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2016年8月30日 (火)

【訃報】ウィナーズサークル

1989年の日本ダービーを勝ったウィナーズサークルの訃報が伝えられた。日本ダービー史上唯一の芦毛馬であり、また唯一の茨城産馬。「オグリキャップの世代のダービー馬」と紹介した方が分かりやすいという方もいらっしゃるだろうか。晩年は茨城県内にある東京大学大学院農学生命科学研究科附属牧場で暮らしていた。それにしても30歳である。私もトシを取るわけだ。

1986年に今の茨城県稲敷市にある栗山牧場で生まれ、3年後のダービーで同期約1万頭の頂点に立った。2冠を狙った菊花賞で骨折を発症すると、北海道の本桐牧場で種牡馬入り。だが、産駒は思うように活躍せず、2000年には生まれ故郷の栗山牧場に引き取られることになる。

ちょうどその頃、茨城県内で新しい種牡馬を探していた東大牧場から、譲って欲しいとの話が舞い込んだ。

「東大は人間でもなかなか入れない。ダービー優勝に次ぐ栄誉」

そう考えた栗山牧場も申し出を快諾。こうしてウィナーズサークルは、再び種牡馬としての道を歩き始めた。

軽種馬生産地としてはマイナーな茨城では、種付けの相手が思うように集まらず産駒ゼロ世代があるのもやむを得ない。それでも、かつて覇を競った同期のライバルたちが死亡したり、あるいは養老牧場で余生を過ごすような時代になってなおウィナーズサークルは、細々ではあるが種牡馬生活を貫いていた。2007年を最後に種付けの記録はなかったが、それでも最後まで種牡馬であったことに違いはない。東大牧場で学ぶ獣医師のタマゴたちにとっては、生きた教材として不可欠の存在であったことだろう。検温にせよ採血にせよダービー馬にじかに触れることは、そうそうできることではない。

かつて、芦毛馬は先天的に能力が劣ると信じられていた。リボーやネアルコを生産したフェデリコ・テシオは「芦毛は徐々に身体が白くなる進行性の病気だ」と唱え、我が国でも「芦毛馬はダービーを勝てない」と言われていた。ウィナーズサークルの前年まで、通算55回のダービーで芦毛馬の優勝はゼロ。そのせいで芦毛馬がいわれのない差別を受けていた時代がある。

むろん今となっては根拠も何もない話。芦毛馬の絶対数が少ない上、ダービーの回数自体も確率を語るには少なすぎる。それでも実際にダービーを勝って、自ら「芦毛ダービー勝てない説」に終止符を打ったウィナーズサークルの功績は、決して小さくない。

Turf 

今後も芦毛のダービー有力馬は毎年のように出現する。その際、ファンにはぜひともウィナーズサークルを思い出してもらいたい。ウィナーズサークルを見たことがないなら、そういう名前の馬がいたことを思い出すだけでもいい。それがダービー馬に対する礼儀であろう。願わくば、ウィナーズサークルに続く2頭目のダービー馬の誕生を、そろそろ期待したいところだ。

 

***** 2016/08/30 *****

 

 

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