与の才能だけで掴み取ったものではなかったのである。

私は祐ちゃんの騎乗したレースをライブで見た経験を持たぬが、のちに郷原洋行氏から聞かされた「(祐ちゃんは)風のように見えなかった」というフレーズが忘れられない。まさしく人馬一体の極致の姿が、そこにはあったのであろう。

 

***** 2016/08/05 *****

 

 

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